バルビローリは、その時が最初の来日というわけだったから、結局、ついに日本の好楽家の前に姿を現わすことなく、逝《い》ったということになる。本当に惜しかった。それに彼の場合は、レコードではずいぶん昔から馴染《なじ》みであったはずなのに、独特の粘液質的な音楽のつくり方が、日本の聴衆にはどこか馴染みにくいところがあるのか、それとも何かほかに理由があったのか、わが国での評価に、もう一つ、歯切れの悪いものがあっただけに、みんなで実演をきく機会があれば、もう少しはっきりしただろうと思えるのだから。
私は、これまで何遍か自分の経験したことからいうのだが、知らない演奏家をレコードだけで判断するのは本当にむずかしい。私だけでなく、わが同僚諸氏も、直接きく機会がないままに、レコードだけであれこれ論じなければならない時、困惑する場合が何度もあったのではないだろうか?
こんな書き出しをすると、結局自慢話めいてきて、恐縮なのだが、私は、幸いにも、バルビローリを何回かきくことができた。一番最初きいたのは、一九六七年から六八年にかけてベルリンに滞在していたころ、ベルリン・フィルハーモニーの演奏会でだが、その中でも、マーラーの『第五交響曲』を含んだプログラムがあり、その時の演奏がいちばん印象に残っている。
マーラーの『第五』を実演できいたのは、この時のほかにいつどこでだったか、私には全然思い出せない。ひょっとしたら、この時が最初だったのではないだろうか。それは実にすばらしい演奏で、以来、私はこの曲が好きになった。というより、この曲がやっとわかったと思うようになったというのが正確だろう。マーラーでも、この『第五』『第六』(特にあのすごい終楽章〓)、それから『第七』といった一連の交響曲は、『第四番』までの『子供の魔法の角笛』のロマンティックでメルヒェン的な世界からぬけ出して、世界に向かって客観的な立場で発言するとでもいった姿勢でかかれたものだし、それに声楽がなくなって、純粋な器楽になっている点でも、やはり大きな転換が認められる音楽である。それだけに、また、《形》からいっても複雑なものがあり、前よりはるかに難解な音楽になっている。もしかしたら、彼の音楽の中で、いちばんとっつきの悪い部分が、この三つの交響曲かもしれない。
この時の、バルビローリ指揮ベルリン・フィルハーモニー演奏によるマーラーの『第五』も、けっして、らくにきける音楽ではなかった。だが、バルビローリという人は、私にいわせれば、音楽の情緒的な内容を再現し、伝達するという点では、本当に名人だった。
もしきいたことがないのだったら、彼の指揮によるこの『第五』のレコードを、ためしにきいてみていただきたい。オーケストラはニュー・フィルハーモニアで、私のきいた時とはちがうけれども。そうして、もし、あなたがこれまでマーラーになれていないのだったら、ヘ長調のアダージェットからきいてみていただきたい。こんなに甘美な憂愁をたたえた演奏は、ほかにどこにもない。「そういうやり方なら、ヴァルターがいるではないか」という人もいるかもしれないが、それは先入観というもので、実はヴァルターは、バルビローリに比べれば、ずっと淡々とやっているのである。テンポも速いし、第一、細部にあまり拘泥しない。ところが、バルビローリでは、いわば心のたけ、思いのたけを綿々として綴った告白のようにきこえてくる。それでいて、バーンスタインともちがうのである。バーンスタインのは、耽溺《たんでき》型とでもいうか、自分が完全にマーラーに同化し、曲の中に没入しきっている。それはそれなりに、すごい音楽をきかせる結果になる時もあるわけで、たとえば一九六〇年、東京でニューヨーク・フィルを指揮してやったマーラーの『第九』は、そういうタイプの極致というほかないような演奏だった。あすこでは、音たちは音であると同時に、ある時は涙であり、すすり泣きであり、ある時は恍惚《こうこつ》であり、憧《あこが》れであり、歓喜であり、ある時は恐れであり、絶望であり、ある時は嘲笑《ちようしよう》であるという具合だった。いってみれば、声涙ともに下る大熱弁さながらの演奏。
バルビローリのはそういう極端なものではない。彼は音楽をうしろから駆りたてるようなことはしない。
そのレコードできける最適の例は、何といっても、ベルリン・フィルとやったマーラーの『第九交響曲』の演奏だろう。これは、ヴァルターの指揮した何枚かのマーラーものと並んで、およそありとあらゆるマーラーのレコードの中、迫力といい、魅力といい、最もすばらしいものというほかないものである。密度も濃くて、空虚なところがまったくない。畑中良輔氏のよく使う言い方を拝借すれば「完全に燃焼しつくした」演奏の記録にほかならない。これに比べると、マーラーを振って、ヴァルターと並ぶ巨匠であるオットー・クレンペラーのそれは、逆に驚くほど、悠然としてきこえる。アポロ的静けさと品位。もっとも、細部にどこといっていじりすぎたという憾《うら》みを覚えさすところのない点で、これまた、歴史的な名盤というべきかもしれないのだが。
このほか、バルビローリのマーラーで、私が愛聴しているレコードに、ジャネット・ベイカーが歌い、彼が棒をとっているものがある。『リュッケルトの詩につけた五つの歌曲』は、先にあげた『第五交響曲』のレコードの一面に入っているものだが、その音楽的なことは特筆に値する。これもヴァルターとキャサリン・フェリアの組合わせによる歴史的名盤とともに、マーラーのレコードの白眉《はくび》だろう。私はこのバルビローリとベイカーの顔合わせによるマーラーを実演できいたことがない。彼が万国博に来たとすれば、これがきけたのに、思えば、かえすがえすも残念なことだった。もっとも、レコードでは、ほかに、『亡き子をしのぶ歌』『さすらう若人(徒弟)の歌』と万遍なく入ってはいた。ことに後者は、目立っておそいテンポだが、この曲に関する最も美しい演奏の一つだった。
マーラーのことがやたらと出てくるついでに書いておくが、日本ではマーラーの指揮者としてのショルティの評価が、ひどく、曖昧なように思えてならない。これは残念なことである。ショルティを知るうえにもそうだが、第一、マーラーの音楽を理解し、味わい楽しむうえにも、これは大きな損失だと思う。実は私も、以前ショルティを論じた時は、彼のマーラーをよくききこんでいなかった。
私の考えでは、ショルティこそ、マーラーをふって現存の指揮者中最も注目すべき人だ。周知のように、まず、ショルティは「エスプレッシーヴォの指揮者」なのだし、マーラーの、あの神経質な緊張から痙攣《けいれん》するような陶酔にいたるまでの感情の音階の極端な幅のひろさと変化の異常な速さは、本来、ショルティにうってつけのところなはずである。加えるに、ショルティには、鋭すぎるくらいの分析的な知性と、むき出しの官能性の愉楽の追求があり、それもまた、マーラーのあの複雑を極めた楽式の中での燃えるような表現意欲を跡づけようとする指揮者にとっては、なくてはならない資質であるはずである。それに、ショルティには、ポリフォーンな音楽の流れを、これ以上はちょっと考えられないくらいの透明さにまでよりわけてみせる腕の冴《さ》えがある。こういう点でも、この人にはマーラーにうってつけの資格が具《そな》わっているのだ。ただ、彼には極端への好みとでもいうか、微妙な明暗のニュアンスで仄《ほの》めかすべきものも白日の下にひきずりだして、白か黒かに強引に二分しなくては気がすまないといったところがあり、それがたとえば緩徐楽章を扱う際に、音楽を不安定な、せかせかしたものに変質する弊となる。だが、成功した時のショルティのマーラーは、その強烈な自発性からいっても、本当にすごいというほかないような高みに達するのも、まれではない。『第三』とか『第六』『第八交響曲』とかは、その例だろう。要するに、ショルティは、最も「現代的なマーラーの指揮者」だといってよい。
ただ、『第一』『第四』『第九』といった曲になると、私は、ショルティでなく、ヴァルターやバルビローリでききたいのである。