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黒い扇20

时间: 2019-12-08    进入日语论坛
核心提示:夜の境内結城《ゆうき》慎作の家を出ると寛《ひろし》は門灯が思い思いに光っている住宅街を抜け、正面に見える石垣に向かって車
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夜の境内

結城《ゆうき》慎作の家を出ると寛《ひろし》は門灯が思い思いに光っている住宅街を抜け、正面に見える石垣に向かって車を進めた。
「この上の森はなんだい」
石垣はかなり高く、それに沿って坂道がゆるく傾斜している。
「神社よ。この辺の氏神様の境内《けいだい》だわ」
「車で上まであがれるかな」
「ええ、その坂を上がると左側が区民会館で右のほうが神社の境内よ。正面は石段だから勿論《もちろん》、車は駄目だけど、坂は別に車馬通行禁止じゃなかったと思うわ」
八千代はいつか結城の伯母《おば》とその境内を散歩した時の記憶をたぐりながら答えた。
「車馬通行禁止はよかったな」
笑いながら寛がハンドルをひねったので、八千代はびっくりした。
「お宮へ行くつもりなの。こんな夜に……」
「まだ八時前だよ。暑さしのぎに散歩してみないか」
車は八千代の返事を待たずに境内へ乗り入れた。区民会館前の駐車場で寛は車の鍵《かぎ》を取り出した。
区民会館の白い建物は大きく窓が開け放されていて、若い男女がしきりと動いている。六、七人のグループだった。大きな声で叫び出した一人が大げさなポーズをしているので八千代はあっけにとられたが、よく見ると彼らは芝居の稽古《けいこ》をしているのであった。隅のほうに更に五、六人がかたまって眺めている。近頃《ちかごろ》、めっきり数が増えたという群小劇団のグループが区民会館を貸りて稽古を行っているものらしかった。
駐車場の先に関所のような木戸がある。そこを通り抜けると神楽殿《かぐらでん》が黒々と立っていた。
「随分、広い境内じゃないか。東京にはちょっと珍しいね」
古風な昼夜灯と殺風景な外灯が適当な位置に並んでいる。
「由緒があるんですってよ。伯母《おば》の話では。もっとも神社とか寺院とかには大抵、ややっこしい由緒《ゆいしよ》とか故事来歴があるものらしいけど」
二人は石畳をぶらぶら歩いた。右側が池である。暑苦しい夏の宵《よい》を避けた夕涼みのグループがそこここの木陰を占領している。浴衣《ゆかた》姿が多いのは近所の人々なのであろう。
「割合人がいるねえ」
寛が感心して呟《つぶや》いた。
「どこか涼みながら、ゆっくり話せる所はないかな」
石畳を突き当たって左へ折れた。右は参道でその儘《まま》行くと石段があり下は大通りである。
左は小暗かった。道も細い。樹木がトンネルのように枝を伸ばしていた。
門があった。寺である。インドの寺院みたいな四角い建物がひどくモダンだった。
寺の建物の横に墓場の石塔が見えた。
寛が墓場の方へ足を向けたので八千代は思わず腕を掴《つか》んだ。
「嫌だわ。寛、どこへ行く気なの」
「なんだ。怖しいのかい。八千代ちゃん」
「薄気味が悪いわ」
寛が足を止めないので八千代は引きずられた恰好《かつこう》で墓場へ入り込んだ。
「薄気味悪いのは生きてる人間さ。死んじまったらきれいなもんだ。影も形もなくなったら心をかくす場所がないだろう。赤裸々な魂がひっそりと寝静まってる墓場なんてすごくロマンティックなものじゃないかな」
石塔の間を寛は物色して歩いた。
腰かけるに適当な墓石を探しているらしい。
墓地の中央に松が一本生えていた。その根もとに墓石というよりは碑みたいな石が黒々と築かれている。一坪ほど碑を取り巻く地面があってその周囲を石の柵《さく》がめぐっていた。形の平たい台石が二個並んでいる。
「ここがいいよ。ここへ坐《すわ》ろう」
寛は大判のハンカチを出して一つの石に拡げた。
「お坐りよ」
仕方なく八千代は石へ腰を下す。並んで坐りながら寛は墓石を眺めた。大きな文字が石に刻まれている。月明りに読めた。
「篤信斎藤先生之墓」
闊達《かつたつ》な文字である。
「なんだ。こいつは斎藤弥九郎のお墓じゃないか」
素頓狂《すつとんきよう》な声だったので八千代は辺りを見回した。墓の下の幽霊が彼の声でめざめるのを怖れるような顔色である。
「なに、斎藤弥九郎って……」
そっと訊《き》く。
「江戸時代の剣客さ。幕末だよ。神道無念流だったかな。そう言えば彼が晩年、代々木野へ住んだってのを小説かなんかで読んだよ。彼のお墓がこれかあ、成程ねえ」
寛はアメリカ大陸を発見した時のコロンブスみたいに感激して言った。
「いいじゃないの。そんな剣客のお墓なんか、どうだって……」
八千代は少しむくれた。こんなロマンティックな夜に二人きりでいて、男性はそんなくだらないことに夢中になるものかと情ない気がする。女はムードに弱いというが、寛の場合、ムードなんか爪《つめ》の先ほどもない。
寛は漸《ようや》く、墓石から遠い夜景に眼を転じた。ワシントンハイツが見渡せる。戦争までは代々木練兵場と呼ばれていた広大な地域にアメリカ軍の家族の建物が並び、正面には彼等の子供のための学校すら出来ている。
一か所、提灯《ちようちん》が万国旗のようにつるされ、派手なジャズが聞こえてくる。夏の夜のためのガーデンパーティの会場らしい。
「ねえ、寛、寛ったら……」
八千代はしびれをきらした。黙っている事が不安でもあった。
「細川京子さんを殺したのは誰《だれ》なの。なんのために彼女は殺されたの。寛はなにか知っているんじゃないの」
寛はワシントンハイツの灯から眼を離さずに答えた。
「それはもっと捜査が進んでみないとわからないよ。しかし、結城の小父《おじ》様もおっしゃってたようにこの殺人は単なる物盗りや行きずりの強盗ではない。つまり室内を物色した形跡もないし、飾り戸棚の引き出しにあった宝石や装身具も、箪笥《たんす》の中の貯金通帳、五万円ばかりの現金、そうしたものに一切、手を触れていないこと。それから裸で殺されているけれど……彼女が凌辱《りようじよく》されていないことだ。これは相当、問題になると思ってるんだ」
「そうすると、犯人は京子さんの知ってる人ね」
「だろうと思う。それも余《よ》っ程《ぽど》、彼女と親しい人間だね」
「親しい人……」
八千代は咄嗟《とつさ》に岩谷忠男のでっぷりした姿を思い出した。岩谷忠男はビール党である。京子の部屋のテーブルにはビールが出ていた。しかし、岩谷忠男にはアリバイがある。
「でも、京子さんが大東銀行の岩谷さんの……」
二号と言いかけて八千代は別の表現を考えた。
「岩谷さんの愛人だったなんて少しも知らなかったわ」
岩谷忠男が八千代の踊りの師匠である茜《あかね》ますみのパトロンだった事は無論、八千代も知っている。
「全くだ。そういえばいつか、僕が車のことでニューセントラルアパートへ来て、ばったり茜ますみさんの所の久子さんと逢《あ》ったとき、彼女が細川京子さんと茜ますみさんは昔、京都に住んでいた時分に家も近所で、親しくしていたが現在は絶交状態だと言ってね。僕がその理由を訊《たず》ねたら、口をにごして話さなかったんだよ」
「まあ、そう……」
茜ますみと京子の兄の細川昌弥は、或《あ》る時期、愛人同士だったという。愛人の妹である京子と、兄の愛人であるますみとの仲が険悪になったのは、どうやら岩谷忠男が原因らしい。もっとも、茜ますみについて言えば、小早川喬と結婚する気で岩谷を裏切ったのだから、岩谷が誰《だれ》のパトロンになろうと文句の言えた義理ではないが、女の感情というのはそう単純に割切れないのだろう。
一方、岩谷にしてみれば、新しい愛人をわざわざ茜ますみの家と隣合せのデラックスアパートに住まわせたのは、自分へ叛旗《はんき》をひるがえした女への面当ての気持ちもあったに違いない。
「女って悲しいわ」
「茜ますみさんも、細川京子さんにしても良い男性にめぐり合わなかった事が不幸なんだよ。純粋に愛し合い、信頼するに足る、苦楽を共にして悔いないような生涯に只《ただ》一人の男性にね。その点、君は大丈夫だよ。おこがましいが僕ってものが存在するからね」
寛が肩をそびやかしたので八千代は笑い出した。
「御親切に。感謝して居りますわ」
おどけた言い方だったが、本心でもあった。
「ねえ、八千代ちゃん……」
言いにくそうに寛が言った。八千代の笑い声に勇気を得て口を切ったような感じである。
「女の人の下着って、どんなものをつけてるの」
八千代の凝視にぶつかると慌てて説明を加えた。
「いや、君のことじゃないんだ。一般に……一般の女性の常識としてだよ」
「何故、そんな事を訊《き》くの」
流石《さすが》に八千代は赤くなった。
「今度の事件の参考なんだ。要するにね。京子さんを殺した犯人は最初、彼女と一緒にビールを飲んでいた。ちょっとした隙に、彼女がトイレにでも立った時かなんかに彼女のビールへ毒物を入れる。知らずに彼女はそれを飲み昏倒《こんとう》する。それから京子さんの着衣をはいだと仮定した場合にね。女の下着ってものがそんなにたやすく脱がせられるかって事なんだよ」
寛も照れていた。いくら恋人同士でもまだ話の限界がある。寛が口籠《くちごも》ったのも無理はなかった。
「そうねえ」
八千代は目をおとして考え込んだ。
「京子さんはおそらく家庭着でしょう」
「結城の小父《おじ》様はブラウスにスカートとおっしゃったよ。下着と一緒においてあった服がね」
「ブラウスとスカートなら、せいぜいブラジャーとスリップ。ペティコートをつけてるかしら。お家だから靴下ははいてないでしょうからコルセットもガータベルトもしていらっしゃらなかったと思うわ。下はパンティでしょう」
八千代は都合の悪い単語は早口で喋《しやべ》った。
「ごく単純に見つもってもブラジャーとスリップとパンティとブラウスとスカートか」
寛は指を折って数えた。
「それにしたって女の下着ってのは紐《ひも》だの、ボタンだの、色々ついていて厄介なんだろう」
「そうねえ、カギホックぐらいだけど、大体が体にぴったりしているものでしょう。割合に脱ぎ着は大変よ。殊に当人以外の人がする場合は人形の着せかえみたいな具合には行かないでしょうね」
八千代は女学校時代に休憩時間、級友の一人が平均台から落ち、肩と胸部を打って病院にかつぎ込まれた際、下着が脱がせられなくてスリップもブラジャーも鋏《はさみ》でずたずたに切って手当てをしたという話を思い出した。それを話すと、寛は我が意を得たりとばかりうなずいて言った。
「当人に脱ぐ意志がなく、しかも死体なんだ。そう手ぎわよく脱がせられるだろうか」
「犯人が余っ程、器用な人か……」
そこで八千代は気がついた。
「寛は……犯人が女ではないかと思ってるのね」
「結城の小父様が状況説明の時、おっしゃったね。台所に洗ったコップが一つあったって。それは犯人が京子さんと一緒に飲んだコップなんじゃないかと思うんだ。指紋とか唾液《だえき》とか、それらが手がかりになるのを怖れたのか、それとも自分の使ったのをそのままにしておくのが嫌だったのか、コップがきちんとコップ専用の洗いあげのプラスチックの棚に乗っていた状況からすると、コップを洗ったのは女だと思うよ。男なら洗ってもそこらへ伏せとくだろう。コップ専用の水切り棚なんて気がつくだろうかな」
「そうねえ」
言われてみればそんな気もする。プラスチックの棒を曲げて作ったコップ挟みは洗った後、その棒の上にコップをかぶせておくと固定して自然に水が切れる。六個が一組になり上に手がついていて、そのまま持ち運びも出来る。台所の新製品であった。
「コップのことと下着のことで、僕は犯人が女じゃないかと考えたんだ」
「犯人が女……」
細川京子の知っている女で、ビールが飲めて京子に殺意を抱く女……。
(茜ますみ先生……)
浮かんだ顔はそれだけである。岩谷忠男という男性を中心においた場合、茜ますみが細川京子に怨《うら》みを持たないとは言い切れない。女の三角関係は得てして対象となるべき男性は憎まれず、逆怨みに相手の女を憤《おこ》る。
「でも……犯人が女だったら、死体をバスルームまで運ぶのが難しくないかしら」
八千代は必死になった。人間的には尊敬できない人でも師匠である。殺人犯とは思いたくないのが人情だろう。
「大柄な女ならなんとかなるだろう。細川京子さんはそれ程、肥っていない」
八千代は絶句した。茜ますみは女にしては大柄な人である。家も近い。
「ねえ、八千代ちゃん、もう一人、ずっと以前に京子さんとよく似た死に方をした人があるだろう」
寛に言われて八千代はあっと声をあげた。
「海東先生も修善寺で……」
寛は昼の暑さの残っている石塔の表面を軽く掌《て》で撫《ぶ》しながら続けた。
「海東英次先生が茜ますみさんの門下生の年末慰安会が修善寺で行われたとき、同行して急死したのは昨年の十二月六日だったね。あの時も死体は風呂場で発見され、しかも海東先生は死の直前までビールを飲んでいた」
「でも……海東先生は心臓|麻痺《まひ》だったわ。京子さんは明らかに青酸カリの毒殺でしょう」
八千代は辛うじて抗議した。胸に浮かんだ犯人のイメージを打ち消したかった。
「異なる点はそれだけだよ。共通点、つまり作曲家の海東英次氏と細川京子さんの死の類似点は死体現場が風呂《ふろ》場で裸体であること、ビールを飲んでいること、それからもう一つあるね」
「もう一つって……」
「両方共、茜ますみさんと特殊な間柄にあるって事だよ」
海東英次と茜ますみの仲は公然の愛人同士であった。細川京子は茜ますみとかつては交渉のあった細川昌弥の妹で、茜ますみのパトロン、岩谷忠男の現在の愛人ということになる。
「ねえ、八千代ちゃん、つくづく考えてみると昨年の海東英次氏の死から細川昌弥君の自殺、小早川喬の轢死《れきし》、それから今度の細川京子さんの事件と四つの死が全部、一人の女につながっている。つまり、四人共、茜ますみさんに関係のある人たちばかりだということなんだよ」
「でも……寛、だからって必ずしも……」
「茜ますみさんを疑うのは根拠が弱いというんだろう。僕も勿論《もちろん》、まだ彼女が四つの死の犯人だとは断定していない。しかし、少なくとも彼女が四つの死になんらかの意味のある存在じゃないかと考えてるんだ」
寛は手を伸して夏草をむしった。しっとりと夜露が下りている。
「歩こうか」
寛が立ち上がり、八千代はハンカチを取ってハンドバッグにしまった。後で洗って返すつもりである。
墓地を抜けた時、二人の前を小さい光がかすめた。蛍である。
「蛍がとぶなんて東京の中の田舎《いなか》だね」
「籠《かご》から放されたのかも知れないわ」
縁日かなにかで買って来たものが飼い主によって自然に帰されたのかも知れなかった。
「墓場でみる蛍の光って、なんだか人魂《ひとだま》みたいな感じだね」
寛の言葉で八千代は肩をふるわせた。小さな蛍火は薄幸だった細川京子の魂を想わせる。
「それにしても、昨夜、もし寛が京子さんとの約束通り、八時にアパートをおたずねしたら……」
もし、寛が撮影所から銀座に出て、時間待ちのためにバー「ガス灯」へ寄らなければ、寄ったにしても菊四から八千代に関して思わせぶりな台詞《せりふ》を聞かなければ、寛は約束通り八時にニューセントラルアパートを訪ねている。
「私、なんだか気がかりでならないの。私のために寛が京子さんとの約束をすっぽかした。それが京子さんの死に関係があるんじゃないかしら、少なくとも八時に寛が京子さんを訪問していたら、京子さんは殺されなくて済んだのではないかしら」
だとすれば、京子の死の直接原因は自分にあるような気がして、と八千代は訴えた。
「なんだ。そんな事を気に病んでたのか」
寛は笑い捨てた。
「僕はむしろこう考えてるんだ。僕があの時間に京子さんと逢《あ》うということ、それ自体が京子さんの殺される原因だったんじゃないかという意味なんだよ」
二人は寺院の門を出て木《こ》の下闇《したやみ》をいつのまにか手をつないで歩いていた。
「要するに、京子さんを殺害した犯人は、僕が昨夜、京子さんと逢っては困る。言いかえると僕が京子さんと逢う目的が、犯人に京子さんを殺させたという推察なんだ」
「寛が京子さんと逢う目的っていうと……アルバムを見せて貰《もら》うこと……?」
「そうだ。僕は昨夜、京子さんから、細川昌弥君の古いアルバムを見せて貰うことになっていた。そのアルバムには細川昌弥君が失踪《しつそう》直前に京子さんへ、昨夜珍しい人に逢ったといいながら眺めていた写真が貼《は》ってある。僕はその珍しい人というのがアルバムの中の写真にある人に違いないと思うんだ」
古いアルバムの中にあった昔の知り人と偶然、再会した翌日、その昔の写真を取り出して眺めるというのは自然な感情であり動作でもあろう。
「僕が京子さんからそのアルバムを見せて貰って、その中から一枚の写真を発見することを阻止するために犯人は京子さんを殺したんじゃないだろうか」
「だったら、寛、犯人は……」
「僕が八時に京子さんを訪問してアルバムを見せて貰《もら》うことを知っていた事になる。そして僕の推量が当たっているとしたら、その犯人は細川昌弥君の自殺にも深い関連がある」
「でも、寛、犯人はどうしてあなたが八時に京子さんを訪問してアルバムを見せて貰うということを知ったのかしら」
八千代は当然な疑問をすらすらと口に出した。
「僕もそれを考えている。あの約束をしたとき、僕は京子さんと二人きりだった。知っているのは僕と京子さんだけだ。僕は誰《だれ》にも話していない。昨夜の時間の直前に君と染ちゃんに説明しただけだ」
「私と染ちゃんじゃ……」
昨夜は三人共、終始一緒に行動している。三人の中の一人が犯人になることは不可能だった。
「京子さんが誰かに話した。その話した中の一人が……としか考える余地がないんだが、誰に話したのか見当はまるでつかない」
肝腎《かんじん》な京子は既に物言わぬ人になっている。彼女の生前の交友を当たってみた所で、まるで大海に落ちたイヤリングの片方を探すみたいな頼りなさである。
「それとね。八千代ちゃん、僕の推察が間違っていないとすると、京子さんは僕がニューセントラルアパートを訪問する筈《はず》の八時以前に殺されていた筈だ。それでなければ犯人の目的は遂げられないだろう」
「つまり、寛が急に京子さんを訪ねることを放棄した、寛の予定変更は犯人の計算に入っていなかったのね」
「と思うね。何故なら僕の予定変更は僕の心の中で昨夜、突然に起こったことで、撮影とか仕事の関係で必然的にそうなったのじゃないんだ」
寛は自分の言葉を慎重に吟味《ぎんみ》しながら喋《しやべ》り続けた。
「もし、僕が最初の予定通り、八時きっかりにニューセントラルアパートへ細川京子さんを訪問したとする。ノックしても答えはない。ドアを押してみる。死体発見をした岩谷忠男氏の運転手はドアに鍵《かぎ》がかかっていなかったといっている。僕が八時にドアを押したとしても、条件は同じだろう。運転手が発見したのは翌朝だが、僕の場合は京子さんが殺された直後という事になる。僕が死体発見者だった時に、果たして運転手と同じく単なる死体発見者で済むだろうか。青酸カリは絶命するのに数分を要さない」
八千代は息を呑んだ。寛の言う意味が次第にはっきりして来たのだ。
「八千代ちゃんは結城の小父《おじ》さんから聞いた筈《はず》だ。昨夜、七時過ぎ僕によく似た感じの男がニューセントラルアパートの周囲をうろうろしていたこと。勿論、それは僕じゃない。しかし、それから判断するとこういう事も言えるんじゃないか。僕が先に京子さんを殺して或《あ》る時間をアパートの傍でつぶし、改めて死体発見者をよそおったのではないかということさ」
木《こ》の下闇《したやみ》の細道を抜けると再び神社の参道へ戻った。
石畳をさっきとは逆に神社の正面へ向って歩く。
「だったら、寛、犯人は寛を……」
八千代はそこに思いついて慄然《りつぜん》とした。
「そうなんだ。僕を細川京子殺しの容疑者として仕立てあげる。少なくとも今度の殺人事件はそうした犯人の下心があったんじゃないかと思うんだ。僕が八千代ちゃんの問題で約束の時間に京子さんを訪問しなかったのは犯人にとって当てが外れた結果になったんだろうね」
「でも、犯人はどうして寛をそんな怖しい……。寛になにか怨《うら》みがあるのかしら」
池に沿って小道へ折れながら八千代は訊《たず》ねた。
「犯人は気がついたのだよ。僕らが犯行の跡を探っていること、言いかえれば黒い扇に興味を持っていることだよ」
「黒い扇に……」
「そう、僕は海東英次先生、細川昌弥君、小早川喬氏、細川京子さんと四つの死体が一本の線の上におかれるべきだ。言いかえると四つの死因に同一の犯人の顔を僕らは想像している。四つの死の中の二つは自然死、自殺という形になっているけれど、僕はそれにも或《あ》る犯人の手が動いたのだと信じている。犯人は僕のそうした推理に気づき、同時に邪魔な存在になって来ているんだ」
「だとしたら……」
八千代は肩をすくめた。
「私、怖いわ」
「大丈夫だよ。智恵《ちえ》と智恵の勝負さ。八千代ちゃんには僕がついてるじゃないか」
「でも……」
「僕じゃ頼りないかい」
寛が足を止めて、顔をのぞいたので八千代は赤くなった。
「そんなことないけど……心配だわ。私のことより寛の体がだわ」
正直、八千代は後悔しはじめていた。
「こんな事になるのも、私が修善寺で黒い扇なんか拾って来たからだわ。止せばよかったのに……」
「なに言ってるのさ。カメラは回り出してるんだぜ。中途で放り出せるもんか」
パトロールの警官が近づいて来た。突っ立っている寛と八千代をじろじろ眺めてすれ違って行った。
「歩きましょう。寛」
立ち止まっている事に八千代は羞恥《しゆうち》を感じた。
「日本の警官って野暮な奴《やつ》だな」
寛は聞こえよがしに言って歩き出した。左側に大きな藁《わら》屋根が見える。
「なんだい。これは……」
「古代住居|趾《あと》ですって、何年か前に発掘されて復元されたものなのだそうよ」
八千代は以前、結城の伯母《おば》に教えられた通りを言った。
黒い住居趾の屋根は昼見るより怪奇な感じがした。蝙蝠《こうもり》が羽を拡げてうずくまっているような感じである。
八千代はふと、この春、結城の伯母《おば》とこの境内に散歩に来た時のことを想い出した。あの折、伯母の連れていたポメラニアンの子犬が池に落ちて……それを助けてくれたのは茜ますみの所の内弟子をしている五郎だった。
(五郎さんのアパートはこの近くだと言ってたけれど……)
彼とは最近、稽古場《けいこば》でもあまり顔を合わせない。花柳界の稽古へ茜ますみの助手として従《つ》いているらしかった。
(五郎さんと言えば、菊四さんの言葉だと彼と久子さんとが恋人同士らしい。おまけに小早川喬の殺人にはどうも五郎があやしいと菊四さんは言っていたけれど……)
池のふちではアベックが抱き合って夜空を眺めていた。二人が傍を通っても寄せ合った頬《ほお》を放そうともしない。
ちらと眺めただけで八千代は自分の方が恥ずかしくなった。寛がどう思ってみているかと気になったりした。
「八千代ちゃん、僕、結城の小父《おじ》さんに頼んでみようと思うんだ」
不意に寛が言ったので、八千代はどきりとした。二人の結婚のこと、と連想したのだ。
「なにを……?」
「アルバムのことさ」
八千代ははぐらかされた動揺をかろうじて微笑にまぎらわした。
「アルバム……?」
「細川京子さんの部屋にアルバムが残っているかどうかということさ」
寛は八千代の気持ちに頓着《とんちやく》なく話した。
「おそらく、京子さんを殺した犯人は、アルバムを持ち去っているに違いない。念のために確かめてみたいんだ。アルバムがもし無事に残っていたとしたら、僕の推理は最初からやり直さなければならない」
「伯父《おじ》様の家へ、これから戻ります?」
八千代はわざと固い声を出した。
「いや、もう遅いし、家へ帰ってから電話でお頼みしてみよう。小父さんなら警視庁の方とも親しいし、なんとかして下さるだろう」
境内を横切って二人は神前で頭を下げ、車を止めてあった区民会館の広場へ帰った。
鍵《かぎ》を取り出して車へ近づいた寛を、八千代は少しばかり淋《さび》しげな面持ちで眺めた。ロマンティックな夜の境内を散歩したのに、
(これが恋人なのかしら……)
ちょっぴりだが、不満だった。が、それは車が走り出したとたんに解消した。ハンドルを握ったまま、寛が八千代の耳へささやいたものだ。
「僕は、神前でお辞儀をした時、なんて祈ったと思う。隣に居るのが僕の恋人です。お間違いなきように……」
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