しかし、こんなことばかりを思い出すというのが、つまりは、彼の音楽がよくわからなかったという証拠であろう。
だが、クレンペラー自身も、このころはあまり調子がよくなかったのも事実ではなかったか? 何しろ、彼は優に六尺はあろうという大きな人だが、それだけでなく、始終怪我をしたり病気をしたり不運に見舞われ通しの人で、一九三三年ライプツィヒで練習中ステージから下に落ちて頭を打って以来というもの、頭痛から癒《い》えることがなく、一九四〇年には精神が異常だといわれたり、私のきいた年の少し前一九五一年には右脚を何かで骨折したというし、一九五九年にはベッドでタバコを吸っているうち眠ってしまい目が覚めたらあたり一面の煙と火。そばにある水をかけたら、それが何か揮発性のもので大《おお》火傷《やけど》してしまったとか、そのあとでも一九六六年にまた転んでたしか腰の骨を折ったとかこんな調子で、やたら大怪我の仕通しなのである。
こういう話はどうでもよいようなことでありながら、やっぱりクレンペラーという指揮者を考えるには、抜きにするわけにいかない点もあるのである。ロンドンの批評家カーダスのいわゆる「クレンペラーという人はいつも盲の芸術家という印象を与える。彼は聴衆の反応にはまるで無関心なのじゃないかと思われるくらい自主独立の精神にとんだ人であり、いわば赤裸の真実で満足している人間なのだ」ということになるのも、この巨人の指揮者には何かバランスが欠けているからではなかろうか。
この人には、非現実的というのではないが、相対的な日常性の世界とは次元のちがう、超絶的な世界——あるいはあのバッハからベートーヴェンにいたる、そうしてヴァーグナー、ブラームスからブルックナー、マーラーにおいても、なおその余映を充分に残しているドイツ・オーストリア音楽に独特の、まったくそれ自体で独立した、内面の深くて充溢《じゆういつ》した世界といえばよいか——、そういう世界に根ざし、そこから生まれてくるものと不断に接触している人間だけがもっているような、一種の時代ばなれした雰囲気《ふんいき》が漂っているのである。クレンペラーこそ、マーラーからフルトヴェングラーにいたる、ドイツ・オーストリア系統の指揮者の最後の大家といってよい人だろう、特にシューリヒトのすでにいない今日。
いつかも引用したショーンバーグの『偉大な指揮者たち』という本は同じ著者の『名ピアニストたち』にくらべると、ちょっと精彩を欠いている本だが、その中ではこのクレンペラーに関する章は出色で、クレンペラーという稀代《きたい》の指揮者についての生々しい印象を伝える表現がいくつかあるから、興味のある方には御一読をおすすめする。その中で、彼はこういっている。
"The German School is an intense and one-sided, almost monomaniacal, one...German conductors, no matter how powerful their personality — and the personality of a Furtw穫gler, Walter or Klemperer could be measured only in astronomical units—are completely alien to showmanship and flamboyance.
They are interested in one thing only-making music as authoritatively, as honestly, as unostentatiously as possible."(前掲書、三一八ページ)
そうして、ショーンバーグは、「オットー・クレンペラーは若い時はこのドイツ楽派の典型的な存在だったし、晩年にいたっては、その原型というべきものとなった」とつづけている。
これは、私は、正しい意見だと信じる。