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海嶺139

时间: 2020-03-18    进入日语论坛
核心提示:二 三人がフォート・バンクーバーに来て、驚いたことはたくさんあった。七日目毎に、村中の人がマクラフリン博士の広間に集まっ
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 三人がフォート・バンクーバーに来て、驚いたことはたくさんあった。七日目毎に、村中の人がマクラフリン博士の広間に集まって、礼拝を守ることもその一つだった。この日ばかりは、造船所も、店も、管理事務所も休みであった。畠《はたけ》を作っている者たちまでが、畠仕事を休んで教会に来る。そしてその日一日は仕事を休んだ。
「奇妙な習慣やな」
先ず第一に岩松が驚いた。
「ほんとやな。七日目七日目に仕事休んで、商売になるんかな」
久吉も相槌《あいづち》を打った。
「日本では、朔日《ついたち》と十五日、そして盆と正月くらいやな」
「そうや。うちの父っさまは、漁師やから、恵比須講《えびすこう》には休むがな」
「そうやそうや。そして職人は太子講《たいしこう》に休むぐらいや。こんなに七日目七日目に、何で休まにゃならせんのかな」
三人は不思議がった。が、久吉が言った。
「けど、休みの多いのはいいことや。朝から晩まで、毎日毎日働いたら、隣村にもなかなか行けせんでな」
三人はそんなことも幾度か話し合ったものだ。
「これで、お詣《まい》りがなけりゃ、サンデー(日曜日)はまるまる休めるのにな。そこらが奇妙なところや」
教会に行っても、話がわかるわけではない。それでも、三か月経った今では、随分わかる言葉が耳に入るようになった。
英国では十七世紀の半ばに、既《すで》に日曜日|遵守法《じゆんしゆほう》が出来た。日曜日やクリスマス、復活祭などには、営業も労働も禁止する条令であった。だがそれは、一世紀|程《ほど》で途絶えた。産業革命がその条令を押しやり、労働時間は十四時間から十六時間にも及んだ。そして更《さら》に八十年程経った一八三三年、イギリス工場法が制定された。岩松たちはイギリス工場法制定の翌年に、このフォート・バンクーバーに来たのである。工場法は制定されても、日曜日の休業はまだ制定されていなかった。マクラフリン博士は、もともと信仰が厚かったから、聖書の教えにもとづいて、日曜日にはその屋敷を解放し、礼拝を守らせていた。博士の家は私邸《してい》というより公邸の趣があった。
朝食を終えると、三人は背広を着、日曜学校に出かけて行った。女の子たちが、腰のふくらんだひだスカートをはき、ネッカチーフで頭を包み、みんないつもより整然とした身なりをしている。上等の服を着れるので、子供たちは上機嫌《じようきげん》だ。男の子たちも折り目のついた長ズボンをはき、蝶《ちよう》ネクタイをつけている。岩松たち三人も蝶ネクタイだ。だが三人は、この蝶ネクタイが何となく嫌《きら》いだ。
「誰も彼もめかしこんで、七日目毎に祭りのようなものやな」
久吉も、今では靴《くつ》を脱いで歩くようなことはない。朝、みそぎに河に行く時も、きちんと靴を履《は》いて行く。だが履く度《たび》に久吉は、
「今しばらくの辛抱《しんぼう》だでな」
と、自分の足に言って聞かせるようにして履くのだ。
いつものように三人は、最後列に坐《すわ》っていた。オルガンが奏《かな》でられ、讃美歌《さんびか》がうたわれる。歌詞はよくわからなくても、曲はいつも覚えやすい曲ばかりだ。子供たちは、所々大声を張り上げ、所々口ごもるようにうたい、とにもかくにもうたい上げる。
讃美歌が終わり、祈りが終わって、聖書が読まれた。
「ゴッド イズ ラブ」
と言う所だけは、三人にもわかった。ゴッドとは、どうやら神か仏のようなものらしいと、この三か月で見当がついている。と、二メートル程《ほど》の台の上に、教師たちが赤や青や黄色で彩った四角いこれも大きな箱を置いた。子供たちは一斉《いつせい》にざわめいた。一人の教師は更《さら》に、箱についていた幕を引いた。背景に峻《けわ》しい崖《がけ》の絵が描かれてある。その崖下に一匹の羊がいた。人形芝居である。教師が、その羊を器用に動かしながら、羊の鳴き声を真似《まね》た。羊は、峻《けわ》しい坂を鳴きながらよじ登ろうとする。だが羊は、登りかけては、すぐに谷底にころげ落ちる。教師は、
「かわいそうな羊、この羊は大勢の仲間から外《はず》れました。仲間は九十九匹いるのです。この迷い出た羊を入れると、羊は全部で百匹でした」
ゆっくりと、子供たちにわかるように教師は話していく。羊は悲しそうに鳴く。やがて、遠くから羊を呼ぶ声が聞こえてくる。羊はその声を聞いて大きな声で鳴く。鳴き声を聞きつけて、峻しい崖を一人の人が降りて行く。「この人の名は、イエス・キリストです」と教師が言った。
「おもろいな。人形芝居や」
久吉は、音吉の脇腹《わきばら》を突ついた。
「うん」
音吉はうなずきながら、今坂をころがりそうになり、あっちの木につかまり、こっちの枝にすがるようにして降りて行くキリストを見つめた。子供たちはまばたきもせずに、無事に下まで降りつくかどうかと見つめていた。薄茶色の長着を着たキリストは、憐《あわ》れみ深い表情をしている。キリストは幾度も降りなずんだように立ちどまる。が、時折《ときおり》下の羊に向かって、
「今、行くよーっ。待っているんだよーっ」
と声をかける。その人形の操り方が実に巧みだ。子供たちはひき入れられて、本当にキリストが谷底まで降りられるか、どうかと、身を乗り出して見ている。
遂に谷底に着いた。子供たちが一斉《いつせい》に拍手《はくしゆ》をした。羊が鳴いた。その羊の頭をキリストがなでる。人形であるその手は、羊の頭をぎくしゃくとなでたのだが、子供たちは自分がなでられたような顔を見合わせてうなずき合った。
次にそのキリストは、羊を肩に負った。
「もう大丈夫だよ。さ、一緒に仲間の所に帰ろう」
教師はいともやさしい声を出して、キリストの人形を崖《がけ》に登らせはじめた。これも幾度か足をすべらせながらの、はらはらさせる演技だったが、とにかく無事に山の上まで辿《たど》り着いた。
これで話は終わりかと思ったが、そうではなかった。場面は全く変わって、教師が、
「ここはゴルゴダの丘です」
と、重々しい声で言った。十字架が立てられ、先程《さきほど》のキリストに扮《ふん》した人形が、十字架につけられようとしている。その掌に釘《くぎ》を打つ音がする。先程の、羊を助けた人形の掌に大きな釘が打ちこまれるのだ。
「うわあ、痛い!」
久吉が叫んだので、子供たちが一斉《いつせい》にうしろを向いた。もう一方の掌に、また釘が打たれる。
「残酷やーっ!」
久吉がまた叫ぶ。子供たちが再びふり返る。十字架にかかったキリストの下に羊がやってくる。何人かの人形が十字架の下に集まって来た。
「イエスさまーっ! わたしを助けてくださったやさしい方なのに、どうして十字架につけられたのですか」
羊が十字架を見上げて歎《なげ》く。子供たちが大きくうなずく。教師が語る。
「皆さん、どうしてキリストは十字架にかかられたのでしょう。悪いことをしたからでしょうか。いいえ、私たち人間の罪や穢《けが》れを取り除くために、イエスさまは身代わりになってくださったのです」
久吉は音吉の耳にささやいた。
「あの男、磔松《はりつけまつ》に磔になった長田《おさだ》のような男やな。磔になるのは、極悪人《ごくあくにん》やで」
小野浦の近くには、主君|源義朝《みなもとよしとも》の首を打ち取った長田|忠致《ただむね》の磔になった松がある。音吉や久吉にとって、磔と言えば、長田忠致がすぐに連想された。磔にされた人間は、長田しか知らなかった。が、その時、岩松がささやいた。
「音、久! これはな……これはもしかしたらキリシタンやで」
「えっ!? キリシタン!」
音吉の全身に鳥肌《とりはだ》が立った。日本ではキリシタンとわかれば、一族打ち首になると聞いている。
「ほ、ほんとか、舵取《かじと》りさん」
「うん、多分な」
岩松は腕を組んだ。三人は、マクラフリン博士の信仰が、キリスト教であることを知らなかった。いや、第一キリシタンなるものを知らなかった。日本では二百五十年も前からキリスト教は禁制である。一体どういうものがキリシタンなのか、見るにも聞くにもその機会がなかった。只《ただ》、岩松だけは北前船《きたまえぶね》に乗っていた時、船乗り仲間の一人に、
「俺の村には、隠れキリシタンがいる」
と、聞かされたことがあった。そしてその時、キリシタンの印《しるし》は、十の字だと教えられた。この十字架にキリシタンの頭目《とうもく》は磔《はりつけ》になったのだと、その時初めて聞いたものだ。
今、岩松は人形芝居を見ていてふっとその話を思い出したのだ。三人は今まで、十字架にかかったキリストの絵も像も見たことはなかった。マクラフリン博士の家には十字架の印さえなかった。礼拝を行う部屋は礼拝堂ではなく、博士の家の広間であった。キリストの絵は飾られてあったが、それは両手を広げ、すべての人を受け入れようとする、やさしいまなざしのキリストであった。
「アーメン様かと思うたら、キリシタンか。どうする? 舵取りさん」
「そうやな。とにかく信ずるわけにはいかんわな。話を聞いたと言うただけでも、牢《ろう》に入れられるかも知れせんでな」
「大変なことになってしもうたな、舵取《かじと》りさん」
音吉は青ざめた顔を岩松に向けた。教師が、
「イエスさまこそ真の救い主です。この方のみもとに集まりなさい」
と、結びの言葉を述べていたが、三人の耳に入る筈《はず》はなかった。
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