明智探偵の登場
高橋さんは、そのまま家へ帰りましたが、なにがなんだかさっぱりわけがわかりません。一時間ほどまえに、たしかに警視庁へ電話をかけたのです。
ダイヤルをまわすと、交換手の女の声で、「こちらは警視庁です。」と、はっきりいいました。いくら魔法つかいの犯人でも、ダイヤルで自動的につながる電話を外からどうすることができましょう。まったく不可能なことです。これが第一のふしぎ。
第二のふしぎは、いつのまに、どうして、賢二君をさらっていったか、ということです。あれがにせ警官にしても、四人のものは、高橋さんの見ているまえを、どうどうと出ていったではありませんか。賢二君をつれさることなど、できるわけがありません。
では、四人のほかに、べつのやつが、裏庭からでも、しのびこんで、賢二君をさらっていったのでしょうか。それも、考えられないことです。さっきの警官が賢二君の部屋へ行ってから、高橋さんがおなじ部屋へ行くまでに、十分ぐらいしかたっていません。裏庭からしのびこんで、女中をなぐりたおし、おかあさんをしばって、さるぐつわをはめ、それから賢二君にもさるぐつわをはめて、窓からかつぎだし、裏のへいをのりこえてにげるというようなことが、たった十分でできるでしょうか。それに、へいの外は道路ですから、夜でも人通りがあります。人の通るすきを見て、へいをのりこえなければなりませんから、それにも時間がかかるはずです。とても、ふつうの人間にできることではありません。
いくら考えてもわかりません。やっぱりカブトムシの怪人は魔術師です。魔術でなくては、こんな、はやわざができるわけがないのです。
高橋さんは、書生に医者をよばせて、気をうしなっていた女中に手あてをしてもらい、賢二君のおかあさんも、さるぐつわや縄をとって、ひと間にやすませました。そして、そのときのようすを、たずねてみましたが、いきなり、うしろから目かくしをされて、しばられたから、なにもわからなかったという答えでした。女中も話ができるようになったので、きいてみますと、これも、あっというまになぐられたので、あいての服装なども、まるでおぼえていないというのです。
そんなことをしているうちに時間がたち、やがて玄関にベルの音がして、中村警部の声がきこえました。書生に応接間へ通すようにいいつけておいて、高橋さんがはいっていきますと、応接間には中村警部のほかに、ふたりの背広の男がいました。そのひとりのほうが、なんだか、見たような顔なのです。高橋さんは、思いだそうとしましたが、どうも思いだせません。それを見てとって、中村警部が紹介しました。
「ごぞんじないでしょうが、こちらは、私立探偵の明智小五郎さんです。明智さんはやっぱりわれわれにも関係のある事件で、大阪の方へ旅行しておられたのですが、それがうまくかたづいたので、きょう東京に帰られて、警視庁へおよりになったのです。さっきのお電話の話をしますと、ひじょうにおもしろい事件だから、じぶんも、いっしょに行ってみたいといわれるので、おつれしたわけです。こちらは、わたしの部下の刑事です。」
「ああ、あなたが明智先生でしたか。なんだか見たようなお顔だと思いました。新聞の写真でお目にかかっていたのですね。カブトムシの怪人のことは、ごぞんじでしょう。あなたのおるすちゅうに、あいつは、あなたにばけて、ここへやってきたのです。そして、わたしと賢二を自動車にのせてつれだしたのですが、あなたの少年助手の小林君のはたらきで、ぶじにすみました。わたしは、あなたのお帰りをどんなに待っていたかしれませんよ。」
高橋さんが、うれしそうにいいますと、明智もにこにこして答えました。
「そのことは、小林が大阪へ電話をかけてくれましたので、くわしく知っています。とんだやつに見こまれて、あなたもご心配でしょう。じつはもっと早く帰るつもりだったのですが、あちらの仕事が、てまどって、一週間ものびてしまいました。しかし、もうだいじょうぶです。わたしは、とうぶん、このカブトムシ事件に全力をつくすつもりです。賢二君は、きっととりかえしておめにかけます。」
「ありがとう。それで、わたしも、どんなに心づよいかわかりません。」
高橋さんは、名探偵の自信にみちたことばに、すっかりうれしくなって、たのもしげに、その顔を見あげるのでした。
「それに、けさ、小林が丸ビルで、ひどいめにあっています。小林ははずかしくて、わたしにあわせる顔がないといって、しおれています。そのかたきうちも、しなければなりません。」
こい眉、するどい目、高い鼻、にこやかな、しかし、ひきしまった口、有名なモジャモジャのかみの毛、名探偵は、そのモジャモジャ頭を、指でかきまわしながら、はげしい口調でいうのでした。
高橋さんは、明智探偵と中村警部に、こんやのできごとを、くわしく話しました。
「それにしても、警視庁の電話番号のダイヤルをまわして、ちゃんと捜査課が出たのに、中村君がにせものだったというのは、じつにふしぎです。またあいつらは、賢二を、いったいどうしてつれだしたか、それが、まったくわかりません。それについて、あなたがたのお考えがききたいのです。」
と、ふたりの顔を見くらべました。すると中村警部が、首をかしげながら、いうのです。
「わたしも、電話のことは、ふしぎでしかたがありません。もしや、捜査課に犯人のなかまがまぎれこんでいて、わたしの声をまねたのではないかと、よくしらべてみましたが、交換手は、だれも高橋さんから、わたしへの電話をとりついだおぼえがないというのです。つまり、あなたは警視庁のダイヤルをまわされたが、出たあいては、警視庁ではなかったわけですね。」
「しかし、もし、電話線が、まちがったところへ、つながったのなら、警視庁ですとこたえるはずがないじゃありませんか。中村君の口まねをしたやつは、悪人にきまっているが、わたしのまわしたダイヤルで、悪人の電話に、うまくつながるなんて、そんなことはできないことですよ。」
「それは、そうですね。じつにふしぎだ。」
警部も腕をくんで、考えこんでしまいました。
ふたりの話をだまって聞いていた明智探偵は、そのとき、「ちょっと、しつれい。」といって、どこかへ出ていきましたが、しばらくすると、にこにこしながら帰ってきました。
「わかりました。電話の秘密がわかりましたよ。ちょっと庭に出てごらんなさい。」
明智はそういって、さきにたって廊下へ出ると、庭の方へおりていきます。高橋さんと、中村警部と、その部下の刑事も、わけはわからぬけれど、ともかく明智のあとに、したがいました。
「高橋さん、あの庭のすみに、小さな小屋がありますね。物置ですか。」
「そうです。がらくたが、ほうりこんであるのですよ。」
「あの中に、私設電話局ができていたのです。」
明智が、みょうなことをいいました。
「え、私設電話局ですって?」
「ここに懐中電灯があります。これで物置きの中を見てごらんなさい。」
高橋さんは、いわれるままに、懐中電灯をうけとると、物置小屋の戸をひらいて、中をのぞきこみました。
「ほら、てんじょうから二本の電線が、たれさがっているでしょう。あのさきに、電話機がとりつけてあったのです。それから外へ出てやねをごらんなさい。むこうのおもやのやねから、この小屋のやねへ、やっぱり二本の電線がひっぱってある。わかりましたか。この二本の電線は、ほんとうは、あすこに立っている電柱につながっていたのです。それを切りはなして、この小屋へひっぱり、電話機をすえつけて、私設電話局をつくったのです。
犯人は電話機を持ってにげたが、電線は、そのままにしておいたのです。あとになって秘密がばれても、犯人はすこしも、こまらないのですからね。
つまり、犯人のひとりが、この小屋にかくれて、あなたが警視庁へ電話をかけるのを待ちかまえていたのです。ダイヤルはどこをまわしても、みんなここへつながるわけです。そして、ひとりで、警視庁の交換手の女のこわいろをつかったり、中村君のこわいろをつかったりしたのです。
目的をはたすと、電話機をとりはずして、それをかついでスタコラにげだしたというわけです。敵ながら、あっぱれですね。じつにかんたんな、うまいやり方を考えたものじゃありませんか。」
「ふーん。」高橋さんは、おもわず、うめき声を出しました。
「そいつのあいずで、あの四人のやつが、やってきたんだな。しかし、明智さん、まだひとつ、かんじんなことが、わたしには、どうしてもわかりませんが……。」
「賢二君を、どんなふうにして、つれだしたかということでしょう。」
「そうです。」
「それなら、わけのないことですよ。わたしは、あなたのお話をきいたときに、その秘密がわかりました。賢二君がつれだされるのを、高橋さん、あなたは、その目でごらんになっていたのですよ。」
高橋さんと中村警部は、この名探偵のことばに、びっくりして、顔を見あわせました。そういわれても、まだわからなかったからです。