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ぐうたら人間学21

时间: 2020-10-31    进入日语论坛
核心提示:かのように すぐれた中国文学者であり随筆家だった奥野信太郎氏は永井荷風の教えを乞いたくて、三田の文学部に入学したと何処か
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 かのように
 
 すぐれた中国文学者であり随筆家だった奥野信太郎氏は永井荷風の教えを乞いたくて、三田の文学部に入学したと何処かに書いておられた。同じようなことをもっと大先輩の佐藤春夫氏も語っておられたように思う。
 私が三田の文科に進んだのはそんな志のためではなく、当時の三田の文科が入学しやすかったためであるが、後に私も永井荷風の文学にひどく傾倒した一時期があったのは、教室で奥野信太郎先生の授業をうけたためである。
 今でも時々、長雨の日など狐狸庵の一室にとじこもって荷風の『断腸亭日乗』を開けることがある。私にとって荷風の傑作は何といっても彼が長年、書きつづけたこの日記である。その簡潔な雅趣にとんだ文章は幾度、読みかえしても飽きることがない。
 だがその頁をめくるたび、荷風は私と同じ年齢の頃、いやもっと年をとってからも実に好奇心が旺盛なのに舌をまくのである。既に書いたように私はもう眼もかすみ、厠も近くなり、ヨボヨボとして何をするのも億劫になり、人の顔は忘れ、そのために外へ出るのも嫌で嫌でたまらぬという情けない心境なのに、荷風とくると読書、執筆のほかはほとんど銀座を歩いて世相風俗を観察し、それを日記にしたため、時には絵まで描くという努力をしている。
 私も自分の不甲斐なさにこれではならぬと時折、世相風俗を観察せんものと東都まで出かけることもある。出かけて六本木や赤坂をうろついてはみるのだが、一向に面白くなく、一向に好奇心も湧かず、ただくたびれ果てて、使った金と時間とだけがやけに惜しく狐狸庵にトボトボと戻る次第だ。そんな時、荷風のことをイヤな爺さんだとつくづく思う。
 荷風をイヤな爺さんだと思うのは決して彼を尊敬しないという意味ではない。いな、むしろ、あの年齢であのような好奇心を持続している故人にチェッ、チェッと舌うちしたくなるという意味である。
 奥野信太郎先生が昔こういうことを私に言われたことがあった。
「荷風のポーズにだまされてはいけません。荷風は病弱のようで実は体も頑健です。意志は強固なのに意志薄弱のようにみせかけます」
 そういえば、この『断腸亭日乗』のなかにもしばしば病骨、病身のわが身を嘆いてみせる言葉が出てくる。秋になれば秋冷、骨にしみるような書き方をする。そして『断腸亭日乗』を読んでいると、病弱な主人公荷風が孤独にたえ、世をすねて生きていく姿が次第にこちらに感ぜられるように出来あがっている。
 出来あがっている、という言葉をわざわざ使ったのは荷風は発表用の日記と発表しない日記との二つを書きわけていたことが戦後にわかったからである。中央公論社版や東都書房版の『断腸亭日乗』は発表用の日記であり、最も新しい岩波版のそれは本当の日記である。
 私はこのような作為の自分をこしらえた荷風が嫌いではない。むしろ好きである。荷風によって創られた主人公荷風の風雅な生活にいかに多くの読者が魅了され、荷風ファンとなったか。荷風はその背景で本当の意味で孤独なのである。
 三島由紀夫氏とある日、話をしていたら、彼は突然こう言った。
「作家とは、かのように、生きるべきだね」
「かのように」は勿論、森鴎外の言葉である。
 その三島氏が私に、
「君はなぜ、狐狸庵などという年寄りじみた名をつけるのだ」
 そのほうが年とってから楽でしょうと私は答えた。年をとってから周作などというキザな名を背負って生きるのはシンドイという意味だった。
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