あたたかくなってくると、つい、ああもうビアガーデンやってるかなあ、と考える。クラブで歌っていたころは、ビアガーデンのバンドで歌いたかった。一度だけビアガーデンの歌手の仕事が来たけど、埼玉県のビアガーデンで、あまりに遠いとこなので受けられなかったの。なんだか楽しそうだと思ったんだもん、ビアガーデンの仕事って。今考えたらクラブもビアガーデンも同じかもしれないんだけど。
そういえば、私ったら昔、ディスコダンサーになりたかったんだわ。毎週毎週ディスコに行って、それだけじゃ嫌になってモダンバレエ習いに行き始めちゃって、毎日踊ってばかりいた。歌の仕事を始めたころは、歌があまりにへただったんで、「あんたこれで食っていけるのかねえ。踊りのほうがはるかにうまいもんねえ」なんてバンドの人に言われてたんだわキャー、思い出しちゃった。
ディスコダンサーになりたいっていうのはどういう希望じゃと言われそうだけど、そのころの私の行ってた田舎のディスコには、大阪あたりからディスコダンサーが来たりしてたのよ。世界チャンピオンとかもショーやりに来て。私のディスコ仲間で、大阪まで修業しに行って、もう忘れちゃったけど、デビットとかなんとか、そういう外国人の名前をダンサーネームとしてもらって帰って来たやつとかもいたんだよう、書きながらなんか笑っちゃうけど、ほんとの話。たいがいそういう人たちはアフロヘアのパーマをかけて、「ファンキー!」とか言ってた、きゃははは。今だったらパンチパーマって言われてしまうのかしら、あの頭。
そのころの私の踊りの先生も、もう五十歳近かったのかな、でも頭金髪に染めてロッド・スチュワートみたいにしてた。自分のバンドで振り付けを考えるとき、たまにその先生のことを思い出しては良い先生だったと思う。田舎で歩いてると、すごいものがあったけどね。