残暑の厳しさが次第に和らぎ、山間を吹き抜ける風にひんやりとした秋の気配を感じるようになった。そして、その秋も足早に過ぎようとしている。
日登美が日の本村に帰ってきてから、一カ月半が瞬く間に過ぎて、季節は十一月になっていた。
大神祭を二日後に控えたその日、白衣に濃紫の袴《はかま》という姿で、日登美の足は日の本寺に向かっていた。
日の本寺を訪ねて以来、昼時はあそこで住職の打つ蕎麦《そば》を御馳走《ごちそう》になるのが半ば日課のようになっていたのである。
例の三叉路にさしかかったとき、日登美は、ボストンバッグをさげた一人の中年男に声をかけられた。
年の頃は四十そこそこ、見たところ、旅行客のようだった。一の鳥居を出て少し行ったところに、バス停があるので、おそらくそこから来たのだろう。
「日の本寺に行きたいのですが……」
男は言った。
「日の本寺なら……」
わたしもこれから行くのでご一緒しましょうと日登美が言うと、男はほっとしたような顔になった。
「ご観光ですか」
寺までの道すがら、日登美が何げなくそう尋ねると、その男は、
「観光というか……大神祭を見にきたのですよ」と答えた。
男は真鍋と言い、神奈川県鎌倉市の高校で日本史を教えているのだという。十年ほど前から、日本の祭り、とりわけ、人にあまり知られていないような奇祭に興味をもつようになり、教師という職業のかたわら、暇を作っては、そうした奇祭の噂を聞くと、どんな山奥にでも訪ねて行くようになったのだと言った。
日の本村の大神祭のことも人づてに聞き、ぜひ一度見てみたいと思い、病気と偽って学校を休んでまで来たのだという。
観光案内所で日の本寺のことを聞き、二泊ほどさせて貰《もら》うつもりだとも言った。
日の本寺に着くと、日登美は、住職もまじえて、この真鍋という男と三時間近くも話しこんでしまった。
真鍋は、単に祭りを見物するだけではなく、地元の人や神社関係者から、その祭りに関する様々な話を聞き出し、それを大学ノートにまとめているのだと言った。その大学ノートも既に三冊めになるという。
「来年あたり、自費出版という形でもいいから、今まで書き溜《た》めたものを一冊の本にしたいと思っているんですよ……」
真鍋はそんなことを言った。
別れ際、真鍋は、巫女《みこ》姿の日登美の写真を一枚撮らせてくれと言い出した。
「本になったときにその写真を口絵にでも載せたい」というのである。
日登美は少し照れながら、カメラを構える真鍋の前に立った。
真鍋伊知郎は、シャッターを切る瞬間、白衣に濃紫の袴を着け、微《かす》かにほほ笑んで立っている女を、ああ美しい、と心の底から思った。
昭和五十二年の晩秋のことだった。