詩と劇とは、昔から仲のいい姉妹だった。
物語と劇とも、同様に仲がよかった。が、近代になって、小説というものが出来てからは、小説と劇とは、必ずしも具合がよくゆくとは限らなくなった。チェーホフが来て、小説と劇とを和解させた。
映画、というものが現われた。三千年の樹齢をもつ劇という巨木から生えた新しい強い枝である。
安岡章太郎氏の処女戯曲「ブリストヴィルの午後」は、その四つのジャンル、詩と小説と映画と劇とを、打って一丸としたうえ、さらにエッセイの風味を加えたような趣がある。たしかにこれは「実験」の名に値する難業で、この抒情と、描写と、洞察と、流動するイメージと、行動とを、どう束ね、どう融合させたものか。楽しい苦役《くえき》である。いつもの流儀で、手に入る限りの氏の作品を机の脇に積んで読み返しながら、演出の準備を進めている。
——一九六九年六月 雲欅——