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ぐうたら人間学22

时间: 2020-10-31    进入日语论坛
核心提示:酒 私に酒というものを始めて教えてくださったのは、他ならぬこの奥野信太郎先生である。そしてそれは私が大学三年の時であった
(单词翻译:双击或拖选)
 酒
 
 私に酒というものを始めて教えてくださったのは、他ならぬこの奥野信太郎先生である。そしてそれは私が大学三年の時であった。
 と書くと、それまでの私がえらく堅ぶつにみえるが、実はそうではない。
 戦争中と戦争直後を学生生活で暮した私には酒というものを滅多に飲む機会がなかったのである。戦争中の配給酒は乏しい食料を補う芋やカボチャと引きかえになり、終戦後、闇で手に入れる日本酒も学生にはあまりに高くて手に入らなかったからだ。
 大学三年の頃に私は『三田文学』の同人に加えられ、その会合にも出席を許されるようになったが、その会合の帰り道、奥野先生と既に亡くなった丸岡明氏という先輩作家に、はじめて飲屋というものに連れていって頂いたのである。
 飲屋といっても戦争が終ってまだ三年目である。東京の至るところに焼跡の残っていた時である。それは一軒の建物でも家でもなく、露店のような葦簀《よしず》ばりの小屋で、そんな小屋が今の新宿武蔵野館から国鉄の線路のあたりにかけてずらりと並んでいたのだ。
 そこはちょうど北アフリカのアラビヤ人町の迷路のような雰囲気があった。尿の臭い、酔漢の吐いたゲロの臭い、それに鯨肉をにる油の臭い、魚をやく臭い、そういった様々な臭いが小屋と小屋との間に漂い、至るところから、戦争に敗れた日本人のやけのやんぱちの歌声が聞えてくるのだった。
 一つの小屋は四、五人の客が腰かければ満員になる狭さで、そこに坐ると、たいていコップに入れたカストリが黙っておかれるのであるが、始めてカストリに口をつけた時、なぜ、こんなものを皆がうまそうに飲んでいるのか、ワケがわからないほど臭く、まずかった。
 愚かにも私は当時、焼酎ぐらい飲めないようでは一人前の小説家にはなれないのだと考えていたから、修業のつもりで、ほとんど毎晩、この闇市のような飲屋街に来るようになった。一杯のカストリが当時、三十円で、そのほかにバクダンと称して一杯二十円のアルコールも飲んだが、これはうっかりすると眼がつぶれると聞いてからやめてしまった。
 焼酎やカストリの酔いは驚くほど急激にやってくる。酔ってくると私は自分がスーパーマンのような気になり、平生はこわくて飛べない崖から平気で飛びおりたり、力まかせに郵便ポストを押し倒そうとしたりして家に戻るのだった。しかし酔っている時はふしぎに怪我をしないもので、私はかすり傷一つ負わなかった。
 そんなある日、私は電車のなかで知りあいの奥さんに会った。その奥さんは仕事の都合で遅くなり、終電車で帰宅する途中だった。自分の駅から家まで暗い焼あとを歩くのがこわいと言われるので、それではお送りしましょうと私は身分不相応なことを口にしてしまったのである。
 もちろん奥さんは再三、固辞された。だがカストリに酔っている私が言うことをきく筈はない。無理矢理、彼女のおりる駅で自分も下車して、お宅まで送り届けたのはいいが、彼女がさようならと言って家に消えた途端、突然ムラムラと力だめしがやりたくなったのである。そしてその家の板塀を力まかせに押してみたのである。古い家で手不足の折だったから板塀の根が腐っていたのであろう。バリバリという大音響と共に、塀はそのまま地面に倒れてしまった。(こんなことは信じえないかも知れないが、本当だから仕方がない)家中、大騒ぎになり、犬はワンワン吠えたし私は酔いもさめて、自分がとんでもないことをした、と気づいた時はもう遅かった。
 二度と酒は飲むまいとその夜決心したが、三日もすると、また新宿に通いだす始末である。
 
 酒のためにやった愚行は酒の酔いがさめると共に、身をさいなむ。私は自分がそれほど酒癖の悪いほうではないと思うが、酒癖が悪くない私でも思いだすと恥ずかしいようなことが幾つあるかわからない。
 真夜中、眠っていて、ふと目がさめた時にその愚行の一つが急に記憶から甦ってくることがある。そんな時はいたたまれない気になって、
「あーッ」
 とか、
「ぎゃあーっ」
 とか、ワケのわからぬ叫び声をたててしまうのだ。それも家中にひびきわたるような大声で……。
 これは私一人かと思って、ある日、友人にそのことをそっと話すと、
「お前もか。俺もだ」
 その男も情けないような、なつかしいような顔でそう答えたから、読者のなかにも同じ経験の持主がたくさん、おられるであろう。
 しかし嘆くことはない、カトリックの神父さんでも同じ経験をしているのだ。
 Kという先輩の文学者がある日、私にキリスト教の話をしてくれるいい神父さんを紹介してほしいと言われた。
 私はその時、友だちの神父の一人がいいと思った。彼は大学を出ると、私と一緒の船で仏蘭西にわたり、むこうのきびしい修道会で修業してきた男で、人情の機微にも通じ、心のやさしさ、学識も申しぶんなく、しかも酒が好きという、私にとって有難い神父なのである。
 その神父さんを連れて先輩の家に伺うと、そこには何人かの知人も来ていて、酒をくみかわしていた。知人の一人が鹿児島の焼酎を持参していて、わが友、神父も大悦びで飲みはじめた。
 鹿児島の焼酎はうすめて飲まねばいけないらしい。私はそれを最近聞いたのだが、この時は全く知らず、居あわせた人たちも知らなかったようである。
「神父さん、まあ一杯」
「もう一杯」
 神父さんはほとんど一人でその焼酎をあおり、我々はもっぱら酒のほうを飲んでいたのである。そしてK先輩がカトリックの教義やキリスト教の話をたずねられるのを、我々も厳粛に横で拝聴していたのだ。
 突然、神父が急に叫んだ。
「もういいじゃないですか。そんな抹香くさい話。それより、もっと陽気にやろうぜ」
 私は失敗した、と思った。長いつきあいだから私は神父の酔った状態を知っている。あきらかに、ひどく、酔っている。鹿児島焼酎が爆発的にきいたのだ。
「イエスさまも我々が現在陽気にやることを望んでおられるよ。なア、遠藤」
 私はびっくりして彼の裾を引張ったが、そんなこと向うはもうおかまいない。
「ねえ。おじいさん」
 K先輩にそんな話しかたをする。
「あんた、人生、わかっとるのかね」
 神父といえば敬虔でもの静かなものと思っていた知人は吹きだし、手をうち、
「こりゃ、おもしろい神父だ。話せる」
 と言ってくれるが、紹介者の私はそういうわけにはいかない。
 たまりかねた先輩がモーツァルトをかけると、
「美空ひばりはええねえ」
 そうして高いびきをかいて神父さん寝てしまった。
 この神父、その夜、拙宅に泊ったが、やはり翌日しょげていた。しかし神父さんでも酒を飲めばそうなんだから、我々は仕方ないじゃないか。
 
 こんなことがあった。
 ある日、ある雑誌によばれて赤坂の小さな料亭に出かけた。その料亭で、私はインタビューみたいなものを受けることになっていた。
 料亭につき、部屋に入ると、時刻がまだ少し早かったせいか、一人の青年が坐っているきりで、速記者らしい人も顔みしりの編集部の人もいなかった。
 その青年は私をみると蒼白な顔をあげて頭をさげて、自分はルポライターの仕事をする者で、今日のインタビューの聞き手になるのだと言ったきり黙ってしまった。
 私も黙って坐っていたが、相手の顔色がひどく悪く、なにか苦しそうなので、
「どうか、なさったのですか」とたずねた。
「いいえ」
 そう答えたきり、また黙りこんでいる。私はしばらくして、
「気分が悪いのでしたら、私にどうぞお構いなく横になってください」
 と言うと、彼はつらそうな表情で、
「実は二日酔いです」
「そうですか。二日酔いなら苦しいが病気じゃないから」
「いえ、ぼくは酒乱の傾向があって——昨日、あるバーに仕事の帰りつれていかれて、……そこでまた例の癖を起し、隣席におられた小説家のXさんと出版社のYさんを撲っちゃったんです」
 私はいささか、びっくりした。隣席にいたために撲られちゃX氏もYさんもびっくりし憤慨されたであろう。
「酔いがさめて、愕然として、一夜、くるしくって」
 わかる。その気持。若い頃、私もよく似た経験をしたのだ。
「大丈夫ですよ」
 私は彼をなぐさめた。
「みんな、そんな経験がありますからね。X氏だってY氏だって若い時、やってますよ。今度、会った時、詫びれば、わかってくれますよ」
 相手は首をふって、自分は暴れに暴れたのだ。とても許してもらえそうにないと言った。
「気を落しなさんな。大丈夫です」
「でもつらいです」
「それはよくわかります。しかし、若気の過ちと思えばいいじゃありませんか」
 そんな会話が続いたあと、私は、
「まあ、飲みましょうや。飲んで忘れましょうよ。そんな昨夜の愚行は」
 編集部の人は来ていなかったが、この青菜に塩の青年を慰め、励ますべく、ウイスキーと氷を部屋に運ばせた。そして彼にダブルの水割を作ってやり、
「気晴らしに一杯いきましょう」
 無理矢理、彼にすすめ、自分の昔の同じ経験を話して飲みはじめた。
「とに角、心配したってつまらない。明日という日があるんだ」
 そんなことを言ってコップを重ねているうち、突然、この青年の眼がすわって狐つきのような顔になった。
「なんだ」
 そして大声で怒鳴ってきたのである。
「さっきから聞いていると、気やすく大丈夫だ、大丈夫だと言いやがって、この野郎」
 私はしまったと思った。私はつい相手が酒乱であり、その酒乱に酒を飲ませて慰めていることを忘れていたのである。酒乱青年は、今また酒乱になったのである。
「うるさい、バカヤロ。俺のくるしみも知らないで、大丈夫だなどと」
 インタビューもへったくれもなかった。彼はわめき、怒鳴り、寝こんでしまったからだ。酒乱を慰める時は諸君、酒を飲ませてはいけない。
 
 笑い上戸、泣き上戸はユーモアのある酒癖だが、悪口上戸、愚痴上戸、からみ上戸、はしご上戸に出会うとこれは閉口千万だ。
 私にとって苦手なのはからみ上戸だ。何を言ってもからんでくる。
「田中さん、久しぶりですね。元気ですか」
 飲屋などでバッタリ顔を合わせて挨拶すると、
「なにが田中さんだ。え、なにが田中さんだ」
「何か、いけなかったですか」
「当り前だ。よそよそしいじゃないか。田中さんなどと何故言うんだ。他人行儀ぶりやがって。気に食わねえよ」
「あ、失礼。じゃ田中君」
「なんだ。田中君だと。狎々しい呼びかけをするな」
 これじゃ手がつけられない。
 はしご上戸——私の友人のH氏はこのはしご上戸の最たるものである。もう一軒、もう一軒と言って決してこっちを帰してはくれない。しかも次々と寄る一軒で決して腰を落ちつけないのである。徳利一本の半分も飲み終らぬうち、
「行こう。河岸を変えよう」
 そのくせ、決して帰ろうとしない。たまりかねて車に無理矢理のせて、家まで送っていこうとすると、
「ぼくの家、そこを右に曲って、はい左に曲って、右に折れて」
 グルグル、あっちこっちを廻って出てきたところが、さっき通過した場所で、
「Hさん。違うじゃないか。あんたの家の場所さえ知らないの」
「バア——」
 深夜の二時、これではこっちが泣きたくなるのは当り前である。
 けんか上戸というのがある。あまり喧嘩が強いとは思えない体格なのに酒を飲むと、
「外に出ろ」
 すぐ言う。外に出ろと言われても外に出るわけにはいかぬから、
「わかった。アヤまる。アヤまる」
 何をアヤまるのか自分でもわからぬが、ひたすらアヤまる、アヤまると言うと、
「アヤまるなら許してやる。うん」
 威張ってまた飲みはじめる。やれやれ、と思っていると、再び、突然、
「外に出ろ」
 また言いはじめる。
 喧嘩の強くないX君と喧嘩の強くないY君とは共にこの「外に出ろ」の酒癖があって、それが偶※[#二の字点、unicode303b]、我々と一緒に飲んでいる時があった。
「外に出ろ」
「なにお前こそ外に出ろ」
 二人は飲屋の硝子戸をガタガタ言わせて外に出ていった。我々が心配してそのあとを追いかけていくと、二人は路の真中で撲りあいならぬツネりあいをやっていた。
 新劇俳優のAさんもこの外に出ろの一人である。これは若い俳優から聞いた話だが、あるホテルのスカイラウンジでプロレスのオースチンが女づれでAさんの横にすわった。その女の子がAさんのファンで会話がはじまったのが、オースチンの気に障ったらしい。突然、赤くなって怒鳴りはじめた。
 Aさんは椅子から立ち上って、拳闘のかまえをし、グルグル、オースチンの周りをまわりながら、
「カムオン、ボーイ。ヘイ、カムオン」
 と言った。
 オースチンは顔を真赤にして怒ったが、職業柄か、それともAさんの枯木のような体格のせいか、つかみかからなかった。
「あんなことやると、殺されますよ。幸いオースチンが何もしなかったからいいけど」
 と友人が注意すると、
「なに、ちゃんと向うがかかってこぬとわかっていたのです」
 とAさんは答えた。
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