私の描く漫画には、セックスシーンが出てくることがあるので、一時期、ボキャブラリーの貧しい人たちから、よく「えっちまんが」なーんて言われたんだけど、それももう昔のことになってきた今日このごろ、私は「えっち」って言葉に心から飽き飽きしているのざます。
もちろんよかれと思って「内田さんの漫画はえっちで大好きです」なんて言う人たちもいるんだけど、単語そのものに子どもがちゃかしてはやしたててるような印象があるからか、素直に喜べなかった。わりいけど、子どもに向かって濡《ぬ》れ場描いてんじゃないよ、濡れ場は大人の娯楽だいって言いたい。
うっそーと思う人もいるかもしんないけど、私は少年少女向けの仕事のときは、セックス関係描かない。子どもだって喜ぶんだから描いてくれって人たちと、言い合いになっちゃったこともあったくらい。すでに労働してる大人が子どものような趣味を持つのはまあ勝手だけど、人に養われてるやつが、養ってるほうと同じ楽しみを要求するのはおかしい気がする。『イレブンPM』終わっちゃったけど、みんなああいう感じの大人のものを「子どもは見ちゃいけません」って言われて悔しがっては何かと奮起したんだと思うぞ、まあ、いいけどね。
こんなことを考えだしたきっかけは、私より大人で私の敬愛する人たちから、「内田さんはベッドシーンうまいよ」とか「性描写がうまい」とか「きちんと濡れ場を描いてる」とか、ちゃんとした言葉で言ってもらったり、書いてもらったりするようになってから。そうすると「えっちでいい」なんて言われるより、かなりうれしいんだ、これが。
それに「えっち」なんてもう、形容から行為から良い意味からからかいの意味までって、意味キャパシティーオーバーで言葉として死んでるよ。そういう言葉ってかわいそうだよね。だからなるべく使わないで、しばらく休ませてあげたい、私としては。