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寝ながら学べる構造主義09

时间: 2019-12-08    进入日语论坛
核心提示:3 私たちは「他人のことば」を語っている[#「3 私たちは「他人のことば」を語っている」はゴシック体] ソシュールが教え
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3 私たちは「他人のことば」を語っている[#「3 私たちは「他人のことば」を語っている」はゴシック体]
 ソシュールが教えてくれたのは、あるものの性質や意味や機能は、そのものがそれを含むネットワーク、あるいはシステムの中でそれがどんな「ポジション」を占めているかによって事後的に決定されるものであって、そのもの自体のうちに、生得的に、あるいは本質的に何らかの性質や意味が内在しているわけではない、ということです。これは別にソシュールの創見というわけではありません。古典派経済学はすでに商品の「価値」と「有用性」が別ものであることを熟知していました。
例えば、ボートの「有用性」は「水に浮く」ということですが、その「価値」は状況によって変化します。タイタニック号沈没間際と晩秋の湘南海岸とでは、「同じ有用性」を持つボートでもおのずと「価値」は違ってきます。
「商品の価値とは必然的に価値体系のなかでの一つの価値に過ぎず、一つの市場の需給関係が変化すれば、それは同時にすべての商品の価値を変化させてしまうことになる」という経済学の知見はソシュールの「価値」という用語法に直接影響しています。(岩井克人『貨幣論』)
しかし、ソシュールは、私たちがことばを用いる限り、そのつど自分の属する言語共同体の価値観を承認し、強化している、ということを私たちにはっきりと知らせました。
マルクスが記述したような資本主義の危機に直面しなくても、あるいはフロイトが例に挙げたような神経症を患っていなくても、ただ、ふつうに母国語を使って暮らしているだけで、私たちはすでにある価値体系の中に取り込まれているという事実をソシュールは私たちに教えてくれたのでした。
私たちはごく自然に自分は「自分の心の中にある思い」をことばに託して「表現する」というふうな言い方をします。しかしそれはソシュールによれば、たいへん不正確な言い方なのです。
「自分たちの心の中にある思い」というようなものは、実は、ことばによって「表現される」と同時に生じたのです。と言うよりむしろ、ことばを発したあとになって、私たちは自分が何を考えていたのかを知るのです。それは口をつぐんだまま、心の中で独白する場合でも変わりません。独白においてさえ、私たちは日本語の語彙を用い、日本語の文法規則に従い、日本語で使われる言語音だけを用いて、「作文」しているからです。
私たちが「心」とか「内面」とか「意識」とか名づけているものは、極論すれば、言語を運用した結果、事後的に得られた、言語記号の効果だとさえ言えるかも知れません。
もちろんこのようなことばの力については、古代から繰り返し指摘されてきました。詩人に霊感を吹き込む「詩神」や、ソクラテスの「ダイモン」は、まさに「ことばを語っているときに、私の中で語っているものは私ではない」という言語運用の本質を直観したものです。
私がことばを語っているときにことばを語っているのは、厳密に言えば、「私」そのものではありません。それは、私が習得した言語規則であり、私が身につけた語彙であり、私が聞き慣れた言い回しであり、私がさきほど読んだ本の一部です。
「私の持論」という袋には何でも入るのですが、そこにいちばんたくさん入っているのは実は「他人の持論」です。
私が確信をもって他人に意見を陳述している場合、それは「私自身が誰かから聞かされたこと」を繰り返していると思っていただいて、まず間違いありません。
「私が誰かから聞かされたこと」は、文章が最後まで出来上がっていますし、イントネーションや緩急のテンポや「ぐっと力を入れる聞かせどころ」も知られています。何より私自身が「それを聞いて納得させられた」という過去があるので、安心して他人に聞かせられます。(タクシーの運転手さんの中には、社会問題について「実にきっぱりと意見を言う」人が多いですが、これは彼らが長時間ラジオを聴き続けていることに関係がある、と私は見ております。)
その反対に、純正オリジナル、出来たてほやほやの無垢の「私の意見」は、たいていの場合、同じ話がぐるぐる循環し、前後は矛盾し、主語が途中から変わるような、「話している本人も、自分が何を言っているのかよく分かっていない」ような困った文章になります。こういう意見におとなしく耳を傾けてくれる聴衆はなかなかいません。いきおい、私たちは、コミュニケーションの現場では、起承転結の結構を承知している「ストックフレーズ」を繰り返すことになりがちです。
ですから、「私が語っているときに私の中で語っているもの」は、まずそのかなりの部分が「他人のことば」だとみなして大過ありません。(現に、私は確信を込めてこう断言していますが、そんなことができるのは、私がいま「ラカンの意見」を請け売りしているからです。)
「私が語る」とき、そのことばは国語の規則に縛られ、語彙に規定されているばかりか、そもそも「語られている内容」さえその大半は他人からのことば、ということになると、「私が語る」という言い方さえ気恥ずかしくなってきます。私が語っているとき、そこで語られていることの「起源」はほとんどが「私の外部」にあるのですから。
さきほど、「私のアイデンティティ」は「私が語ったことば」を通じて事後的に知られる、と書きましたが、ご覧の通り、「私が語ったことば」さえ、それを構成するファクターの多くが「外部から到来したもの」です。だとすると、そのときの「私のアイデンティティ」というのはいったい何なのでしょう?
ところが、このどうにも足元のおぼつかない「私のアイデンティティ」や「自分の心の中にある思い」を、西洋の世界は、久しく「自我」とか「コギト」とか「意識」とか名づけて、それを世界経験の中枢に据えてきました。すべては「私」という主体を中心に回っており、経験とは「私」が外部に出かけて、いろいろなデータを取り集めることであり、表現とは「私」が自分の内部に蔵した「思い」をあれこれの媒体を経由して表出することである、と。
このような考え方は私たちの中にまだ根強く残っていますが、これをここではとりあえず「自我中心主義」(Egocentrisme)と呼ぶことにします。ソシュール言語学は、やがてこの自我中心主義に致命的なダメージを与える利器であることがあきらかになります。しかし、ソシュールの考想がそののち西洋の伝統的な人間観にこれほど致命的な影響を及ぼすことになるとは、彼の生前にはたぶん予見した人はいなかったでしょう。
 二〇世紀はじめにジュネーヴの大学の小さな教室で一人の言語学者が講じた理説は、そのあと、ニコライ・トルベツコイ(Nicolai Troubetzkoy 一八九〇〜一九三八)、ローマン・ヤコブソン(Roman Jakobson 一八九六〜一九八二)を中心とするプラハ学派(一九二六年)に受け継がれ、そこでロシア・フォルマリスム、未来派、フッサール現象学など多様な文芸思想運動とダイナミックな異種配合を経験して、とうとうたる思想の水脈を形成することになります。一九二○〜三○年代の東欧、ロシアを中心として突出したこの「新しい学知の波」の中から構造主義が生成します。(「構造主義」という術語を最初に用いたのはプラハ学派の人たちです。)
この「ニューウェーヴ」の洗礼を受けた一九四○年代から六○年代にかけてのフランスの戦後世代、それが構造主義の「第三世代」に当たります。この人々によってそれまで言語学に限定されていた「構造主義」の理説は一気に多様な隣接領域に展開し、たちまちのうちに普遍的な知的威信を獲得することになります。
第三世代に含まれるのは、文化人類学のクロード・レヴィ=ストロース(Claudelevi-Strauss 一九〇八〜)、精神分析のジャック・ラカン(Jacques Lacan 一九〇一〜八一)、記号論のロラン・バルト(Roland Barthes 一九一五〜八〇)、社会史のミシェル・フーコー(Michel Foucault 一九二六〜八四)らです。おそらくこの四人が後代に与えた影響という点では、もっとも重要な人たちでしょう。彼らは「構造主義の四銃士」という異名をとることになります。以下では、この四人の業績と思想史的な意義を吟味して、構造主義が私たちの思考にもたらした決定的な影響について考えてみたいと思います。
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