「カレイ(鰈)」と「華麗」は、平仮名で書くと同じ「かれい」ですが、発音は違うと思います。なぜですか?
こたえ
実際に、「鰈」は[カレイ]、「華麗」は[カレー]と発音される傾向があると思います。
日本語では、歴史的に、連母音を回避する傾向があります。特に、上代の日本語は連母音を回避するという原理が徹底されていました。具体的には、母音融合・子音挿入・音韻脱落といった方法で連母音を回避していました。これらのうち、もっとも類例の多いやり方は母音融合です。
母音融合
咲き[saki]+あり[ari]→咲けり[sakeri]さけり ※i+a > e
子音挿入
春[Faru]+雨[ame]→春雨[Faru s ame]はるさめ ※sの挿入
音韻脱落
我妹子[wagaimoko]→我妹子[wagimoko]わぎもこ ※aの脱落
上代語は連母音を徹底的に回避していましたが、平安期になって漢字音の日本語へのとりいれが進むと、語中での母音の連続が一般化してゆくことになりました(例えば、「校(カウ)」[kau]などの重母音を含む漢字音をうけいれたため)。漢字音のとりいれは、日本語の旧来の音節構造を改変し、その中で、音便による音節構造の改変なども可能になっていったと考えられます(例えば、イ音便やウ音便は、上代語が徹底して回避していた母音の連続を生じさせます)。漢字音の定着や音便形の定着によって、語中に連続した母音が普通に立つようになると、広く母音融合の音声変化が見られるようになります。早くは平安後期(院政期)の文献に見いだされ、特に東国方言(関東地方の方言)に先行して生じていたと考えられています。
その後、近世になって関西の方言と関東の方言とが対立するようになり(江戸期に対立が成立したとされています)、江戸期後半には上方語に対して江戸語が優位になります。その中で、標準としての価値を確立しようとするとき、江戸語には、土着語としての特性を捨てる必要があったと考えられます。語中・語尾の母音の融合は、その代表的な例と思われます。江戸語では、[イセーガエー](威勢がいい)、[アブネー](あぶない)、[オモシレー](おもしろい)のように、母音融合が一般的に生じていました。しかし、このような土着性は価値の低いものと見なされ、書きことばの姿を保存することが標準的であることの条件として選ばれていったと考えられます。一般に、書きことばと話しことばの語形が対立した場合には、より高い価値は書きことばにおかれます。そのことから、書きことば形が標準として選ばれ、標準となった書きことば形が音変化を阻止するように働くことになります。文字通りに発音することが標準的な発音であると見なされてゆく傾向があるわけです。たとえば、方言においては現代でも母音融合が広く見られます(例:赤い[アケー])が、(全国)共通語では融合しない形が正式と意識されます(例:赤い[アカイ])。
しかし、母音の融合は、むしろ自然な音変化であるということもできます。実際に、「経済」などの語では[ケイザイ]/[ケーザイ]と発音に「ゆれ」がみられます。この発音のゆれは、表記の問題にもなります。『現代仮名遣い』では、エ列の長音は「エ列の仮名に『え』を添える」とされており、「ねえさん」「ええ(応答するときの語)」「すげえ(「すごい」の俗語的な形)」のようになります。しかし、「時計」や「映画」などの語は、実際の発音にかかわらず、「とけい」「えいが」と書くことが『現代仮名遣い』の「付記」に示されています。
ただ、わたしたちは、「時計」を[トケー]・「映画」を[エーガ]と発音していると思います。現在では、「ゆれ」というよりもエ列の長音で発音するのが普通なのです(特別に丁寧に発音する場合を除く)。このような傾向は、主に漢語(熟語)に見られるもので、それ以外の語は割って(文字通りに)発音されることが多いといえます。そのため、「い」の仮名に関しては、「鰈」[カレイ]と華麗[カレー]のように二通りの読み方が存在するものが生じるわけです。同様の例として、「けいろ」(「毛色」[ケイロ]と「経路/径路」[ケーロ])、「ていたい」(手痛い[テイタイ]・停滞[テータイ])、「えいり」(絵入[エイリ]・営利/鋭利[エーリ])などが挙げられます。