昔から、日記が続かなかった。
三日くらい経って読み返すと、たった三日前の自分の考えていたことがなーんか嫌でさ。その三日間の日記をびりびりとやぶいちゃうの。でまた何日か経つと同じことをやるのよね。何が気に入らないのか知らないけど。でもだんだんそういうのは治ってきた。別に日記は書いてないけど、エッセイって似たようなもんだもんね。日記にはテーマや企画性はないから、最初聞いた話と違うとかいうことはないが。まあそのかわりお金がもらえるし、読む人の数も多くなる。どうしたって、日記よりはチカラ入れて書くよね。
でもまあ、この本のエッセイもかなり古いものばかりで、自分で読んでもなんだか「へー」って感じ。なんかどうも、口うるさい女だねって、自分のことなのに思っちゃったりして、無責任だね。
子どものころから「考え過ぎだよ」とか「言い過ぎだよ」と人によく指摘された。それが結局商売になっちゃった今でも、相手によっては言われることがある。でも私なんかに「考え過ぎ」なんていってる人っていったい何考えて暮らしてるんでしょうね。「考え過ぎだよ」という人っていつも、けして「もっと別の良い考え」を出してきてくれるわけじゃなくてさ。ただややこしいことから逃げたいだけで。つまりあれ、「それが事実かもしれないけど、そんなことまでは知りたくないよ」とか、「あんたがそこまで考えるのは勝手だけど、私はあんたからそこまでの考えを聞くほど、あんたという人間と深くかかわる気はないからさ」ってのと同義語なのよね。だからあんましそう言う人とは自然、話が出来なくなってきちゃう。まあ誰にだって付き合う人を選ぶ権利はあるからさ、お互い様だけどね。……という様に自分で自分のことを「口うるさい女だね」と言ったそばからこういう話になって行くところが私の「もの書きらしい」ところなんだろうな。ほんとにこれが仕事になって良かったざんすよ。
これからも私は自分では成長しているつもりで、あいかわらずなことを書いたりしたりしつつ暮らしていくのでしょう。ちょうど今、初めての子どもがおなかの中にいて、それがもうまさに産まれそうなんだけど(と言っても陣痛が起こっているわけではないが……)、だからと言ってすることが変わっているようにも思えないし。まあ年々恥知らずになってきているような気はするけど、どーせ死ぬなら面白いことやって死にたいしー、まっ、いいかって感じ。
そんなわけでいいかげんですが読んでくれて有難う。そして文藝春秋の茂木一男さん、湯村輝彦さん始め、この本作りにお世話になったみなさんにもこの場を借りて有難う。本が出るのはいつも嬉しい。