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海嶺144

时间: 2020-03-18    进入日语论坛
核心提示:濃 霧     一 窓の外は一面に深い霧だ。二、三メートル先にあるエルムの木さえ見えない。「凄《すご》い霧だな」ベッドの
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濃 霧
     一
 窓の外は一面に深い霧だ。二、三メートル先にあるエルムの木さえ見えない。
「凄《すご》い霧だな」
ベッドの上にあぐらをかき、大きな四角いトランクの中に、下着を詰めていた岩松が、手をとめてぽつりと言った。
「ほんとや。さっきまで、砦《とりで》の塀《へい》が見えていたのに、何もかも霧の中や」
久吉も言い、
「このところ、毎日霧やな」
と、音吉も答えた。その霧の中に、馬車の近づく音がした。多分、砦から畠に帰って行く馬車の音だろう。鈴の音がいつもより音高く聞こえた。
ここフォート・バンクーバーの十一月は、フラッタリー岬より、やや寒い。むろん小野浦よりも寒い。と言っても、雪は降らない。十一月は平均七度ぐらいの気温だ。今は、ポプラが黄色く色づいている季節だ。そのポプラの木も、むろん霧の中だ。
このフォート・バンクーバーの船着き場に、イギリス軍艦イーグル号が停泊したのは十日|程《ほど》前のことであった。岩松、音吉、久吉たちは、生まれてはじめて、何十門も大砲のある軍艦を見た。三本マストに無数の帆をかけてイーグル号は、威風堂々とコロンビア河を遡《さかのぼ》って来たのだ。近づくその船は、三人には小さな城かと見えた。長さ五十三メートル、幅十四メートル、千七百二十三トンのイーグル号は、三人にとって未《いま》だ曾《かつ》て見たことのない巨大な船であった。
「こんな大きな船があったのやなあ。千石船《せんごくぶね》より大きいでえ!」
「千石船とは比べものにならん。長さも幅も倍はあるでな」
「と言うことは、千石船の四つ分ということやな」
「いやいや。高さもある。もっと大きいでえ」
村の人々と、河岸に並んで、三人はそんなことを語り合った。ユニオン・ジャックをひるがえして近づいて来たそのイーグル号が、自分たちを乗せて行く船とは、その時三人はすぐには気づかなかった。自分たちが乗る船にしては、余りにも立派過ぎたからだ。
昨日、三人はマクラフリン博士に呼ばれて、イーグル号の艦長に引き合わされた。三人はそこで、いよいよ日本に向けて旅立つことを知らされたのである。そして今日、最後の授業を受けて帰る三人に、それぞれトランクが渡されたのだった。古いが、がっしりした、四角い黒い大きなトランクだった。
生徒たちは教師と共に別れの歌をうたって、送ってくれた。有名なジョン・バンヤン作「天路歴程《てんろれきてい》」の中の詩にもとづく讃美歌《さんびか》で、曲はイギリスの伝統的なメロディである。
勇み進まん憂《う》き日にも
強き心失わず……
 英語の歌詩のそのすべてを三人は知らなかった。が、今までに二度|程《ほど》、人を送る時にうたった歌だと記憶している。
主《しゆ》のみまもりわれにあり
いざや進まんその旅路
 子供たちの澄んだ歌声がひどく胸に沁《し》みた。子供たちは一心にうたった。が、三節目に入る頃《ころ》に、ラナルドの声が泣き声に変わった。と、その涙に誘われて、次々に子供たちの声が涙にくもっていった。混血の子供たちは、白人ではないこの三人を愛していた。わけてもラナルドは、音吉に対して、並々ならぬ敬愛の念を抱いていた。音吉の姿を見ると、ラナルドはどこにいてもすぐに飛んで来た。遠い日本という国から、長い年月、波にもまれてやって来たこの三人は、子供たちにとっていよいよ尊敬すべき存在になっていた。
子供たちが泣き出すと、音吉も久吉も涙をこぼした。岩松でさえ、じっとシャンデリアを見上げたまま唇《くちびる》を噛《か》んでいた。
こうして帰って来て、今、三人は旅の仕度《したく》を始めたのだ。
「トランクって、頑丈《がんじよう》なもんやな」
久吉は呆《あき》れたような語調で言い、
「俺には、柳行李《やなぎごうり》のほうが、軽くてええような気がするわ」
「けどな久吉、これだって便利やで。ポケットも付いているし、鍵《かぎ》もかけられるし、持つ所もあるでな。それに腰かけの代わりにもなるわ」
「けど、風通しが悪いわ」
言いながらも、二人は手を休めずに、次々と物を詰めこんで行く。レザー、櫛《くし》、ノートブック、鉛筆、パジャマ、シャツ、ジャケツ、ズボン、歯《は》刷子《ブラシ》、どれもみな、ここに来て与えられたものばかりだ。
「フラッタリーを出る時は、何もあらせんかったのになあ。大変な財産や」
「そうやなあ。けど、岬でだって、干し魚やせんべいを餞別《せんべつ》にもろうたで」
「ああ、そやそや。そう言えば、頭の髪を結ぶひもももらったな。けど、丸裸と同じやった」
久吉が上機嫌《じようきげん》で小さなガラスの瓶《びん》を新聞紙に包み、トランクの蓋《ふた》の裏のポケットに納めた。
「とうとうギヤマンの土産《みやげ》を持って帰れるんやで。父《と》っさまや母《かか》さまが、驚くやろな。喜ぶやろな」
息子はとうに死んだと諦《あきら》めているにちがいない父母の喜びようを思いながら、久吉は言う。
「ほんとやな。夢みたいや。今日一晩ここに寝たら、明日は船の上なんやなあ」
音吉はダァ・カァからもらった石鹸《せつけん》を、きちんとタオルに包んでトランクに入れた。次は、パン焼きの職工からもらったフォークとナイフとスプーンだ。
音吉はふっと、宝順丸の上で、行李《こうり》の整理をしたことを思い出した。あれは確か、仁右衛門が死んだ後だった。水主頭《かこがしら》の仁右衛門は、オリンピア連山の雪の輝きを見て、
「おお! あれが陸《おか》か」
と、岩松の腕の中で声をふるわせたのだ。あの時岩松は言った。
「そうや、あれが陸や。待って待って、待ちくたびれていた陸や」
「そうか。とうとう陸が見えたか」
「うん、見えた。あとひと息で陸に上がるんや」
岩松の言葉に、仁右衛門は何も言わずに、幾度も幾度もうなずいた。その目尻からひと筋流れていた涙を、音吉は思い出す。寝床《ねどこ》に戻《もど》った仁右衛門は、
「よかったのう」
と、ひどくやさしい声で言った。そしてそれから半刻《はんとき》と経たぬうちに、仁右衛門は死んだ。
(あれから、三人きりになってしまったんや)
そして、死んで行った仲間たちの行李の整理をしたのだと思い出す。仁右衛門の行李の底には、赤子のよだれかけがあった。吉治郎の行李の中には鳩笛があった。鳩笛もよだれかけも、故里に持って帰ってやろうと思っていたが、結局は何一つ持って来ることはできなかった。思い出すと、言いようもなく淋《さび》しくなる。
(岬のお骨も、あのままやな。かわいそうにな)
いよいよ日本に向けて出発すると思うと、喜びと共に、様々の思い出も交錯する。
岩松はさっきから、黙りこくったままだ。岩松は岩松で、別のことを考えていた。今、岩松の手には、マクラフリン博士からもらった香水と、小さな犬の縫いぐるみがあった。香水は妻の絹に、犬の縫いぐるみは、子供の岩太郎にと、博士は手渡してくれたのだ。岩松はこの香水が、絹の手に渡る時の光景を想像してみた。犬の縫いぐるみが、岩太郎の胸に抱かれる有り様を思ってみた。が、ふっと岩松の胸をかすめる思いがあった。
(ほんとにこの土産《みやげ》を、手渡すことができるか、どうか)
と言う思いだった。それは決して故《ゆえ》のないことではなかった。岩松は、ここから日本まで、いかに遠いかを知っている。たとえ千石船《せんごくぶね》とは比較にならぬ大きな船とは言え、あの途方もない茫々《ぼうぼう》たる海の中では、結局は木の葉のようなものだ。嵐の海は凄《すさ》まじい。いつ嵐が船を呑《の》みこむか、わからないのだ。
が、岩松の胸に不安がきざしたのは、もっと根深い所に原因があった。
(大砲《おおづつ》を何十も持っている。と言うことは……要するに戦《いくさ》船や)
戦船と言うことは、いつ、どこで戦に巻きこまれるか、わからぬと言うことだと岩松は考える。そして何よりも、岩松が不安なのは、戦船に乗っている者は、つまりは自分たちと階級がちがうということであった。
(言うてみれば、みんな侍《さむらい》や)
岩松は、大小二本の刀を腰にさした日本の侍たちの姿を思い起こす。侍が来ると、人々は遠くのほうから、身を縮ませていた。いつ難題を吹きかけるか、わからないのだ。いつその刀に手がかかるか、わからないのだ。第一、侍たちは岩松たち舟乗りなど、人間扱いにはしなかった。
(国柄がちがうと言うても、侍が威張るのは同じやろ)
そんな人間ばかりが乗っている船に、自分たち三人が、何か月も共に住まねばならぬかと思うと、岩松は気重《きおも》にならずにはいられなかった。岩松は自分の気性《きしよう》を知っている。どこかで堪忍袋《かんにんぶくろ》の緒が切れそうな不安があった。むろん、砦《とりで》の中にも軍人がいた。だが、数えるほどの軍人たちは、ふだんは村人たちと気軽に話し合って生きている。その姿は見ているものの、それは仮の姿のように岩松には思われるのだ。
(それに……大砲を積んだ船が、日本に行ったとしたら……)
これは大ごとになる。それを思うと岩松は一層不安になる。日本のお上《かみ》が、穏やかに自分たちを引き取ってくれるかどうか。岩松は、漂流した者が日本に帰った時に受ける、取り調べのきびしさを聞いている。帰国した者は何か月も牢《ろう》に留め置かれ、取り調べが一年にも及ぶと聞いている。とにかく、親切なミスター・グリーンや庇護者《ひごしや》であるマクラフリン博士のもとを離れて、誰一人知った者のないイーグル号に乗船するのだ。久吉のように喜んでばかりはいられないと、岩松は窓の外に目をやった。霧がやや薄らいで、外を行く人の姿が、墨絵のように見えた。
「舵取《かじと》りさん、何を考えてる?」
久吉の声に、
「いや、何……いよいよこの部屋からお別れかと、思うていたところや」
「そうか」
久吉は言ったが、音吉は、岩松は何か別のことを考えていたにちがいないと、やや不安な思いで岩松を見つめた。
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