例の癖で、僕は饒舌になりすぎた様だ。道草はよして姉崎家を訪ねることにしよう。そしてなるべく手取早く犯罪事件に入ることにしよう。で、夫人の家を訪ねると、顔見知りの女中が、広い家の中にたった一人でいた。何かしらただならぬ様子が見えたので、僕はその訳を尋ねて見たが、女中の答えた所は次の通りであった。姉崎未亡人は、夫の病死以来召使の人数も減らして、広い邸に中学二年生の一人息子と書生と女中の四人切りで住んでいた。丁度その日は子供の中学生は二日続きの休日を利用して学友と旅行に出ていたし、書生は田舎に不幸があって帰郷していたし、その上女中は夫人の云いつけで、昼すぎから午後四時半頃まで遠方の化粧品店と呉服屋とへ使に出ていたので、その留守の間夫人は全く一人ぼっちであった。いつもはそういう場合には市ヶ谷加賀町にある夫人の実家から人を寄こして貰う様にしていたのに、今日はそれにも及ばないということだったので、女中はそのまま使いに出て、つい半時間程前に帰宅して見ると、家の中は空っぽで、表の戸締りもなく、家中を隈なく探したけれど夫人の姿はどこにも見えなかった。おかしいのは、夫人の履物が一足もなくなっていないことだ。若し夫人がはだしで飛び出す様なことが起ったのだとすれば、それ丈けでもただ事ではない。さしずめ加賀町さんへこの事を知らせなければならぬが、それには留守番がないしと処置に困じていた所へ、丁度僕が来合せたというのであった。
会話を省略したので、少し不自然に見えるかも知れないけれど、その問答の間に、僕は邸内に女中がまだ探していない部分があることを気附いた。それは先にちょっと書いた往来の塀の外から屋根が見えているというこの家の土蔵なのだ。土蔵が女中の盲点に入っていたのは併し無理はなかった。少くとも女中の知っている限りでは、土蔵の扉は時候の変り目の外は殆ど開かれたことがなく、戸前にはいつも開かずの部屋の様に重々しい錠前が掛っていたのだから。僕は念の為にと女中を説いて、二人で土蔵の前へ行って見たが、その扉には、女中の言葉の通り昔風の大きな鉄の錠前が、まるで造りつけの装飾物でもある様に、ひっそりと掛っているばかりであった。だが僕は錠前の鉄板の表面の埃が、一部分乱れているのを見逃がさなかった。それは極く最近、誰かが扉を開けて又閉めたことを示すものではないだろうか。僕はふと夫人が第三者の為に土蔵の中へとじこめられているという想像に脅されて、錠前の鍵を持って来る様に頼んだが、女中はそのありかを知らなかった。それでも、僕はどうも断念出来ないものだから、窓から窺いて見ることを考えて、庭に降りて見廻すと、幸、蔵の二階の窓が一つ開いたままになっているのを見つけた。僕は梯子を掛けてその窓へ昇って行った。窓の鉄棒につかまって、もう殆ど暗くなっているその土蔵の二階を、僕はじっと窺き込んでいた。猫の様に僕の瞳孔が開いて暗がりに慣れるのに数十秒かかったが、併しやがて、ぼんやりとそこに在る物が浮上って来た。壁に接して塗箪笥だとか長持だとか大小様々の道具を容れた木箱だとかが、ゴチャゴチャと積み並べてあるらしく、漆や金具があちこちに薄ぼんやりと光って見えた。それらの品物は皆部屋の隅へ隅へと積み上げてあるので、板敷の中央はガランとした空地になっているのだが、そこに大きなほの白い物体が、曲りくねって横わっていた。僕の目はいち早くその物体を認めたのだけれど、何だか正体を見極めることを遅らそうとするものの様であった。無論怖がっていたのに違いない。併し、いくら外らそう外らそうとしても、結局僕の視線はそこへ戻って行く外はなかった。見ていると、薄闇の中から、その曲線に富んだ大きな白い物体丈けがクッキリと浮上って、僕の目に飛びついて来る様に感じられた。僕は視力以上のもので、それを白昼の如く見極めることが出来た。