まもなく夜中の十二時になろうとしていた。執しつ務む室しつにひとり座り、首相は長ったらしい文書に目を通していたが、内容はさっぱり頭に残らないまま素通すどおりしていた。さる遠国えんごくの元首からかかってくるはずの電話を待っているところなのだが、いったい、いつになったら電話をよこすつもりなのかと訝いぶかってみたり、やたら長くて厄介やっかいだったこの一週間の、不ふ愉ゆ快かいな記憶の数々を頭の隅すみに追いやるのに精せい一いっ杯ぱいで、ほかにはほとんど何も頭に入ってこなかった。
開いたページの活字に集中しようとすればするほど、首相の目には、政敵せいてきの一人がほくそ笑えんでいる顔がありありと浮かんでくるのだった。今日も今日とて、この政敵殿どのはニュースに登場し、この一週間に起こった恐ろしい出来事を、(まるで傷口きずぐちに塩を塗ぬるかのように)いちいちあげつらったばかりか、どれもこれもが政府のせいだとぶち上げてくださった。
何のかのと非難ひなんされたことを思い出すだけで、首相の脈みゃく拍はくは早くなった。連中の言うことときたら、フェアじゃないし真実しんじつでもない。あの橋が落ちたことだって、まさか、政府がそれを阻そ止しできたとでも言うつもりなのか。政府が橋きょう梁りょうに十分な金をかけていないなどと言うやつの面つらが見たい。あの橋はまだ十年と経たっていないし、なぜそれがまっ二つに折おれて、十数台の車が下の深い川に落ちたのか、最高の専せん門もん家かでさえ説明のしようがないのだ。
それに、さんざん世間を騒がせたあの二件の残酷ざんこくな殺人事件にしても、警官が足りないせいで起こったなどと、よくも言えたものだ。一方、西せい部ぶ地ち域いきに多大な人的・物的被害ひがいを与えたあの異い常じょう気き象しょうのハリケーンだが、政府がなんとか予測よそくできたはずだって? その上、政せい務む次じ官かんの一人であるハーバート・チョーリーが、よりによってこの一週間かなり様子がおかしくなり、「家族と一いっ緒しょに過ごす時間を増ふやす」という体ていのいい理由をつけて辞じ職しょくとなったことまで、首相である私の責任だと言うのか。
「わが国はすっぽりと暗いムードに包まれている」と締しめくくりながら、あの政敵殿はにんまり顔を隠かくしきれないご様子だった。
残念ながら、その言葉だけは紛まぎれもない真実だった。たしかに、人々はこれまでになく惨みじめな思いをしている。首相自身もそう感じていた。天候てんこうまでも落ち込んでいた。七月半ばだというのに、この冷たい霧きりは……変だ。どうもおかしい……。