再び重右衛門日記
五月十七日
晴天。
足の痛み手の痛み去りて爽《さわ》やかなり。この分ならば、再び生き長らうる望みあり。故里にては何の花咲く頃《ころ》か、思いたるのみにて、胸熱し。
利七、辰蔵、常治郎の三人、少しく元気になりたれば、朝より喧嘩《けんか》口論絶えず。浅間しきことなり。午《ひる》過ぎ、岩松何を思いしならむ、髪剃《かみそ》りを持ち来たりて吾らに言う。手足出すべしと。何をなすやと問うに、斑点の黒き血、切りて絞り出さんと。恐ろしきことを言い出したりと、皆顔を見合わすに岩松言う。北前船《きたまえぶね》に乗り居たる時、黒き斑点を剃刀《かみそり》にて切らば命助かると聞きたり。その時は気にもとめず今まで打ち忘れていたるが、確かに命助かるものならば、その黒き血を切り出すがよしと。利七言う。黒き血と共に赤き血も出でてとまらざらば如何《いか》になすや。死ぬより外《ほか》なかるべしと。吾《われ》も仁右衛門も、共に同じ思いなれば、またの時にすべしと断る。
されど常治郎のみ手を出す。岩松ためらいもせず剃刀にて切り、黒き血を出し、そのあとに、塩をすりこめば、常治郎|呻《うな》りを上げてまろびのた打つ。岩松恐ろしき男なり。