小学校からの帰り道に、紙芝居を見るのは、スリルがあった。
ランドセルを背負って、買い喰いは出来ない。うしろから、背伸びをして見る。横から覗くと「只見はいけないよ」と怒られる危険があるからだ。うしろから見ていても、飴をしゃぶっている有料観客の体に触れてはいけない。「小父さん、只見がいるよっ!」などと、大声を張り上げる子がいたりするからである。
その頃の紙芝居は、凝っていた。一本の竹串《たけぐし》に、紙を張り合せ、その裏表に、同じ人物の二つの姿態が描かれている。人物の周囲は、黒く塗りつぶしてある。この小さな絵《え》団扇《うちわ》が、黒幕の前で、くるくる廻ると、三好清海入道が鉄棒を振り上げたり振り下ろしたり、玉藻《たまも》の前が金毛九尾の狐になったりするのである。
裏表がすむと、ひょいと、絵団扇を取りかえる。小さな拍子木でツケを打って、はずみをつけたりする。
取っ組み合いになると、絵団扇も大きく、一つになり、忙しくくるくる廻る。ドラが鳴り、ツケが連打される。「ええいっ!」ひょいとまた、団扇が二つになり、投げた女、投げられた馬子。「恐れ入りやした」くるり。両手をつく馬子。「女と思ってばかにおしでないよ」くるり。かんざしへ手をやる女。
この素朴なアニメーションが、一枚絵に変った時、私はがっかりして、以後紙芝居を見なくなった。
八幡神社の祭りのたのしみは、お神楽《かぐら》であった。
神楽殿は、十畳よりいくらも広くはなかっただろう。笛や太鼓の単調な調べに合わせて、面をつけ、鬘《かつら》をつけ、衣裳をつけた人物たちが、踊り、舞い、身振りをする。鈴を鳴らし、剣を振り、扇を動かす。
ヤマトタケルノミコトの悪者退治は、眠くなるような、ごくゆっくりとした動きで始まり、はげしい、電光雷鳴のような勢いで終る。やがて、にぎやかな、はずむ音楽の調べに乗って、おかめとひょっとこが、のんびりとあわてながら出てくる。
ある時、好奇心を起して、神楽殿の裏へ廻って見たことがある。黒ずんだ欄干の向うに、楽屋が丸見えで、鬘と面をはずした赤ら顔のヤマトタケルノミコトが、ラムネを飲んでいた。お姫様の衣裳を着た、痩せた、渋紙色の、小さな老人が、欄干に腰かけて、うつむいて、手拭で汗をふいていた。緋《ひ》の袴《はかま》をたくし上げて、痩せた股《もも》と脛《すね》が見え、足はまだ白足袋をはいていた。私はがっかりした。
すると、その老人が汗をふきながら、私の方を見た。その顔は、まったく無表情であった。お面よりも、無表情であった。
私はびっくりして、どきどきして、駈けて神楽殿の前へ引返した。見てはならないものを見たような気がした。お神楽は安心して出来る只見だが、それは表だけで、裏へ廻ってはいけないのであった。お姫様の老人は、舞台と同様に、無言のまま、私を見ただけであったが、その無表情な顔は、紙芝居の小父さんの叱声よりも強く、私を叱っているようであった。
夏、原っぱに掛小屋の芝居が来る。丸太と葭簀《よしず》の急ごしらえの小屋で、とてもテント劇場などという立派な代物《しろもの》ではない。照明も、むろん、スポット・ライトではない。臨時に引いた電線から、普通の裸電球がいくつもぶら下っているだけである。
これが只見であったのは、どういうわけだか分らない。たぶん、町会の催しだったのであろう。その頃——昭和の初期の東京では、まだ、芝居を見る楽しみが、芝居というものが、市民生活の中に息づいていたのであろう。
原っぱだから、全員、立見である。紙芝居も八幡様のお神楽も立見だが、違うところは、ここにはでこぼこがあり、草が生えているということで、足場次第で、思わぬ特等席に恵まれたり、三等席に甘んじなければならなかったりする。特等は草の生えていないでこの所。一等はおおばこなどの生えているでこの所、やや不安定。二等は石ころのあるぼこの所、下駄の後ろの歯を石ころに乗せると割とよく見える。三等は草の生えたぼこの所、よく見えないし、足がかゆくなる。
今の新派の芝居からは想像もつかぬ古風な新派劇をやる。
飲む、打つ、買うの三拍子そろった父親が、身から出た錆《さび》の間違いが元で、一人娘に大けがをさせ、その臨終の涙ながらの諫《いさ》めの言葉に、翻然心を入れ替えて、不動の滝に打たれながら、娘の成仏《じようぶつ》を祈る、というようなあんばいである。
ただ、今でも、よく分らないのは、どうして、あんな掛小屋で、あんな不動の滝が、出来たかということだ。仕掛けが分らない。
とにかく、本物の水が、本水が、どっどどっどと、絶え間なく落ちてくるのである。
父親役の、五分刈りの頭の役者は、合掌したまま、大声で南無妙法蓮華経《なむみようほうれんげきよう》を唱えながら、そのすさまじい滝にいつまでも打たれている。スペクタクルは、原っぱでも出来るのであった。
今時、こんな芝居は見られない。東京の町会は、夏になると、盆踊りばかりやっている。裏も表も明けっぴろげなのが、当世風なのであろう。
——一九六九年九月 オール読物——