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世界の指揮者51

时间: 2018-12-14    进入日语论坛
核心提示: クレメンス・クラウスも、私が実際にその指揮姿に接する機会を逸した今世紀の名指揮者の一人である。私には、今にいたるまで、
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  クレメンス・クラウスも、私が実際にその指揮姿に接する機会を逸した今世紀の名指揮者の一人である。私には、今にいたるまで、それが残念でならない。彼のようなタイプは、もう、二度と出ないのではないかと思われるからである。
 一八九三年三月にヴィーンで生まれたクラウスは、一九五四年の五月、演奏旅行に出かけて行った先のメキシコ・シティで客死したわけだが、その一九五四年という年は、私にとってははじめてヨーロッパに渡った年であり、私は彼が死んで半月後ヴィーンに出かけて行ったのだった。その年のヴィーンの音楽祭は六月からはじまった。そうして、このプランをたてた時は、私はヴィーンに行けば当然クラウスがきけるものと思いこんでいたのだった。予告にも、彼の名がのっていたはずである。
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