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創造の人生05

时间: 2020-10-28    进入日语论坛
核心提示:ヒューズと井深 井深が中学受験を意識し、真剣に勉強をはじめたのは小学校五年になってからであった。だが、田舎の学校とあって
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 ヒューズと井深
 
 井深が中学受験を意識し、真剣に勉強をはじめたのは小学校五年になってからであった。だが、田舎の学校とあって、なかなか実効が上がらない。そこで祖父や母と相談し、母の嫁ぎ先である神戸の小学校に転校することになった。小学五年の学期末のことである。
 新しく通いはじめた学校は、諏訪山小学校といい、神戸の名門校「神戸一中」(現神戸高校)をめざす生徒をスパルタ式教育で鍛えることで評判の学校だった。それだけに井深も、最初は不安感を抱いた。田舎育ちの自分がレベルの高い都会の生徒と対等に勉強していけるだろうか、心配だったのである。新学期がはじまるとそんな懸念はいっぺんに吹っ飛んでしまった。通常の授業のほかに受験のための補習が、毎晩遅くまで続き、そのうえ、うんざりするほど宿題を出され、徹底的にしごかれる。向学心の旺盛な井深にとっては逆に刺激になって、よけいな心配をする暇がなくなってしまった。
「あれは私にとっていい思い出だった。先生の教え方もきびしかったが、押しつけられているとか苦しかったという気分はまったくなかったですね。それに『これができた人は家に帰ってよろしい』と、先生にいわれ、一生懸命に問題を解いて、一番先に教室を出るときなんかは、優越感を感じたことをいまでも覚えていますよ」
 と、井深は当時を振返り苦笑する。努力の甲斐があって、井深は神戸一中に入学することができた。
 こうして彼は思春期を母の再婚先で過ごすことになる。その間「養父から可愛がられもしなかったが、辛くもあたられなかった」と、述懐している。見方を変えれば井深にとって淋しいことであった。養父との心の交流がなかったともいえるからだ。だが、井深のことを何もかも知りつくした母がいた。それだけに神戸での新しい生活も、井深にとってはそれほど苦でなかったのかもしれない。中学一年になったばかりの井深は、さめた大人の心で養父に接していたのではないだろうか、とも考えられる。
 ある人文学者の説によると、児童期にしばしば環境が変わる人物は、二つの異なった性格に分かれる可能性が強いという。一つは、環境が変わるたびに内向的になり、自己喪失するタイプ。もう一つは、逆に自己主張が強くなり、社交的で、いわゆる、大物になる人間ができるというのだ。数からいうと、前者が圧倒的に多い。児童期にしばしば転校するのはあまり好ましくないといわれるゆえんもそこにあるという。
 井深は、その〈好ましくない環境〉のもとで成長した。それも、両親の膝下でなく祖父のもとで育った期間が長いというハンデを背負っている。にもかかわらず、井深にはそういう意味での暗さはみじんも感じられない。しいてそれらしき点をあげれば、母に対する思慕の情が、脳裡に深く焼きついてはなれなかったということではなかろうか。
 井深は、機械のような無機物を相手にすることで、自分の感情の不安定さをコントロールしようとした。同時に、自分がやりたいことを思いきりやってみたい、という彼の自己主張が強く前面に出るようになった。それが後年の彼の技術の創造性を強調する考えをはぐくむきっかけになったとみられるふしがある。
 その辺を、前述のハワード・ヒューズと比べてみる。父親に溺愛されすぎ、母との心の交流の薄かったハワードは、父の突然の死によって、ますます孤独感を強め、自分だけの世界にどっぷり浸るようになった。身内や腹心の部下にも心をひらかず、私生活では莫大な遺産を湯水のように使い、勝手気ままにやりながらも事業を拡大していった。しかし、人間的には、少年期のまま内気で、自己中心の気まぐれな事業家の域を出ていなかった。希代の天才といわれながら、周囲から異端視され、淋しい晩年を送らざるを得なかった原因もそこにあるような気がする。
 これに対し、井深は、逆境にもめげず、自分の天性を活かすことができた。祖父や母の暖かい庇護があったればこそだが、井深自身が、現実を冷静に見る大人の心をいつの間にか身につけていたことが役立ったのかもしれない。ちょっとした気配りの差が、激しく変化する環境のもとに幼児期、少年期を過ごした二人、ハワード・ヒューズと、井深の人間的な差を生じた。それを確かめる意味で、もう少し、井深の成長の記録を追ってみよう。
 神戸一中に通いはじめた井深は、なぜかあまり勉強しなくなった。そしてテニスに興じたり、安城時代からの夢であった無線の研究に凝りはじめた。
 当時、祖父の基は役所をやめ、恩給生活をはじめたばかり。その基が昼近くなると必ずどこかへ出かける。最初、家人もそれほど気にとめなかったが、雨が降ろうが風が吹こうがやめようとしない。不思議に思った家人がそれとなくわけを聞くと、近くの駅で正確な時間を知るためとわかった。当時はラジオもない時代であった。したがって、一般人にとって正確な時間を知ることはたいへん大儀なことであった。東京や大阪では、正午になると〈ドン〉と、号砲を鳴らし、正確な時間を知らせていた。安城にはそんなものはない。ところが、駅に行くと、正午三〇秒前に必ずベルが鳴る。地方の人はそれで正確な時間を知ることができた。祖父の基もそうしていたわけだ。
 井深も、この祖父に感化されたとみえ、時間に対する関心が人一倍強かった。そんな矢先、井深は耳よりな話を人づてに聞いた。千葉県銚子の無線局が、毎晩九時に、船舶向けに時報の電波を流しているというのである。
 
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