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決められた以外のせりふ60

时间: 2019-01-08    进入日语论坛
核心提示:雪の節分「雲」の出発に関する三つの日付がある。三つとも、私達には忘れ難い日付である。 まず、昭和三十八年一月十四日。 こ
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 雪の節分
 
「雲」の出発に関する三つの日付がある。三つとも、私達には忘れ難い日付である。
 まず、昭和三十八年一月十四日。
 この日は、「雲」の結成された日である。
 福田さん、向坂君、この日文学座に辞表を出した私達、合わせて二十七人が、東京会館で最初の記者会見を行い、「雲」結成の趣意書を発表した。
 次が、同じく二月三日。
 これは、創立総会の行われた日である。創立同人三十人が顔をそろえた。この日は、旧暦の節分であった。「雲」は翌日、立春の日に活動に入った。「雲」は新年とともに動き出したということになる。
 三番目は、同じく三月二十八日。
 第一回公演「夏の夜の夢」の砂防会館ホールにおける初日である。
 記念すべきこれらの三つの日付の集まりに、ひとり私だけは、終始一貫して不在であった。前年の三月の末に慶応病院に入院、同じく十一月九日に第一回胸郭成形手術をうけて、私は寝たまま「雲」に参加した。「夏の夜の夢」は、こっそり消燈後のテレビで見ただけである。
 結成の日に、すぐ創立総会をひらくことが出来なかったのは、何人かが、文学座公演のマルセル・エーメ作「クレランバール」に出演中だったからである。「クレランバール」は東京公演の直後に、京阪神公演を控えていた。そこで、創立総会はその何人かの帰京を待って行われることになったのである。結成後間もなくアメリカ留学に出発した荒川哲生と、私だけが欠席で、創立同人三十人はこの日、番町の福田家(フクダヤと訓《よ》む。旅館である。フクダケは大磯にある)に集まり、ささやかな祝宴をひらいた。
 その模様をつたえることは、むろん私には出来ない。私は一月十八日に予定通り二回目の手術をして、番町とは目と鼻の間の慶応病院の五階の病室で唸っていた。
 髪も髯ものび放題で、手術後の深い傷が痛むから、五分と起きていられない。
 しかし寝たままでいると、身体が曲ったまま固まってしまうから、文字通り歯を喰いしばって床の上に起きあがり、手や肩の運動をしなければならない。
 術後二週間になるから、食事も、もう自分で食べなければならぬ。だが上半身をまっすぐにして坐ることなど、思いもよらない。三条大橋の高山彦九郎のように、土下座をした恰好で、右手だけを動かして、下に置いた椀の粥《かゆ》をたべるのである。髪や髯がのびているから、橋の上の彦九郎よりも、橋の下の住人に似ていたかも知れぬ。
 その日東京では、昼すぎから粉雪がちらつきはじめ、見る間に烈風を伴う大雪となった。
 神宮外苑の暗い空に降りしきる雪は、ある時はほとんど真横になびいて、絶え間なく流れる華麗なカーテンのように見えた。
 味気ない木綿のカーテンのぶら下っている病室の窓からそれを見ていると、気のせいかますます痛みが募ってくる。私は腹を立てて「畜生!」などと口走ったが、声を出すとすぐ傷にひびくので、しまいには諦めて、殉教のサン・セバスチァンの真似をした。いろいろなしかめ面をしながら、かすかな、いろいろな音色の唸り声をだして、気をそらすのである。
 これは私の推測だが、この日、同じく「クレランバール」の旅から帰った文学座の幹部達は、赤坂福吉町の久保田万太郎先生の許に走ったのではないかと思われる。
 べつに確かな根拠があって言うのではないが、先生没後に編まれた句集「流寓抄以後」の、昭和三十八年のはじめの方を見ると、次の二句が録されている。
 
  枝々にまつはる雪のきざしかな
  雪の傘たゝむ音してまた一人
 
 この年、東京で雪らしい雪の降ったのは、僅か二日である。残る一日は春の彼岸過ぎの、いわば狂った雪であったが、句集の三十八年の分、「その六」には雪の句は他にない。そして句自体の趣から言っても、また、このすぐ後に、「二月某日、上野精養軒にて日本芸術院部会長会議」という前書のある句がつづくところから見ても、この二句の雪は、春の雪ではなく、二月三日の節分の雪のように私には思われるのである。
 あるいはその日、先生のお宅には何か別の集まりがあったのかも知れないし、またことさらに集まりというのではなく、ただ次々に訪客があったのかも知れない。先生のよくつけられた前書がこの二句にはないから、私の推測に根拠はない。全くの臆測かも知れぬ。しかし前書がないために、かえってどんな情景をも想像することが出来るわけで、私はこの二句を見るごとに、福吉町のお宅の茶の間に独り口をつぐんで坐っておられる先生や、雪を冒して駆けつけてくる文学座の先輩達の誰彼の姿を、ごく自然に思い浮べてしまうのである。
 同じ年の暮、「喜びの琴」をめぐる騒ぎがあって、また幾人かが文学座を退いた時にも私はたびたびこの二句を思い出した。「雪のきざし」は、はっきりと雪になったのである。しかしその時、久保田先生はもう居られなかった。
                                         ——一九六四年九月 現代演劇協会報——
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