探偵七つ道具
広田青年は、あっというまに、穴のそこに落ちこんで、なにかに、ひどく腰をぶっつけたかと思うと、そのまま、気をうしなってしまいました。それから、どれほど時間がたったかわかりませんが、ふと気がつくと、あたりは、真のやみで、たおれたからだの下は、かたいコンクリートの床でした。
腰のいたさをこらえて、すこし起きなおり、手であたりをさぐってみましたが、なんの手ごたえもありません。あんがい、広い地下室です。
広田は、このまま、暗やみの中で、うえ死にしてしまうのかとおもうと、ガタガタからだがふるえるほど、こわくなりました。まるで、あつい黒ビロードのきれで、目かくしでもされたような暗さです。
そのときです。広田は、うえ死によりももっとおそろしいことに、気がつきました。地下室には、なにかがいるのです。かすかに、なにものかの動いている音が聞こえます。そいつが、ジリジリと、こちらへ、近よってくるらしいのです。
広田はゾーッとしました。がい骨もようのある大カブトムシを、おもいだしたからです。あのおそろしいカブトムシが、このまっ暗な地下室に待ちかまえていて、広田にきがいをくわえようとしているのではないでしょうか。
ガサガサと、はっきり聞こえます。こちらへ、はいよってくるのです。その音が、だんだん大きくなってきました。もう一メートルほどのところへ、近づいているのです。
「だれだ! そこにいるのは、だれだ!」
広田は、おもわず大声をたてて、身がまえをしました。
すると、ふしぎなことに、怪物が人間のことばで、答えました。
「高橋さんのうちの広田さんでしょう。ぼくですよ、ぼくですよ。」
「ぼくって、だれだ。」
こちらは、まだゆだんしません。とびかかってきたら、とっくみあいをするつもりで、身がまえしています。
「ウフフフ、あやしいもんじゃありませんよ。小林ですよ。明智探偵の少年助手の小林ですよ。ほら、さわってごらんなさい。」
広田は手をのばして、さわってみました。毛織りの学生服の手ざわりです。金ボタンも、ついています。だんだん上のほうへ手をやると、少年らしい、やわらかいほおがありました。
「ああ、それじゃきみは、小林君か。ほんとうに、小林君だろうね。にせものじゃないだろうね。」
広田は、明智探偵のにせものに、こりているので、ねんをおしました。
「にせものじゃありませんよ。にせものだったら、こんな地下室にとじこめられているはずが、ないじゃありませんか。」
「ふーん、すると、きみも、悪人のために、ここへ落とされたのか。」
「そうですよ。あいつ、なんて変装がうまいんだろう。ぼくも、ほんとうの明智先生だとおもって、ゆだんしたのです。そして、落とし穴へ、落とされてしまったのです。」
「明智探偵事務所には、もとからこんな落とし穴があったの?」
「ええ、あったのです。先生は、悪人をとらえるために、この落とし穴をつくっておかれたのです。それを、あべこべに、敵に利用されたのですよ。」
「それじゃ、ほんとうの明智さんはどこにおられるのだろう。まさか、明智探偵まで、敵のとりこになったのじゃあるまいね。」
「二―三日、旅行中なのです。べつの事件で、大阪のほうへいかれたのです。きょうか、あす、お帰りになるはずだったので、ぼくは、にせものにだまされたのですよ。あいつが、先生とそっくりの顔と、そっくりの服で、いま帰ったよって、はいってきたものですから。」
「ふーん、きみまでだますとは、よくよく変装のうまいやつだね。だが、この落とし穴には、ぬけみちでもないのかね。なんとかして、ここを出るくふうはないのかね。」
「ぬけみちなんてありませんよ。ここへ落ちたら、もうおしまいですね。てんじょうまで四メートルもありますよ。はしらもなんにもないから、人間わざでは、のぼりつくこともできません。」
そのとき、ガタンという音がしたかとおもうと、てんじょうからパッと光がさしこんできました。おどろいて見あげますと、落とし穴の四角な板が、すこしひらいて、そこから人の顔がのぞいていました。
「ハハハ……、ご両人、なかよく話しているね。どうだね、落とし穴の、いごこちは?」
のぞいているのは、さっきのにせ明智でした。
「いいこころもちだよ。ヒヤヒヤとすずしくってね。それに、広田さんという話しあいてを、おくってくれたので、とうぶん、たいくつしないよ。」
「ハハハ……、まけおしみをいってるな。だが、安心したまえ。きみたちを殺しやしない。こっちの仕事のすむまで、二―三日のしんぼうだよ。二―三日で、うえ死にするわけもないからね。」
「ぼくたちは、だいじょうぶだよ。それより、きみこそ、用心するがいい。いまに明智先生が帰ってくるからね。そうすれば、きみはすぐ、つかまってしまうんだからね。」
小林少年も、なかなか、まけていません。
「ウフフフ、まあ、熱をあげているがいいさ。おれのほうの仕事は、これからすぐはじめるんだからね。明智先生、まにあえばいいがね。……まあ、その暗やみの中で、ふたりで、なかよく話でもしていたまえ。それじゃ、あばよ。」
そして、パタンとふたをしめ、止めがねをかけてしまいました。地下室の中は、また、もとの、まっ暗やみです。
「ねえ、小林君。あいつは、これからすぐ、高橋家へいって、賢二ぼっちゃんを、どうかするにちがいない。明智さんはとても、まにあわないだろう。それを思うと、ぼくは、じっとしていられないよ。ねえ、きみ、どうかして、ここをぬけだすくふうはないだろうか。」
広田は、賢二少年の身のうえが、心配でしかたがないのです。
「ぬけみちなんかないけれども、ここを出るくふうはあるんですよ。」
小林少年は、ニコニコ笑っているような口ぶりです。
「えッ、それはほんとうかい。どうして? どうしてぬけだすの?」
すると、そのとき、小林君のからだからパッと強い光が、かがやきました。懐中電灯です。
「アッ、きみ、懐中電灯もってたの?」
「探偵七つ道具のうちには、むろん、懐中電灯がはいっています。ごらんなさい。これがぼくの七つ道具です。ほらね、ぼくはどんなときでも、胴巻きのように、この袋を腹にまいているのですよ。」
小林君はビロードの大きな袋から、いろいろな品ものをとりだして、コンクリートの床にならべ、それを懐中電灯で、てらしてみせるのでした。
そこには、七つどころか、十いくつの、ひどく小さな、こびと島の道具とでもいうようなものが、ズラリとならんでいました。
てのひらにはいるような小型写真機、指紋をしらべる道具、黒い絹糸をよりあわせて作った、まるめれば、ひとにぎりになる縄ばしご、ノコギリやヤスリなどのついた万能ナイフ、虫メガネ、錠まえやぶりの名人が持っているような万能かぎたば、それから、なんだかわからない銀色の三十センチほどの長さの太い筒など。
小林少年は、その銀色の筒を手にとって、みょうなことを、いいだしました。
「これ、なんだか、わかりますか。手品の種ですよ。ぼくの魔法のつえですよ。これと、この絹糸の縄ばしごさえあれば、こんな穴ぐらなんか、ぬけだすのは、ぞうさもありませんよ。」
広田青年は、小林少年の手から懐中電灯をとって、てんじょうをてらしてみました。高さは四メートルはあります。落とし穴の板は、ぴったりしまって、鉄のカンヌキで落ちないようになっています。四方の壁からは、ずっと、へだたっていますし、その壁にも、手がかりになるようなものは、なにもありません。たとえ、縄ばしごを、なげてみたところで、どこにも、ひっかかるものがないのです。
小林君の手品とは、いったい、どんなことでしょう。わずか三十センチの銀色の筒が、なんの役にたつのでしょう。