君が僕に劣らぬ探偵好きであることは分っている。僕は君が東京にいてまだ学生だった時分、二人で机上の探偵ごっこをして楽しんだのを忘れることが出来ない。で、僕はこういう事を思い立った。まだ謎は殆ど解けていないまま、この事件の経過を詳しく君に報告して、それを後日の為の記録ともし、又、遠く隔てて眺めている君の直覚なり推理なりをも聞かせて貰うという目論見なのだ。つまり、僕達は今度は、現実の、しかも僕に取っては恩師に当る黒川博士の身辺をめぐる犯罪事件を材料にして、例の探偵ごっこをやろうという訳なのだ。これは一寸考えると不謹慎な企てと見えるかも知れない。だが、そうして、若し少しでも事件の真相に近づくことが出来たならば、恩師に対しても、その周囲の人達に対しても、利益にこそなれ決して迷惑な事柄ではないと思う。
今から約一ヶ月前、九月二十三日の夕方、姉崎曽恵子未亡人惨殺事件が発見された。そして、何の因縁であるか、その第一の発見者はかく云う僕であった。姉崎曽恵子さんというのは僕達の心霊学会の風変りな会員の一人で(風変りなのは決してこの夫人ばかりではないことが、やがて君に分るだろう)一年程前夫に死に別れた、まだ三十を少し越したばかりの美しい未亡人だ。故姉崎氏は実業界で相当の仕事をしていた人だが、その人と黒川博士とが中学時代の同窓であった関係から、夫人も博士邸を訪問する様になり、いつの間にか心霊学に興味を持って、心霊現象の実験の集りには欠かさず出席していた。その美しい我々の仲間が突然奇怪な変死をとげたのだ。
その夕方、午後五時頃であったが、僕は勤め先のA新聞社からの帰りがけに、兼ねて黒川先生から依頼されていた心霊学会例会の打合せの用件で、牛込区河田町の姉崎夫人邸に立寄った。多分君も知っている通り、あの辺は、道の両側に毀れかかった高い石垣が聳え、その上に森の様な樹木が空を覆っていたり、飛んでもない所に草の生えた空地があったり、狭い道に苔の生えた板塀が続いていて、その根元には蓋のない泥溝が横わっていたりする、市内の住宅街では最も陰気な場所の一つだが、姉崎未亡人の邸は、その板塀の並んだ中にあって、塀越しに古風な土蔵の屋根が見えているのが目印だ。
姉崎家の門よりは電車道よりに、つまり姉崎家の少し手前の筋向うに当る所に、今云った草の生えた空地があって、その隅に下水用の大きなコンクリートの管が幾つもころがっているのだが、多分その管の中を住いにしているのだろう、一人の年とった男の片輪乞食が、管の前に躄車を据えて、折れた様に座っていた。僕はそいつを注意しない訳には行かなかった。それ程汚くて気味の悪い乞食だったからだ。そいつは簡単に云えば毛髪と右の目と上下の歯と左の手と両足とを持たない極端な不具者であった。身体の半分がなくなってしまっているといってもよかった。その上痩せさらぼうて、恐らく目方も普通の人間の半分しかないのだろうと思われた程だ。僕は道端に立止まって二三分も乞食を眺め続けたが、その間彼は僕を黙殺して、片方しかない手で折れ曲った背中をボリボリ掻いていた。