翌朝、日登美は、襖越《ふすまご》しに「朝食の支度ができましたので」と告げる信江の声で目を覚ました。
その声にはっと跳び起きて、幾分|朦朧《もうろう》とした頭で、枕元《まくらもと》にはずしておいた腕時計を見ると、既に午前七時をすぎていた。
ふだんは午前六時前には必ず起きているのだが、昨夜は、春菜が夜中に泣きながら戻ってくるのではないかと思うとなかなか寝付かれず、結局寝入ったのは明け方近くになってからだった。
それで、つい寝過ごしてしまったのだ。
春菜は戻ってこなかった……。
日登美はその事実に愕然《がくぜん》としていた。ということは、春菜は聖二のそばでおとなしく眠りについたということなのだろうか。
そんなことはあるまい。
たぶん、夜中に目を覚まして、日登美のところに戻ってこようとしても、勝手の分からない他人の家で、それもできなかったのだろう……。
今頃、泣いて聖二を困らせているのかもしれない。
日登美はそう思い直した。
素早く洗面と身支度をすませ、座敷に行くと、神家の人々はほぼ全員集まっていた。
ところが、驚いたことに、春菜は上機嫌で聖二の隣に座っていた。とても泣いてぐずっているようには見えない。
聖二の顔もすっきりしたもので、寝不足ぎみのような様子はまるで見られなかった。
「……昨夜は大変だったでしょう? この子、寝付きがわるいうえに、ちょっとしたことですぐに目を覚ますから。夜中に起き出してわたしのところに帰るとだだをこねたんじゃありませんか」
聖二にそう言うと、聖二は、「いや、そんなことはありませんでしたよ。朝までぐっすりお休みになっていました。ねえ、春菜様」
そう言って、かたわらの春菜の方を蕩《とろ》けるような優しい表情で見た。
すると、春菜は嬉《うれ》しそうに大きく頷《うなず》き、「はるな、お兄ちゃま大好き。これからずっとお兄ちゃまのところで寝る」と言った。
日登美は信じられないという顔で、聖二と春菜の顔を見比べるだけだった。
座敷に家族全員の顔がそろったのを確認すると、聖二は、おもむろに、
「今度の大祭の一夜様は真帆様に障りが生じたので、春菜様が代わっておつとめになることになりました」
と告げた。
聖二がそれを告げたとたん、カタリと物音がした。見ると、耀子が箸《はし》を膳の上に落とした音だった。
耀子の顔は真っ青だった。
異様な反応を見せたのは、耀子だけではなかった。神家の人々は、一様に、強《こわ》ばった表情を浮かべていた。
聖二の一言で座敷が一瞬にして凍りついた。
そんな感じだった。
「そ……それはおめでとうございます、春菜様」
痰《たん》のからんだような声でそう言ったのは、神琢磨だった。顔には笑みが浮かんでいたが、無理に笑っているような不自然さがあった。
耀子はなにゆえか燃えるような目をして聖二を睨《にら》みつけていた。
そんな耀子の表情に気づかないのか、聖二は淡々とした声で、
「一夜様に決まった以上、春菜様はこれまで以上に大切なお方だ。間違ってもそそうのないように」
そう言いながら、幼い弟たちの方に、春菜を見るのとは別人のような厳しい一瞥《いちべつ》を与えた。
神家の子供たちは、兄の恐ろしい目に射竦《いすく》められたように、一斉に身を縮めた。