私は、こういうふうに、何国人だから何という一括して大雑把に特性づける考え方は、真実にあわないので、好きではないけれども、だからといって、それぞれの国民の芸術上での特質というものが、まったく存在しないという考え方をしているわけでもない。それもまた真実の一面にちがいないからだ。というのも芸術とか、文化とかいうものは、すべて歴史的存在であって、一国の文化がその民族の歴史によって強く規定され、特質づけられるのは、いう必要もないくらい、あたり前なのだから。
ところで、こういったフランス系の指揮者の中で、私がいまだに忘れられない強い——というか永続的な印象をうけたのは、あの長い口髭《くちひげ》のおやじ、ピエール・モントゥであるが、その話は別にするとして、ついではシャルル・ミュンシュ、それから、これは純粋にフランス人というわけではないにしろ、やっぱり長いことパリを中心に活躍してきたイゴーリ・マルケヴィチであった。
マルケヴィチには、はじめてパリに行った時、はじめてきいたフランス人の演奏会——たしかコンセール・ラムルーの演奏会だったが——そこでラヴェルの『ダフニスとクロエ』の第二組曲をきいて、圧倒されたものである。それはもう実に絢爛豪華な音色の氾濫《はんらん》であり饗宴《きようえん》であった。
もう一人のミュンシュについては、いくつかの思い出があるのだが、その一つは、彼がボストン交響楽団を指揮したのを——それもアメリカでなくて、東京で——きいた時のそれで、その後、彼は『エロイカ』をやったのだが、一方では、その音がまるで大写しにしたスコアを目の前にしてそれを見ながらきいているみたいな、一点の曇りもない——それからニュアンスもなしに——まったく明晰《めいせき》そのものといった演奏になっていたのと、もう一方でそういった顕微鏡的透明、明確な音の流れでありながら、そこに、一種の——何というか——苛立《いらだ》たしさとでもいうか、違和感ではないにしろ、ベートーヴェンのこの音楽に完全には同感しきれず、音楽と一体になるにしては何かが邪魔になっていて、それを追い払おうと躍起になっているとでもいった具合の、苛立たしさが、あの葬送行進曲の緩徐楽章にさえありありと感じられたこと。私は、この時の奇妙なチグハグな印象を、いまだに忘れずにいる。あれほどの明確さを実現するには、当然、精神の冷静で客観的な態度が前提であるべきなのに、冷静どころか、非常に烈しく戦っている心の姿がまる見えな演奏なのである。
そのうえに、こういう彼の姿勢が、ベルリオーズの『幻想交響曲』になると、まるで水を得た魚のように、そのままで、生き生きと、矛盾なしに躍動してくるのも、私には非常に印象的だったと、ここで、つけ添えておこう。