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笑う茶碗09

时间: 2019-12-05    进入日语论坛
核心提示:ほんとのところねじめ正一さんと話していたら、「アノ、ホラ、エート、東宝の女優でものすごく有名な、ホラ、ホラ」と言いだした
(单词翻译:双击或拖选)
ほんとのところ

ねじめ正一さんと話していたら、
「アノ、ホラ、エート、東宝の女優でものすごく有名な、ホラ、ホラ」
と言いだした。
「ホラ……って言われてもなァ」
とからかってやったのだが、しばらくして、
「あの、こないだシンボーさんが教えてくれた映画のカントク、なんていったっけ?」
と聞かれて、今度はこっちが困った。
「エ? 映画カントクの名前を? オレが教えた? オレが?」
って、教えたことを忘れてしまったのだ。
いろいろ話しているうちに、そういえば教えたのは思い出した。
「ああ、そう、そう、教えたなァ。アレでしょ、アノ、ホラ、ホラ」
「ホラって言われてもなァ」
結局、五、六時間一緒に飲んでいたけど有名な東宝女優が誰なのか、私の教えたガイジンの映画カントクの名前がなんだったのか、わからずじまいだった。
タクシーで帰ろうというので、乗り場でもう一度訊いてみた。
「思い出した? 東宝女優」
「いや、ダメ、くやしいなァ、タクシーん中で思い出そ」
と言って別れて、乗り込んだ途端、私はひょいと思い出した。
イランのアッバス・キアロスタミ監督だ。『友だちのうちはどこ?』とか、『そして人生はつづく』、『オリーブの林をぬけて』みんな面白い。大好きな監督なのだ。
最近はこんな時、だれかが必ず、「老人力」とヒトコト言うと、ひとしきり笑い、何事もなかったように先へと進む、というふうになっている。
そのうち、えーと、なんだっけ、こういうときにいいコトバがあったね、なんとかって。思い出せず、まァいいか、と先へと進むことになるんだろう。
「そういうトシになったんだよな」
と、これもまた、よく口にするコトバなのだが、ほんとにそう思ってるのか? というと、どうもそうでもない気がする。
やれ「老眼だ」「歯が抜けた」の、「早朝から目が覚めちゃう」のと、老人現象を言いつのるのは、自分が老人になったっていうことに慣れてない、その新鮮さをおもしろがっている状態なのである。
こんな文章、若い人が読んだら、「ジジイが何言ってんだか」と言われてそれでしまいだと私は思う。
どうしてそう思うかといって私もそう思っているからだ。現時点でそう思っている。
思い返してみると、自分がいくつになったというような、他人にとってはどうでもいいようなことを、けっこう何度も書いていた気がする。
私も三〇になってしまっただの、四〇になった五〇になったって、そりゃあ一〇年経てば一〇歳年はとるんだよと、自分でツッコミたくなるような文をずいぶん書いた気がする。
どうして、そんなこと書いてしまうのか? と考えれば、それはやっぱり、そのことが自分にとって新鮮なおどろきであったからだろう。
一〇代のころには、自分が二〇になったらどんなだろう、三〇になったら、四〇になったら、五〇になったら、と、その都度そんなことを思ったのだろうけれども、なってみると、全然、内実はかわってないのだ。
最近はだから、六〇にも七〇にも、もうなったも同然だという気がしてきた。どうせ、大した違いはないのだ。
ないだけでなく、いつまで経っても「実年齢」に慣れないままだ。
実際、まだ四〇代に慣れてないうちに、もう五〇代になってしまった。このままいったら、五〇代に慣れないうちに六〇代、六〇代に慣れずじまいで七〇代、そしていずれ、そのうちオダブツだかオサラバだかになってしまいそうだ。
ひょっとしたら、と思うのである。いままで、大人だなァ、オヤジだなァ、ジジィだなァと思っていたような人も内実はまるっきりコドモだったのかもしれない。
五〇、六〇ハナタレ小僧、なんていうコトバを聞いたことがあるけれども、七〇、八〇になったら、だまってたってハナくらいタレてくるわけだし、ようするに人間一生ハナタレ小僧ってことになる。
私の母親は、もう八六になるけれども、どうも話の様子だと自分は、
「お婆さんじゃない」
と思ってるようなのだ。近頃は耳も遠くなっているし、こみいった話を聞くこともないけれども、どうもこの信念が変わったようには思われない。
いつだったか、お婆さん二人が、電車で話してるのを聞くともなしに聞いてたら、自分が「お婆さん」に間違われたって話だった。
なんだ、おふくろだけじゃないなやっぱり、とその時思ったのだ。
自分でも、五三までやってきたら、こんなことだし、ほんとはみんな、大人だ大人だと思ってた人も、コドモだったのじゃないか? と大発見したつもりである。
もっとも、これは、おふくろや、電車のオバアさんや、私に社会性だの責任感だの自覚だのが欠けてるってだけの話かもしれない。
だが、なんかそこらじゅうの、オジイサンだのオバアサンだのに、アンケートをとってみたくなってしまった。ほんとのとこどうなんだろう?
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