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黒い扇16

时间: 2019-12-08    进入日语论坛
核心提示:私の秘密尾上勘喜郎がはじめてテレビに出演するというので、寛は父親と一緒にNHKからの迎えの車に乗った。歌舞伎《かぶき》俳
(单词翻译:双击或拖选)
私の秘密

尾上勘喜郎がはじめてテレビに出演するというので、寛は父親と一緒にNHKからの迎えの車に乗った。
歌舞伎《かぶき》俳優のテレビ出演は最近あまり珍しい事ではなくなっているのに、尾上勘喜郎ばかりは再三、数局のテレビドラマプロデューサーからの要請にもかかわらず、固辞して出演しなかった。
「私は昔者でね。まだテレビってものがよくわからないんですよ、手さぐりにでも見当がつけば何事も経験だから勉強のためにも出てみたいと思っているんですがね」
と、ドラマは勿論《もちろん》、ちょっとした舞踊劇程度のものにも断りをいっていた勘喜郎が、とにもかくにもテレビに出てみようという気になった理由を、息子《むすこ》の能条寛は、それがいわゆる娯楽番組でも、ドラマでもなく「私の秘密」というゲーム番組のゲストとしてだったからだと解釈していた。NHKでは最高の番組でもある。
「これは、能条寛さんが付き添いとはデラックスですね。こんな事ならいっそ親子共演という事で顔を出して頂きたいようなもんですよ」
と担当局員が半ば冗談らしく、残念そうに笑った。
「撮影のお仕事は……」
寛は苦笑した。
「今日は済みました。セットなんです」
勘喜郎が言った。
「どうせ家で親父《おやじ》の顔をテレビで眺めているんなら、一緒について来て、御対面のとき、その人が息子《むすこ》の知っているような人だったら手旗信号でもしてカンニングさしてくれって事になったんですがね。よくよく考えてみると、まあ御対面に出て来なさるような人は私の昔むかしの知り人に違いない。まごまごすると寛が生れない時分に逢《あ》った人かも知れないし、どうもこの悪だくみは成功しそうもありませんよ」
親父と息子は目鼻立ちのよく似た顔を見合せて他意なく笑った。
間もなく、高橋圭三アナウンサーの司会ではじまった「私の秘密」は例の通りの好調さですらすらと進んだ。尾上勘喜郎も結構、たのしみながら智恵のある所を披露した。
スタジオのすみで、寛はやっぱり落ち着かない表情で父親を見ていた。今頃《いまごろ》、自宅のテレビに獅噛《しが》みついて見ているに違いない母と兄夫婦を想い出した。妹が戦争中に病死しているから家族は他に女中二人と内弟子三人ぐらいのものである。芸能人の家庭の常で他人の数が多い。
御対面の時間になった。
席から立ち上がってマイクの前に進んだ勘喜郎に近づいて来たのは小柄な老婦人だった。
和服が体にぴったりして、表情は多少、固くなっているが人のよさそうなお婆さんである。
「ええ、勿論《もちろん》、私が勘喜郎襲名以前にお目にかかった方ですね」
勘喜郎の質問に老婦人はうなずいた。
「すると、新之助時代ですか」
「いいえ」
老婦人はうつむいた儘《まま》、暫《しばら》く首をふった。
尾上勘喜郎はその前の芸名は「新之助」であった。勘喜郎の名跡《みようせき》を継いだのは四十歳の時だ。
「とすると……もっと古い時代……勘吉時代、つまり子役の頃《ころ》ですか……」
「いえ、あの、そやおへんのどす」
老婦人の京言葉に勘喜郎は眼を輝かした。傍でマイクを持っている高橋圭三アナウンサーがにこにこ笑っている。
「じゃ、あれでしょう。僕が歌舞伎《かぶき》の世界から遠ざかっていた時分……京都のD大学の学生だった頃《ころ》の……」
老婦人が嬉《うれ》しげにうなずき、忽《たちま》ち涙を眼一杯にためた。
「わかった。わかりましたよ。平安神宮の赤い鳥居の見える家、細かい格子戸《こうしど》のあった玄関……そしてあなたはいつも縞《しま》模様の前掛、赤い紐《ひも》のついたのをしていらっしゃった」
老婦人の瞼《まぶた》からほろりと白い涙がこぼれた。たまりかねたように袖口《そでぐち》を眼へ持って行った。
「はい、その通りです。勘喜郎さん、この御婦人のお名前は……」
高橋アナウンサーにうながされて、勘喜郎は静かに答えた。
「山崎はつ代さん、僕が学生の頃《ころ》、京都で下宿していた家の奥さんでした」
拍手が湧《わ》き、勘喜郎は泣いている老婦人の手を握りしめた。
「山崎さん、お久しぶりです。その節はお世話になりました」
「あなたこそ、御立派におなりになって……」
控え室へ戻ると、勘喜郎は山崎はつ代へ言った。
「今はどちらにお住いですか、京都へ芝居で行ったときに、一度、平安神宮の裏のあの家をお訪ねしてみたのですが、持ち主が変わってしまっていて……」
「そうどしたか。能条さんが卒業なすって五年ほど後に主人が高松に転勤になりまして、それからあっちこっちと……今は娘夫婦の所に厄介になって居りましてなあ、荻窪で旅館をやってますよって……」
「それは、同じ東京に居りながら知らないというのは全く……」
山崎はつ代の付き添いには娘が来ていた。娘といっても四十近い年配である。
「高松で生まれた子どして……一人娘どす」
そんな挨拶《あいさつ》が済むと、勘喜郎は母子を食堂へ誘った。おたがいに話は積り積っている。
二組の親子は勘喜郎が贔屓《ひいき》にしている築地の天ぷら屋へ出かけた。
築地の「天春」は天ぷら屋としては戦前からの老舗《しにせ》だった。小座敷もいくつかあるし、天ぷら以外の小料理も作る。
いつもは好んで店の揚げ場の前の腰かけを利用する勘喜郎なのだが今日はお座敷天ぷらを頼んだ。
座敷の一隅に天ぷらを揚げる仕度が出来ていて、若い衆が次々と好みの品を揚げてくれる。
「そう言えば、私が大学を卒業して再び親父《おやじ》の居る歌舞伎《かぶき》の社会へ帰ると言ったとき、山崎さんがお祝いだと言って天ぷらをごちそうして下すったものだが、おぼえておいでですか」
勘喜郎は目をうるませていた。当時の想い出は彼にとって今までの人生の中で最も波瀾《はらん》に富んでいた時代だけに感慨もひとしおらしかった。
「なにしろ大変な学生さんどしたなあ。大学へ入ったときに、もうれっきとした嫁はんがあって、二年の時にはお子さんが出けたんやもんな」
と山崎はつ代も笑った。
先代尾上勘喜郎の長男として、若手歌舞伎ナンバーワンという位置にあり、大阪の一流の料亭の娘と恋仲になり、周囲に祝福されて結婚した。それほど恵まれた環境にありながら、不意に歌舞伎の社会をとび出して京都のD大学の学生になってしまった勘喜郎の行動は当時、随分さわがれたものだ。
「あの時はそうするより仕方がなかったんですね。芸以外の世界とは絶縁状態の歌舞伎というものに生まれながらにして巻き込まれている自分が怖しくてたまらなかった。社会人としての資格が零だということの不安、歌舞伎の習慣への反撥《はんぱつ》、ま、いろいろとありました。若いから出来た無茶だが、今にして思えばあの時はやっぱりああしてよかったんだと思っていますよ」
勘喜郎はしみじみと言った。
「そうでしょうとも……いい苦労をなさいましたよ。あの時代だけですものね。能条繁という御本名だけで通すことが出来はったのは……日曜日ごとに大阪の奥さんの実家へ逢《あ》いにお出でやして、奥さんはときどき週に、二、三度、洗濯ものなぞに大阪から出て来やはった。ええ御夫婦どしたなあ」
「女房には苦労をかけましたよ。おまけに戦時中に患ったもので、ろくな手当てもしてやれず、命はとりとめましたがすっかり婆さんになってしまいましてね。局から電話で知らせてやったから、もう間もなく此処《ここ》へとんでくるでしょう。テレビを見ていて泣いたそうですよ」
黙々と聞いていた寛は多少退屈していた。天ぷらは腹一杯だし、こういう場合、息子《むすこ》は話の圏外に押し出されがちだ。
ふと、思いついた事があった。細川京子である。山崎はつ代の京言葉で連想したのかも知れない。そう言えば彼女も子供のころに平安神宮の傍に住んでいたと言っていた。
「山崎さんは平安神宮の傍に居られたそうですが、その頃、ご近所に細川さんという方はいらっしゃいませんでしたか」
寛はビールを父のコップに注いでやりながら訊《き》いてみた。
「細川はん……さあ……細川なんといわはりますか」
「それは……」
細川兄妹の父親の名を寛は知らない。
「名前はわかりませんが、小さな子供が、男の子と女の子の兄妹ですが……二人居たんですよ」
「さあ……憶《おぼ》えがあらへんなあ。お知り合いどすか」
「いえ、ちょっと……別にどうということはないんですが……」
寛は慌てて否定した。山崎はつ代は別のことを想い出した。
「ご近所と言えば、南禅寺《なんぜんじ》に近い辺りに三浦先生のお宅がありましたなあ。D大の文学部の先生で学生さんにも人気のあるええ先生やったに、悪い女に迷ってしもうて……」
寛はさりげなく立ち上がって部屋を出た。
細川京子を思い出すことで、彼女との約束を思い出したものだ。
この前、赤坂のニューセントラルアパートで、彼女との会話の際細川昌弥が例の一月五日、大阪のSホテルの能条寛の部屋へ、
「細川昌弥さんではありませんか」
と言う電話(それは細川京子のかけたものと判明したのだが)のあった翌日に、古いアルバムを見ながら、京子に、
「昨夜、思いがけない人に逢《あ》った」
と言ったという、その古いアルバムを見せて貰《もら》う約束である。
それは、千葉の市川の親類へあずけてあると言うことで、京子は二、三日したら市川へ行く用事があるからアルバムを取って来ておくと寛へ言ったものだ。
あれから、もう一週間にもなっていたが、寛はつい、京子へ電話をかけそびれた。あの晩、京子のパトロンらしい男とかち合ったことが、なんとなく寛の気持ちを重くしている。
別に細川京子が好きだったわけでもないし、パトロンに対して何のやましいこともないのだが、アパートへ足が向かない。自分の車のことでアパートの管理人の若い男と小さな争いがあったことも、原因になっていた。
が、そうした感情は別にしても寛はその古いアルバムに関心があった。例の晩、細川昌弥が逢ったという人間、男か女かも分からないが、それが案外、その古いアルバムに貼《は》ってある写真の中の誰《だれ》かのような気がしてならないのだ。そして又、寛はその人間が彼の死因になんらかの関係があるのではないかと想像している。
(なんにしても、アルバムだけは見せて貰《もら》っておこう……)
寛は廊下を電話のある曲がり角へ向って歩いた。
細川京子は居た。
「まあ、寛さん、この間は失礼をしました。本当に気を悪くなさったでしょう。ごめんなさいね。私、旅行してましたの、ええ、箱根へ、ずっと……昨日帰って来たんですのよ。ええ、あなたの車のこと……久子さんから聞きました。今、ここに久子さんが見えてるんですの。そう……あなたからも車のことを私に伝えてくれって頼まれたので毎日、アパートへお寄りになったんですって、私が留守にして居て、今、やっと伺ったところなの。いいえ、本当に私こそ御迷惑をおかけして済みません。はい、アルバム……ええ、市川から持って来ましたわ。あなたとのお約束が気になっていて、昨日、箱根から帰るとすぐに伯母《おば》の所へ行って来ました。ええ、いつでもお見せしますわ。明日……? 明日より今夜のほうが……御都合悪い……? ああ、夜なので敬遠なさっているのね。明日でも結構よ。昼間はお仕事でしょ。そうね。夕方からはちょっと約束があるので……明後日……? 明後日からは又、旅行なの、今度は軽井沢、ゴルフのお供よ、毎度。ですから、やっぱり明日にしましょう。夜の八時|頃《ごろ》、如何《いかが》……そう、じゃお待ちしてますわよ」
受話器を置いて、寛はちょっと考えていた。夜の八時……今度は部屋へ入らず戸口でアルバムだけを借りて帰ろうと思った。
座敷へ戻ると母はまだ来ていなかった。話は相変わらず京都時代のことばかりである。
どこそこの角に柿《かき》の木があったが渋柿だったとか、隣の家の黒猫が六匹も子を産んだことだの、他愛もない昔話ばかりである。
女中が電話を取り次いで来た。
「お宅からでございます」
勘喜郎はすぐに立っていったが、戻ってくると嬉《うれ》しそうに告げた。
「女房の出がけに家へ客がありましてね。それが、やっぱり昔なじみなんですよ。憶《おぼ》えておいでですか、結城慎作という男、僕より二級ぐらい上で……やはりD大の文学部でね。山崎さんの家に厄介になったのは入学して二年ぐらいで、僕とすれ違いみたいな事で学生時代は知らぬ仲だったんですが、女房の縁でもう二十年近くもつき合っている親友みたいなものですよ」
勘喜郎が言うと、山崎はつ代は微笑した。
「憶えていますとも、結城さんなら……」
「そうでしたか。憶えていて下されば結城も喜ぶでしょう。今、女房と一緒に車で来るそうです。女房から山崎さんの事を聞いて、そいつは奇遇だとえらく喜んでるようですよ。まあ逢《あ》ってやって下さい」
「そうどすか、結城さんがねえ、嬉《うれ》しいこと……よくよく今日は幸せな日どすなあ」
山崎はつ代はしみじみと言った。昔をなつかしむように床の間の夕顔の軸を眺めた。
外は夏の宵《よい》らしく、むっとして風もないらしいが、天ぷら屋の座敷は冷房装置が行き届いているから衿許《えりもと》までひんやりと快い。
「奥様の御縁でお知り合いにならはったと言いはりましたが、御親類どすか」
「いや、私の女房と、結城君の妹さんとが清元の稽古《けいこ》友達でしてね。その妹さんというのが不幸なことに御主人に早く死別しまして、銀座で『浜の家』という料理屋をやって居られるもんで、私も女房の縁でちょくちょく厄介になる。結城君は女手一人の商売ではなにかと不便な事も多いので相談役として顔を出す。そんなこんなで知り合ったんですよ。実は今日もその『浜の家』へ御案内しようかと思ったのですが、御婦人の事なのでこういうもののほうがよいかと考えてこの家にしてしまったのですよ」
父親の視線がちらと自分へ向けられたのを知って、寛はなんとなくどぎまぎした。
「浜の家」の名は、いうまでもなく八千代へつながる。そう言えばこの間から二、三度、彼女の許へ電話をしているのだが、いつも女中に留守だと言われていた。
八千代からも一度、青山の家へ電話があったらしいが、その時は寛のほうが留守だった。
「踊りの稽古《けいこ》で忙しがっているんだろう」
と寛は簡単に割り切っていたが、その踊りの会に中村菊四と共演するという話を茜ますみの内弟子の久子から聞かされて以来、なんとなくすっきりしない寛である。
「浜の家と言えばね、寛……」
不意に勘喜郎が息子《むすこ》をふりむいた。箸《はし》の先に海老《えび》の天ぷらをはさんで塩をつけながらである。
「八千代ちゃんが�鳥辺山心中�を踊るって話、聞いてるかい」
寛は唖然《あぜん》とした。
「鳥辺山心中ですか……あの例のジンクスのある……」
「ジンクスなんてのはよく知らないが、相手を踊るのは中村菊四だそうだよ。茜ますみさんの話では本ぎまりになったと今日言っていたがね」
「中村菊四と八千代ちゃんが……」
「お前、八千代ちゃんと喧嘩《けんか》でもしたんじゃないのかい」
みつめられて寛は慌てて否定した。
「とんでもない」
「そうかい。それならいいが……」
海老《えび》を口へ運んでいる父親へ、寛は現在、自分の心を占めている事とはまるっきり無関係な言葉を喋《しやべ》った。
「茜ますみさんの今度のリサイタルにはお父さんも出るんですってね。どういう風の吹きまわしなんですか」
茜ますみのリサイタルには、これまでも彼女と多少、昵懇《じつこん》にしている歌舞伎《かぶき》関係の役者が賛助出演したりして色どりを添えていたが、尾上勘喜郎は今まで一度も舞台上のつきあいはない。今回が初顔合わせというわけだ。
父親が茜ますみという女性に対してあまり好感を持っていないのを寛は知っていた。
温厚な勘喜郎の事だから口に出して彼女の個人攻撃をやった事は一度もない。が父親の感情というのは知らず知らずの中に息子《むすこ》に解るものだし、寛はかつて勘喜郎が、遊びに来ていた八千代に冗談めかして、
「八千代ちゃんもお嫁に行く前の道楽|稽古《げいこ》ならとにかく、真面目《まじめ》に踊りを勉強しようとするなら、今のお師匠さんじゃいけないね。芸ってもんは生活がじかに出るものだから、ますみさんのような女の悪い面ばかりを憶《おぼ》えると才女にはなれても、かわいい奥さんにはなりそびれるぞ」
と笑った事がある。以来、寛は茜ますみに対する父親の感情というものは否であると判断していた。
その勘喜郎が茜ますみのリサイタルに出演し、彼女の相手役をつとめるというので寛は驚いているのだ。
勘喜郎はのんびりと芝エビの吹きよせを突っついていた。息子の質問に答える声も何気ない。
「あちらから一緒に踊らないかとお誘いを受けたのでね。まあ、色々とおつきあいもあるし、勉強にもなろうからと思ってお引き受けしたのだよ」
寛はもう一つ、迫った。
「リサイタルに出る理由はそれだけですか」
「そうだよ」
「本当に……それだけですか」
「ああ、なぜだい」
「いえ……、なんだか納得が行かないんですよ。僕には……」
その時、廊下に数名の足音が止まった。
まっさきに入って来たのは結城慎作だった。格子《こうし》のしゃれたポロシャツを着こなして、相変わらず年齢よりもはるかに若々しい。
「いやあ、おばさん……お婆さんになりましたねえ……」
山崎はつ代の手を握りしめて懐しげに言った。結城らしい言い方である。
「あなただっておつむが随分白くなりましたよ。ロマンスグレーといいますのやろ」
山崎はつ代が逆襲し、どっと笑いが起こった。尾上勘喜郎の妻の初子が続いて山崎はつ代に挨拶《あいさつ》し、はつ代が娘を紹介して女同士の長いお辞儀が続いているすきに結城慎作は勘喜郎へ言った。
「実は、ちょっとした事が起こってね。君に話しておきたいと思って青山へお邪魔したのだよ。それが、例のD大時代の先輩の事なんだ。まあ、あとでゆっくり……」
ちらと寛へ向けた結城の目に、寛は或《あ》る意志のようなものを感じ取った。
翌日、寛が撮影所を出たのは午後五時前であった。予定より小一時間も早く仕事が終わった。
ジャガーの二四サルーンを運転して都心へ帰りながら、寛は余った時間をどうしてつぶそうかと考えていた。細川京子との約束の午後八時までには三時間もある。
青山の自宅へ戻るのも何となく億劫《おつくう》なものである。
「久しぶりで八千代ちゃんの所へ飯をご馳走《ちそう》になりに行こうかな」
一度はそう思った。彼女の部屋で彼女のお給仕で食事をするのは想像するだけでも楽しい。しかし八時に細川京子のアパートへ行く事を考えると、それもためらった。八千代の部屋へ落ち着くと、出かけて行くのが嫌になりそうな気がする。細川京子のアパートを訪ねる前に八千代の顔を見るのも気がとがめるようであった。別に二人の女をどうというわけではないが、寛の良心に引っかかるのだ。京子の自分に対する感情を本能的に気づいているせいかも知れなかった。
「久しぶりにバーでも覗《のぞ》いてみるか」
寛は車を銀座のデパート裏の駐車場へ止め、そこから五十メートルばかり先の路地の奥に「ガス灯」とネオンの出たバーの階段を下りた。
地下のバーは暗く、せまかった。ここのマダムがT・S映画の往年の美人女優なので自然、芸能関係の客が多い。寛もここへは割合によく来る。
「珍しいわね。今日はお一人……」
カウンターの客と話していたマダムが入って来た寛へ笑いかけた。言われてみれば寛はバーへ一人で酒をのみに来るという真似をあまりしない。友達と一緒か、このバーへは八千代をよく誘って来た。
「時間が余っちゃったんだよ。それにちょっぴりマダムにも逢《あ》いたかった」
寛は彼にしては珍しく冗談を言った。
「ちょっぴりはご挨拶《あいさつ》ね。他の人じゃ聞きのがし出来ない台詞《せりふ》だけれど、寛さんじゃ仕様がないわ」
寛がカウンターに坐《すわ》るとバーテンがブランデーグラスを取った。
「あっためますね」
念を押した。
「ああ」
上着を脱ぎながら応じた。バーの女の子が脱いだ上着を受け取る。
煙草を唇にくわえたまま、寛はバーテンの手元を見ていた。僅《わず》かばかりのブランデーを入れてそれにマッチで火をつける。青い、きれいな炎をバーテンの指が器用にグラスを回して、要するにグラスをあっためるのだ。日本酒のおかんと同じ事である。
「はい、お待ち遠さま」
バーテンが寛の前へブランデーを置いたとき、ドアがあいて、新しい客が入って来た。
「よう寛ちゃんじゃないの」
入って来たのは中村菊四だった。支那服の女を連れている。
寛と並んでカウンターに腰かけた。そのくせ、最初の挨拶《あいさつ》だけで寛を無視し、他愛もない話を連れの女と喋《しやべ》っている。
「能条さん、昨日の私の秘密みましたよ。寛さんのお父さんの……」
バーテンが新しいヘネシーの封を切りながら寛へ言った。
「ああ、あれ、みてくれた……」
寛が応じるとマダムも言葉をはさんだ。
「そうそう、昨日ね、三十分、うちじゃ営業停止してテレビにかじりついちゃったのよ」
店の角に小型のテレビが置いてある。客の好みによってスイッチを入れるが普段はあまり映さない。静かなムードがこわれるのを怖れてのことらしい。
「ナイターやボクシングの中継を目当に来るような大きな息子《むすこ》さんのある年齢には見えなくてよ。それと、おつむがいいってのか、勘が鋭いってのか、驚いちゃったわ」
マダムの言葉は単なるお世辞のようではなかった。父親のよい噂《うわさ》は寛にしても悪い気持ちはしなかった。
「ふん、私の秘密か……」
不意に中村菊四が小馬鹿《こばか》にした言い方をして笑った。
「人間|誰《だれ》しも秘密あり、殊に女は秘密だらけさ」
かなり酔った声である。
「まあ失礼しちゃうわね。どうして女ばかり秘密が多いの。男だって年中、秘密だらけじゃないの」
支那服の女は甲高《かんだか》く言った。ピンクのサテンの支那服が華奢《きやしや》な体にぴったりしている。テレビ女優らしかった。耳たぶでイヤリングが光っている。
菊四は女に答えず、寛へ言った。
「最近『浜の家』の八千代に逢《あ》うかい」
菊四の口から八千代の名が呼びすてにされたので、寛はなにかあると直感した。
「いや、どうして……?」
「喧嘩《けんか》わかれでもしたの」
「別に……何故だと聞いてるんだよ」
「それじゃ、もう彼女にあきて他の女あさりを始めたってわけか」
菊四はうそぶいた。
「なに言ってんの、菊四さん、寛さんがそんなえげつない事すると思って。第一、彼は彼女にぞっこんよ。ご存知ないの」
マダムが見かねたように口をはさんだ。二人の間の険悪なものを察したものだ。
「なるほどね。寛は俺《おれ》とは違いますからね。人間の出来が違うか、育ちが違うか」
菊四はハイボールをあけて意味もなく笑った。
能条寛が答えないでいると菊四は枝豆をつまみながら、じろじろと相手の表情を肩ごしに窺《うかが》った。
「マダム、僕、今度の茜ますみ女史のリサイタルに出るんだよ」
寛をさしおいて、菊四はマダムへ声をかけた。
「まあ、そうですの。茜さんのリサイタルに……。それじゃ、なんですのね。菊四さんの浮気もその見当かしら」
商売だから言葉は柔らかいが、マダムは多少皮肉っぽい視線を菊四へ向けた。
「まずはお門違いだね。茜さんの相手役は寛の親父《おやじ》さんさ。僕は薗八節《そのはちぶし》で鳥辺山を踊るんだ。見に来てくれるね、マダム」
「そりゃ拝見にうかがいますわよ。菊四さんの浮橋ならさぞかし色っぽいでしょうね」
「と思うだろうが、さにあらず、僕は芝居じゃ女形《おやま》だけど、今度の踊りじゃれっきとした立役をするのさ」
「へえ、じゃ縫之助を踊るの。菊四さんもテレビへ出るようになってからぐっと男役づいてるんじゃない」
「だって、もともとが男性だもの。大体、僕みたいな男性中の男性に女形をやらせてたのが間違いなのさ」
「言うわね。全く……」
マダムは遠慮のない眼で菊四を眺めた。中肉中背はいいとしても色が白く、眼鼻立ちも神経質な菊四である。
「菊四君」
ゆっくりと寛がきいた。
「君が踊るという鳥辺山ね。相手役は誰《だれ》にきまったんだい」
相手は得たりと大きく答えた。
「勿論《もちろん》、八千代だよ。浮橋を踊るのは……」
「彼女が承諾したんだね」
「言うにゃ及ぶさ」
予期した返事だったが、寛は顔が青ざめるのを感じた。
茜流の「鳥辺山」のジンクスは寛も知っている。それを話してくれたのは八千代自身だった筈《はず》だ。心の底で、まさか彼女が……と思う気持ちがうずいている。
「信じられないようだね」
菊四は引きつったような笑いを浮かべた。
「でもね。僕は八千代と神田の『みずがき』でちゃんと約束したんだよ」
「『みずがき』……?」
「そうさ。神田の割烹《かつぽう》旅館さ、寛君のような品行方正な男性にゃ用のない所だよ」
菊四はすっと止まり木を離れた。連れの女をうながすとさっさとバーを出て行った。
「菊四君」
「腰を浮かし、寛は追うのを止めた。流石《さすが》に頬《ほお》から血の気が引くのを感じた。
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