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寝ながら学べる構造主義12

时间: 2019-12-08    进入日语论坛
核心提示:4 王には二つの身体がある[#「4 王には二つの身体がある」はゴシック体] フーコーは身体の苦痛についても興味深い考察を
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4 王には二つの身体がある[#「4 王には二つの身体がある」はゴシック体]
 フーコーは身体の苦痛についても興味深い考察を行っています。刑罰の歴史における身体刑の分析を通じて、前近代の身体刑があれほど残忍であったのは、刑罰がめざしていた身体が私たちの身体とは「違う身体」だったからだ、とフーコーは論じています。
その論拠をフーコーは絶対王政期の「国王二体論」から導出してきました。
「国王には二つの身体がある」という「国王二体論」は、カントーロヴィチの『王の二つの身体』という法思想史研究によって知られるようになった概念です。英国のエリザベス一世治下の判例集には次のような驚くべき規定があります。
[#1字下げ]「王は自らのうちに二つの身体、すなわち自然的身体と政治的身体を有している。彼の自然的身体は、可死的身体である。しかし、彼の政治的身体は、目で見たり手で触れることのできない身体であって、政治組織や統治機構から成り、人民を指導し、公共の福利を図るために設けられたのである。」(カントーロヴィチ『王の二つの身体』)
 国王はふつうの人間と同じように傷つき、病み、死ぬ第一の身体の他に、不死にして不壊の第二の身体を持っており、この第二の身体、「政治的身体」こそが王権王国の永続性と正統性を担保するものと法学者たちは考えたのです。つまり、さきほど私たちが使った用語で言えば、「政治的身体」とは「意味によって編まれた身体」ということになります。
フーコーはこの国王二体論に着目して、国王を弑逆《しいぎやく》しようとした大逆罪の犯人への残忍極まりない身体刑の意味を解き明かします。フーコーによれば、大逆罪とは王の「自然的身体」ではなく、その「政治的身体」を侵そうとした行為なのです。だからこそ、その刑罰は罪人の「自然的身体」ではなく、「政治的身体」をこそ標的とすることになります。
車裂きとか、火刑とか、溶けた鉛を傷口に流し込む刑とかの残虐極まりない身体刑が狙っていたものは、受刑者個人の脆く、傷つきやすく、すぐに死んでしまう「自然的身体」ではありません。そうではなくて、大禁を侵した者が毀損《きそん》した「王の政治的身体」の対極に、それに拮抗《きつこう》する、不死にして不壊の「弑逆者の政治的身体」を想定して、大がかりな身体刑によってそれを破壊することをめざしたのです。
大逆罪の身体刑は、罪人の「恐るべき政治的身体」を破壊することをめざしていたからこそ、自然的身体を破壊するために必要な暴力の何倍もの暴力を動員し、かつ華やかな祝祭性のうちに執行されることになりました。
大逆罪の身体刑は、国王の「政治的身体」の不可侵性を奉祝するという意味では、「負の戴冠《たいかん》式」です。その壮麗な儀礼や言説は、「処罰を受ける罪人に『マイナスの権力記号』を刻印するためのもの」です。そうやって、「政治的領域の最暗部に、有罪者は国王と対称的な、ただし逆転された形姿を浮かび上がらせた」のです。(フーコー『監獄の誕生』)
 身体刑は、受刑者の終わりない苦痛と絶叫のうちで、王の「政治的身体」が神聖不可侵であり、王国は永遠不滅であるという確信を王と臣民が喜びとともに分かち合うための儀礼でした。そのとき、刑の現場に居合わせたすべての臣民は、王の「政治的身体」と死刑囚の「政治的身体」が剣を手に死闘を演じている、「もう一つの身体」の水準を幻視していたに違いありません。
「政治的身体」は生理的・物理的な実体である身体とは別の水準に確固として存在する、「意味によって編まれた身体」です。それは信仰や政治的イデオロギーが骨格をなし、血液の代わりに記号や象徴が環流しているような身体です。
たしかに、中世ヨーロッパの騎士の身体や殉教者の身体は、現代人の身体とは別種の「意味」で編まれていたと思われます。そうでなければ、騎士や殉教者が戦場や火刑台で、恐るべき身体的苦痛を、ときには強烈な宗教的法悦や陶酔感とともに経験したという証言を理解することはできません。近代史においても、ロシア遠征のときのナポレオン軍の兵士たちは、戦傷で手足切断の手術を受けたあと、そのまま騎乗して再び最前線に飛び出していったと伝えられています。
苦痛は万人が経験するものですが、あらゆる社会あらゆる時代において同じ強度で、同じ仕方で、同じ痛みとして経験されるわけではありません。「現に、苦痛が耐えきれなくなる閾値《いきち》には個人差があるだけでなく、その個人がどのような文化的バックグラウンドを有しているかによっても異なることが知られている」のです。(R・レイ『痛みの歴史』)
身体的苦痛のような物理的・生理的経験でさえ、歴史的あるいは文化的な条件づけによってまったく別のものとなります。何を苦痛と感じ、何を苦痛と感じないか、という「苦痛の閾値」はその人がどういう文化的ネットワークの中に位置しているかによって変化します。
それを逆から言えば、身体を文化的な統制、あるいは政治的な技術によって造型し直し、変容し、馴致《じゆんち》することだってできるはずです。さきほどのナポレオン軍の兵士の例をとれば、「フランス革命の大義」についての徹底的なイデオロギー教育が成功していれば、「苦痛を感じない身体」を持つ兵士たちを育て上げることも理論的には可能のはずです。「苦痛を感じない兵士」は無敵の兵士です。あらゆる政治権力がその民衆の支配と統制において、まっすぐに民衆の身体を操作対象に照準してきたのは、ですから当然のことなのです。
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