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創造の人生62

时间: 2020-10-28    进入日语论坛
核心提示:両輪経営 ソニーの経営は、井深から盛田にバトンタッチされたが、社内の一部には、井深の続投を望むものも少なくなかった。人間
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 両輪経営
 
 ソニーの経営は、井深から盛田にバトンタッチされたが、社内の一部には、井深の続投を望むものも少なくなかった。人間的に温か味のある井深と違い、盛田は合理主義者のせいか、なんとなく冷たさが感じられるからだ。
 その辺は両者の性格を比べてみるとよくわかる。井深は発想が豊かだし、格式ばったことは大嫌い。一見気まぐれに見えるが、損得抜きで人の面倒をみるなど心根はやさしく、誰とでも気軽に会い、興にのれば話に夢中になるし、気が向かないとぶっきら棒な返事しか戻ってこない。他社のように社史も社歌も社訓もないという独特の社風も、井深の人柄を反映しているような気がしてならない。
 一方の盛田は、けじめを大事にする。また、おしゃれだし、気位も高い。交遊関係にも有名人が多い。
 二人の違いをいちばん知っているのは、経団連クラブ詰めの経済記者たちである。彼等は、職業柄、いろいろな財界人と会う機会が多いだけに、人物通が多い。その記者仲間の間でいわれていたソニーの二人は、井深が自由奔放な飛躍型の経営者、これに対して盛田は理詰めの計算機型経営者。それを象徴するようなエピソードがある。ソニーが日の出の勢いで急成長を遂げていた頃、経団連クラブ詰めだった某紙の記者の話だ。
「井深さんが何か失言をしても、われわれは決して記事にしなかった。飛躍したものの言い方をするのが癖なんですよ。それも意図的にいうのでなく、話しているうちにポロッと本音が出てしまう。愛すべき失言なんだな。ところが、盛田氏の場合はちょっと違う。頭はシャープだし、弁もたつ。論理もシッカリしている。その盛田氏が『これはオフレコですよ』と念を押すと、われわれは逆に書いてしまう。彼の計算癖が書いてくださいとナゾをかけたと受け取る人が多いからですよ」
 対照的な二人の指導者がいた。だからこそソニーの経営が成り立ってきたともいえるのではなかろうか。
 井深は、天才的な技術者といわれた異色の経営者であった。学生時代から七〇件近い特許、実用新案を取得していた実績をみてもわかる。とくに新しいメカニズムに対する関心は人一倍強い。その辺は第一章で述べた通りである。
 そんな人柄だけに開発担当者のおもしろそうなアイデアには、自分も一緒になって開発に取り組む。三十年代後半から四十年代初期にかけて試作したマグネット式ポラロイドカメラ、途中で開発を断念した電気自動車、オイル駆動車などがその代表的なものかもしれない。その開発にタッチした木原はこんな話をする。
「電気自動車は私がやりました。ソニーの枠を出ない範囲でね。つまり、ソニーが発展した場合、自動操縦とか、そういうものを通して役にたつ未来指向の車をやってみようという井深さんの発想ではじめたんですが、結局、開発しただけで商品化は見送った」
 二億円近い資金を注ぎ込んで開発したマグネット式のポラロイドカメラも、商品化は見送られた。たまたま、井深がポラロイド社に売込みに行ったところ、同社はすでにカラーカメラを開発していた。そのため商品化を断念したのである。
 同じ頃、井深は模型機関車づくりに熱中している。得意の小型軽量化の技術を駆使して当時、世界最小の九ミリゲージ(レール幅)のものをつくろうと、マニアを集め、精巧な第一号車を完成させた。その日は、一晩中走らせてはしゃぎ回ったそうである。そのあげく〈マイクロトレーン〉という会社までつくった。ところが、周囲から「少し子供じみていやしませんか」とたしなめられたことと、あまりにも小さすぎて商品にならず、一年後にこの会社を解散せざるを得なくなった。
 このように、興に乗り出すと〈夢〉が風船玉のようにふくらんでいく。子供のような〈天衣無縫〉な性格をもっていた井深だった。そんな井深のことを、盛田は「天才と気違いの間にいる人。その井深さんにオレがついているからこの会社はうまくいっているんだよ」と評価していたという。たしかにその通りかもしれない。井深の考える〈夢〉をすべて満たすような経営をしていたら、おそらく、今日のソニーはあり得ないという見方もできるからだ。そういう意味でも盛田は、井深にとってかけがえのない存在だったといえる。
 盛田のいいところは、単なる女房役、補佐役でなく、相手が井深であれ、顧問格の万代、田島であれ、正しいと思ったことは歯に衣を着せずズバッといってのけることである。もちろん、問題によっては、意見が噛み合わないことも多々ある。その場合でも盛田は、中途半端な妥協はいっさいしない。時間をかけてお互いが納得するまで話し合い、あとにしこりを残さないように心がける。しかし、盛田は、外に対しては常に井深を立てる。都合の悪いことが起こればいつでも自分が泥をかぶるつもりだった。そのあたりの気配りは実にうまい。子供のときから父親に〈帝王学〉をきびしく仕込まれてきたからであろう。
 そういう盛田の積極的な支援活動があったから、井深も安心して仕事に打ち込めた。それも技術的な問題は自分が取り仕切り、経営全般のことは、極力、盛田にまかせるようにした。ソニーが、井深、盛田の〈両輪経営〉で成り立っているといわれたゆえんもそこにある。
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