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寝ながら学べる構造主義18

时间: 2019-12-08    进入日语论坛
核心提示:1 実存主義に下した死亡宣告[#「1 実存主義に下した死亡宣告」はゴシック体] フーコー、バルトに続いてご登場願うのは、
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1 実存主義に下した死亡宣告[#「1 実存主義に下した死亡宣告」はゴシック体]
 フーコー、バルトに続いてご登場願うのは、クロード・レヴィ=ストロースです。
レヴィ=ストロースはソシュール直系のプラハ学派のローマン・ヤコブソンとの出会いを通じて、その学術的方法を錬成した文化人類学者です。
ヤコブソンからヒントを得て、レヴィ=ストロースは親族構造を音韻論の理論モデルで解析するという大胆な方法を着想しました。このアイディアを膨らませた『親族の基本構造』(一九四九)や『悲しき熱帯』(一九五五)といった人類学のフィールドワークを通じてアカデミックなキャリアを積み上げたレヴィ=ストロースは、『野生の思考』(一九六二)でジャン=ポール・サルトルの『弁証法的理性批判』を痛烈に批判し、それによって戦後十五年間、フランスの思想界に君臨していた実存主義に実質的な死亡宣告を下すことになりました。
言語学を理論モデルとし、「未開社会」のフィールドワークを資料とする文化人類学というまったく非情緒的な学術が、マルクス主義とハイデガー存在論で「完全武装」したサルトルの実存主義を粉砕してしまったことに、同時代の人々は驚愕しました。しかし、このときをさかいにして、フランス知識人は「意識」や「主体」について語るのを止め、「規則」と「構造」について語るようになります。「構造主義の時代」が名実ともに始まったのです。
すでに見てきたように、構造主義は党派性やイデオロギー性とはあまり縁のない、どちらかといえば象牙の塔的な学術なので、ほかの思想的立場と確執するということはありそうもないのですが、フランスにおいては、知的威信をかけたはなばなしい闘争に登場しました。構造主義の思想史的位置を知るために、ここで少しだけ時間を割いて実存主義との確執について解説をしておきたいと思います。
サルトルの実存主義は、ハイデガー、ヤスパース、キルケゴールらの「実存」の哲学にマルクス主義の歴史理論を接合したものです。
「実存する」(ex-sistere)という動詞は語義的には「外に─立つ」を意味します。自己の存立根拠の足場を「自己の内部」にではなく、「自己の外部」に「立つ」ものに置くのが実存主義の基本的な構えです。その点だけから言えば、「人間は生産=労働を通じて作り出した物を媒介にして自分が何ものであるかを知る」というヘーゲル=マルクス主義と基本的なフレームワークには通じるところがあります。「実存」という術語はとりあえずは「自分が『ほんとうは何ものであるか』を知る手がかりとなった、自分の『現実的なあり方』」と理解しておいていただければよいかと思います。
「実存は本質に先行する」というのはサルトルの有名なことばですが、特定の状況下でどういう決断をしたかによって、その人間が本質的に「何ものであるか」は決定されるということです。(「根はいい人なのだが、現実的には悪いことばかりしている人間」は、実存主義的には「悪もの」と評価されるわけです。当然ですけど。)このあたりの基礎的了解については、構造主義者も別に異論はないはずです。両者が対立するのは論件が「主体」と「歴史」にかかわるときです。
私たちはみな固有の歴史的状況に「投げ込まれて」います。例えば私は日本人ですので、そのことだけを理由に旧植民地の人から「戦争責任」を追及されることがあります。私自身が戦争に行ったわけではないのですが、私の生まれたこの国が半世紀前に犯した行為に、私は私の意思とかかわりなく「結びつけられて」おり、それについて謝罪するのか居直るのか無視するのか、はっきりしろとあちこちで迫られます。「私は知らない、私は関係ない、私は中立がいい」と泣きごとを言って責任を逃れることは私には許されていません。
これが「参加《アンガージュマン》」(engagement 原義は「拘束されること」)という事態です。私の置かれている歴史的状況は、非中立的で、「待ったなし」で私に決断を求めてきます。いったい何が起こりつつあるのか、自分はどう決断するのがいちばん「正しい」のか、それについて百パーセント客観的で正確な情報が私に提供されるということはありませんから、こちらとしては、断片的なデータと、直観を頼りに決断を下すしかありません。「正解」を知らぬままに決断を下すのですから、判断を誤ることもあるかも知れませんが、「よく分からないままに決断したのだから」という理由で責任を回避することは許されません。このいささかパセティックな決断が「参加する」(s'engager 原義は「自分を拘束する」)と呼ばれます。
サルトルの「参加する主体」は、与えられた状況に果敢に身を投じ、主観的な判断に基づいておのれが下した決断の責任を粛然と引き受け、その引き受けを通じて、「そのような決断をなしつつあるもの」としての自己の本質を構築してゆくもののことです。これはたいへん凜々《りり》しい生き方だと言えます。(個人的には私もこういうのは大好きです。)
しかし、このあとの議論で実存主義と構造主義は不和を生じます。
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