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ぼくのコドモ時間42

时间: 2019-12-05    进入日语论坛
核心提示:寒い日に「ノブヒロ、寒くないか?」とおとうさんは言った。ボクはドギマギしてしまったのだ。おとうさんの明さんは、肺病で寝て
(单词翻译:双击或拖选)
寒い日に

「ノブヒロ、寒くないか?」
とおとうさんは言った。ボクはドギマギしてしまったのだ。
おとうさんの明さんは、肺病で寝ているんで、ボクは学校から帰ると、暗くなるまで外で遊んでくるのだった。もっとも、そのころは近所のどこの家のコドモもそうでした。家が狭いし、コドモってな、大人にとってはうるさくて気にさわるもんですから。
でも、十二月ともなって、外が寒い時には、コタツで本でも読んでたいでしょう。ボクは学校の図書館から借りてきたエジソンの伝記かなんかを読んでいたかもしれない。今日は寒いし、明さんも「外で遊んでこい!」はちょっとナ……と思ったのかもしれない。火鉢の縁につかまって、本をあぶるような感じでエジソンを読んでると、いきなり。
「こっち入れ」と言ってくれたんでした。明さんは病気だから、寒いのは一番体に毒なんですね、で、ふとんにアンカを入れて寝ている。そのアンカにあたれ、と、同じふとんに入ってよし、ということです。
「ハイ」と言ってボクは明さんのふとんに、足のほうから入って、たがい違いの方向にふとんにもぐり込んで、エジソンの続きを読んでるわけです。火鉢にかけた鉄瓶がシューシュー湯気をたてる音が聞こえるだけで、静かです。
ボクは明さんと家の中で二人きりになるってことがほとんどなかった。だいたい、外で遊んでいたし、そうでない時は、姉のチカコや、母タカコもいっしょだった。二人だけで話したことは数えるくらいです。その、わずかに話をした時のことは、「しんちゃんのオカモチ」のところで書きました。
ほとんど話をしなかったから、それを覚えていられたというワケです。そうして、この時のことも、よく覚えているくらいに、数少ない特別の例だったというわけです。
明さんも、何かムズカシそうな本を読んで、薬の包み紙に何か書きつけていたりした。ときどき軽い咳をおとうさんがするほかは、シンと静かになっている。風の音や、遠くでトウフ屋のラッパが鳴っているのが聞こえるような時間です。そういう時に、
「ノブヒロ、寒くないか?」と明さんは、おどろくくらいやさしい声でそう言ったのです。ドギマギする。で、ボクは、
「ううん、さむく|なくなくない《ヽヽヽヽヽヽ》」とフクザツな言い回しをしてしまったんでした。
「チッ」と明さんは舌打ちをした。しまった! おとうさんをおこらしちゃったな、とボクは後悔した。
「いったい、どこの国のコトバだ、|さむくなくなくない《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》?……」と語尾を上げて、でもそれきり黙ってます。そしていきなりガバッと起き上がると、パンパンパン! とふとんをたたいて、風の入らないように直すと、またゴロンと横になって、
「…………………………」と黙っている。
思えば、その時おとうさんは、いまのボクの年くらいなんでした。病気がうつるといけないから、病院のお見舞いにコドモをつれてきたタカコさんを叱りつけたりしたころから、ノブヒロはどうも自分をこわがっている。
外で遊んでこい! とどなるのも同じ理由だが、そうしていつもどなるもんだから、少しオレの前で萎縮してるかもしれんな、と思って、少しさびしかったかもしれない。
コイツは、こんなに親父をこわがって、一人前の男になれるのか、と明さんは思って舌打ちをしたのかもしれません。
明さんは、十代のころにお母さんを病気で亡くした後、継母《ままはは》になつかずに家出して、そのままフィリピンに小僧として出稼ぎに行ってしまった人なのです。何をしていたのか知らないけれども、眠りながら大八車を引っぱったこともある、とチカコは聞いたことがあるらしい。
アルバムには、白い麻の上下を着て、ガイジンの友だちと写真に写っているのが貼ってある。明さんは籐の椅子に座ってエラソーに、その友人をしたがえてるというような写真です。ガイジンの美人と写っている写真もある。
ボクがのちにTVの仕事でフィリピンに誘われた時、ついつい引き受けたのは、この明さんの若いころの気分を、少しなぞってみたいと思ったことがあったからでした。
台所の高窓のそばの高い場所に、ガクに入った芸術写真があって、それは椰子の木林の切り株で休息する、菅笠をかぶった漁師の写真でしたが、これは薄暗い板張りの台所の中で、南洋に開いている窓のように見えました。
それを何かといっては見上げていたからでしょうか、ボクはタイに旅行して椰子の木林を舟で移動している時に、まるであの台所の窓からワープしてきたような、不思議な気分を味わったものです。水上マーケットへ向かうサンパンの上で、椰子の木のトンネルを見上げながら、懐かしいな、とボクは思ったのです。
明さんは、そんなワケでフィリピンなまりがあったのかもしれないが、英語とスペイン語をわずかに解したらしい。坂の上の北池荘に住んでいたお姐さんが進駐軍のオトモダチと大声でけんかして、タローさんと呼ばれていたいつもはやさしいその進駐軍さんが、何事か大声で罵《ののし》りながら去っていくのを、ニヤニヤしながら同時通訳してみせたりすることもあった。
ボクは明さんを五年生の時に亡くしましたが、一年後に、押し入れの天袋にあった本の中に、英語で書かれた明さんの日記らしいものを見つけて読んだことがあった。読んだというのは正しくない、全体を眺めていただけですが、ローマ字として読める、女の人の名前が、いくつかちりばめてあるのに気がついた。
中学へあがって英語がわかるようになったら、この日記を読んでやれ、とその時ボクは思ったのでしたが、その後日記はどこかへ行ってしまったし、第一、ボクはいまになっても英語なんか読めないままなのだ。
たまに外出する時に、ネクタイをさんざん選んで、出かけたと思ったらまた帰ってきて違うのに結びかえて、また出ていったりした。と明さんが亡くなってから、母タカコさんは笑って思い出話をしたりしましたが、英語もローマ字も読めないタカコさんも、そのローマ字女の存在は先刻承知之介だったのかもしれないな、と思ったりします。
ボクは中学生になってからも、明さんが生き返って、またいつのまにかいっしょに暮らしてる、っていう夢を何度か見た覚えがあります。ボクは短気でカンシャク持ちの明さんに不満を持った覚えはないのに、夢では明さんはいつも笑っているのでしたが、よく思い出してみると、明さんはたしかに、ほんとに生きている時も、冗談を言ったり、ふとんの中にしたおならを、部屋じゅうにバフバフと行きわたらせて、家族が逃げまどうのを見て、笑うような、トボケた人でもあったのだと気がつきました。
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