「結婚+する」や「テニス+する」みたいに、名詞に「する」をつけると動詞になることがあるよね。で、その「する」の前に来る名詞は、なにか制限、あるいは規則みたいなものがある?
こたえ
基本的に、意味の上で〈動き〉を含む名詞が「する」と結びついて動詞になります。「料理」と「ご飯」とは、「料理を食べる」「ご飯を食べる」のように(ほぼ同じ意味の)「モノ」を表わすことがあります。しかし、「料理」は「料理する」になりますが、「ご飯」は「*ご飯する」とはなりません。これは「料理」に、〈動き〉(行動・動作)の意味が含まれるからだと思います。つまり、「料理を食べる」は、「料理(をすることによってできあがったもの)を食べる」ということができるでしょう。「(部屋を)冷房する」とはいえても、「クーラーする」「エアコンする」といえないのも、「冷房」には「(「房」=部屋を)冷やす」という〈動き〉の意味が読みとれるのに対して、クーラーやエアコンは「モノ」としての意味しか感じられないからでしょう。
しかし、意味の上で〈動き〉を含む名詞であっても、すべて「~する」となるわけではありません。「自動」という語は「自分で動く」という意味ですが、「自動する」とはいいません。ふつうは、「自分で動く」とか「ひとりでに動く」「放っておいても勝手に動く」などと表現されます。これは、語として表現するよりも句や文として表現することが選ばれるということでしょう(「自動化する」という言い方はできます。この場合は「化」という接尾辞が「『ひとりでに動く』ようにする」という形で動作性を付与しています)。
これと関連した問題に、連用形名詞による動作の表現があります。わたしたちは、「引っ越す」や「引っ越しする」という「語」ともに「引っ越しをする」という「句」の形を意外に多く使います。「結婚+する」や「テニス+する」も「結婚をする」「テニスをする」とも良く言います。「~する」という形と「~をする」という形のどちらが一般的かは、語によって違うようです。また、公的な場面や文脈では「~をする」が良く現れ、「~する」では違和感がある場合もあると思います。これは、「~する」が「を」の省略という意識が働くからでしょう(実際には、「~する」が必ずしも「を」の省略であるわけではありませんが、そう意識されやすいようです)。