翌朝、寺木鉄太郎と別れた小宮幸治は、北大阪のホテルを十時前に出た。四月末以来の懸案を実行するためだ。
須山寿佐美の行先を捜すのは容易ではなかった。実際小宮も一時は絶望しかけたことがあった。だが、石油輸入者の正体を追求しているうちに、あるヒントが得られた。小宮は、寿佐美が残して行ったメモの中に「父の郷里」という文字のあったことを思い出した。もし、寿佐美が父、源右衛門の郷里に行ったのであれば、宅地分譲業者登録の中から、それを捜し出すことができそうに思えた。その登録には、社長の本籍が記載されている。源右衛門が本籍を移動させていなければ、それが彼の郷里に違いないからである。幸い、源右衛門は本籍を移転してはいないようだった。地図で見ると、それは大阪の阿倍野橋から出ている近鉄線の終点駅から五、六キロ山際に入ったところらしいことがわかった。
梅田の地下街に入った小宮は、耐え難い嘔吐感に襲われた。地下道から出ようとしない何千人もの人間が、ボロぎれのような身体を地べたに並べていた。
こうした光景は、天王寺の地下道にもあった。小宮は地上に出た。そこにも、地下に劣らぬ凄惨な光景があった。
小宮は、こうした群衆をはじめて見たのではなかった。東京でも同じような光景は至るところにあった。しかし、小宮はいまさらのように、人間というものがこれほど汚ならしくなりうる動物であることに驚いた。
石油がなくなったからといって、それほど多くの住宅が失われたわけでもない──実際、火災や暴動で失われた家屋は全国で十万戸ほどだった──のに、これほど大勢の人びとが、路上や地下道に吐き出されたことは、一見不可解だった。しかし、人間生活の基盤は、住宅や工場や公共施設などのハードウエア(モノ)ではなく、それを動かし養い保っていくソフトウエア(人間活動)であることを思えば、それも不思議ではない。こうして路上に吐き出された気の毒な人びとは、飯場や住み込みの職場を追われた人びとだけではなかった。むしろ、今日の生活の糧に窮して住居を捨てた家族連れや生活苦の家庭を飛び出した少年、仕事を求めて流れ込んで来た田舎の青年、一食の救済を得んとする老人など、いわば空腹と窮乏に耐えかねて流浪化した人びとが、その大部分を占めているのだった。
このことを考えれば、五月はじめに政府が出した、家賃の一時的支払い停止措置は、人びとの流浪化を防ぐより助長する方に役立ったともいえる。なぜなら、この措置のお陰で、すべての家主は新たに家を貸さなくなったため、一旦住居を出た者は再び住宅に入れなくなっていたからだ。
〈寿佐美もこうした群れに加わっているのではあるまいか……〉
そんな想像が小宮の脳裡をかすめた。
彼女も、住居を捨てねばならなかった一人だ。
小宮が、河内長野に着いたのは昼近くだった。
駅前の商店側はほとんどの店がシャッターを降ろし、痩せこけた野良犬が二匹うろついていた。石油危機は、幸せな時代に急増したペットたちにもきびしく襲いかかっているのだ。だが、犬がいるだけでも、まだこの町は恵まれている証拠だ。
駅員に道をきくと、西の山塊を指さし、十キロほどの距離がある、と答えた。
「十一時半のは出たとこでっさかい、次のバスは三時ですわ」
駅員は気の毒そうな顔をした。
小宮は鞄の中に、三食分のコッペパンと一袋のラーメンを持っていた。昨夜は、役所の出してくれた出張者外食券のお陰で、ホテルの夕食にありつけた。もう一晩、大阪で泊っても、飢える心配だけはなかった。
住宅地を通り抜けるとすぐ、田畑の続くゆるやかな昇り道になった。
道々、小宮はパンを齧り、農家の手押しポンプを見つけて水を啜った。
何度か道を訊ねつつ辿りついた源右衛門の故里は、山の麓にある六十戸ほどの村落だったが、その中で源右衛門という三男が東京で金持になった須山家を捜すのにはかなり時間がかかった。
訊ね当てた源右衛門の生家は、崖下の窪地の狭い敷地にあったが、建物は場所には不似合な真新しい洋館だった。
「あの人たちはもういませんわ」
須山家で、応対に出て来た四十前の小肥りの女性が、そういった。
「どちらへ行かれたんでしょうか」
小宮は、不安にかられた。
「あなたさんは、どういう方で……」
小肥りの女は、警戒するように訊ねた。
小宮は戸惑った。自分をどう説明していいかわからなかった。
「小宮幸治という者です。東京の通産省という役所に勤めているんですが……」
女はパチンコ玉のような目を向けて、小宮の説明の続きを待った。
「僕は寿佐美さんと結婚するんです」
小宮は自分の言葉に驚いた。
小宮は、その家を出ると、ほとんど駆けるほどに急いだ。
あの中年の女性は寿佐美の従兄の奥さんだった。彼女ははじめ、小宮が東京から来た借金取りかなにかではないかと思ったのだった。その種の男たちが、源右衛門の行方を追って二、三度来たこともあったらしい。そして、寿佐美たちがこの家を出たのもそれと無縁ではなかったのだ。
だが、小宮がそういう種類の者でないことを知った奥さんは、寿佐美たちが隣りの集落で、農家のはなれを借りていることを教えてくれた。
目指す家は、ありふれた農家の裏側に、母屋から突き出た長く低い屋根の下にあった。納屋か牛小屋を改造したものらしかった。
小宮は、戸口を開けた。中は薄暗く、湿った空気が顔を襲った。
横一間半奥行き二間ほどの土間に、古い農耕具や汚れた壺のようなものが乱雑に並んでいた。右側には煤けた色の紙障子が入っていた。
「どなた……」
女の声が、障子の向こうから聞こえた。
「私、東京から来た、小宮幸治という者ですが……」
小宮は言葉を区切ってゆっくりといった。
「ああ、小宮はん……」
苦しそうな声の返事のあと、障子の中はしばらく沈黙した。
「まあ、開けとくなはれ」
かなり間をおいて再び弱々しい声がした。
小宮は、障子を細目に開いた。薄い蒲団の上に、慌ててひっかけたらしいドテラの前をかき合わせながら、女が坐っていた。
青白い顔に落ちくぼんだ目、灰色の唇と乱れた頭髪、痩せ細った肩と首筋、それは変わり果てた姿の寿佐美の継母だった。彼女は、源右衛門が行方不明になってから、労組と債権者のきびしい追及による心労で病の床に臥す身になっていたのだ。
「寿佐美は、いま畑の手伝いに……」
継母は苦しそうに息をつきながら、上がって待つように勧めた。
だが、上がるほどの場所も見当たらなかった。部屋は八帖ほどあったが、向こう側の壁際には、食器を載せた坐り机とトランクや紙箱などの荷物が置かれ、右側の隅には、折りたたんだ寝具が積んである。そして中央には、継母の寝ている汚れた夜具がのべられているのだ。
小宮は、この知人の少ない場所に移り住んでから、重病の継母と幼い異母弟二人とをかかえた寿佐美が、健康な男女の家庭でも生き難いこの二ヵ月間をどのようにして暮してきたのか、傷ましい思いで想像しながら、寿佐美の帰りを待った。
継母が、病人の敏感さで戸口の方にかすかな物音を聞きつけたのは、一時間ほどたった頃だった。
小宮は、靴をひっかけたまま、戸口を開いた。
夕焼け空の下に、二つの小さな影を両脇にしたがえた女の後姿があった。
寿佐美は、幼い弟たちに助けられて、リヤカーから、奇妙な人字型の機具を、重そうに持ち上げているところだった。それが、かつてこの地方ではかなり使われていた人間のひく犂《すき》だった。
小宮は、細い身体を弓なりにして犂を引く寿佐美の姿を想像した。
小宮を認めた瞬間、寿佐美は口を開けて、二、三歩後ずさりした。
小宮のこらえ続けてきた感情が爆発した。
「もう少しの辛抱だよ。必ず迎えに来るから……」
寿佐美の汗ばんだ顔が彼の肩に押しつけられた。
「もう少しだよ。こんな時代はそう長くはない……」
小宮は、寿佐美の肩にかけた両腕に力をこめた。
西の野に沈む夕日の弱い残光が、二人の横顔を照らし、長い影を乾いた土の上に落としていた。……
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