「一つお願いがあるのですが」
宮司の妻が去ったあと、日美香は話題を変えるように言った。
これ以上、春菜のことを追及しても、日の本寺の住職以上に手ごわそうなこの宮司が相手では、真相を引き出すのは容易ではないような気がしたのである。それよりも聞きたいことがあった。
「昭和五十二年の大神祭で、三人衆をつとめた人たちのことが知りたいのです。名前を教えて戴《いただ》けませんか」
「昭和五十二年……」
宮司は呟《つぶや》くように言った。
「母がこの村に来た年です」
「そんなことを知ってどうするのですか」
宮司の顔に怪訝《けげん》そうな表情が浮かんだ。
「ただ……知りたいだけです」
日美香はそう言った。
たとえ、実父のことを切りだしても、あの住職同様、「日女の生んだ子はすべて大神の子」などとはぐらかされるのがおちだと思ったからである。
それよりも、あの年の三人衆をつとめた男たちの名前を聞き出し、直接、当人たちに当たった方が真実を知る上での近道のように思えた。
「昔のことなので、すぐには思い出せませんね……」
宮司は幾分探るような視線を日美香の顔に当てながら、慎重な口ぶりでそう答えた。
本当に思い出せないのか、あるいは、思い出せない振りをしているのか、見た目からは判断がつきかねた。
「何か当時の記録のようなものは残っていませんか」
日美香は引き下がらなかった。
「あることはありますが……」
宮司は渋々といった口調で言った。
「それを調べて戴けませんか。お願いします」
頭を下げて頼むと、宮司は、
「分かりました。明日までに調べておきましょう」
あまり気が進まないといった様子ながらも承諾してくれた。
「それから」
日美香は畳みかけるように言った。
「もう一つ伺いたいことがあります」
「何ですか?」
「大神のお印と呼ばれる痣のことです」
「……それが何か?」
「真鍋さんの本によれば、日の本神社の宮司の身体には、蛇の鱗状の薄紫色の痣が出ることがあるとありましたが、それは本当ですか」
「本当です。ただ、それは、宮司の身体にお印が出るというよりも、お印をもって生まれた男児が、将来、日の本神社の宮司になるよう定められていると言った方がより正確かと思いますが」
「神さんにも、そのお印があると聞きましたけれど……?」
「……あります」
「そのお印が女性に出たことはありますか」
「それはありません。お印は、大神がとりわけ寵愛《ちようあい》された日女が生んだ男児にのみ、わが子の証しとしてお与えになるものです。神家の家伝にはそう記してあります。お印が女児に出たということはかつて一度もありません」
神聖二は微笑を浮かべてそう言い切った。
「でも……わたしにはあるんです」
日美香は思い切って打ち明けた。
「え?」
宮司は意味が分からないという顔をした。
「わたしにもお印があるんです。生まれたときから、ここに……」
日美香は、白いブラウスに包まれて、ひっそりと形良く盛り上がっている自分の右胸のあたりを片手で押さえた。
「それは……何かの間違いでしょう」
宮司は一瞬笑うような表情を見せた。
「間違いかどうか、その目で確かめてください」
日美香はそう言うと、ブラウスのボタンを上から順にはずしはじめた。
血のつながった伯父とはいえ、今日会ったばかりの男の前で、恋人にすら自分からは決して見せようとはしなかった肌《はだ》を見せようとしているのに、日美香は、なんの戸惑いも恥ずかしさも感じていなかった。
そんな自分にすこし驚いていた。
今までは、診察のために医者の前で衣服を脱ぐことにさえ、ためらいや恥ずかしさを感じていたというのに……。
一方、神聖二の方は、自分の目の前でいきなり上着を脱ごうとしているらしい若い女を、さすがにあっけにとられたような目で見ていた。
日美香は、ブラウスのボタンを全部はずしてしまうと、それを両手で押し開いた。
清楚な白いブラジャーに覆われた胸をさらけ出すと、それを見た神聖二の顔に、はじめて驚愕《きようがく》に近い色があからさまに浮かんだ。
「それは……」
そう一声発したきり、あとの言葉が出てこない。それほど驚いたようだった。
「これはお印ではありませんか」
日美香は冷静な声で尋ねた。
肌を見せていることに何の羞恥《しゆうち》も感じないばかりか、ようやく感情をあらわにした年上の男に対して優越感のようなものすら感じていた。
何かが自分の中で変わりつつある。
日美香はそう感じていた。
古い自分が少しずつ脱ぎ捨てられ、新しい自分が生まれつつある。
まるで蛇が脱皮をするように……。