「羽衣伝説」は日本全国(白鳥処女伝説を含めれば世界的に広まっているといってもよい)に点在しているが、細部はそれぞれ異なるにせよ、「天女が下界に降りて水浴びしていたとき、たまたま通りかかった男が、木の枝にかけられていた天女の羽衣を見つけて、これを隠してしまう。天に帰れなくなった天女はしかたなく男の妻になる。やがて二人の間に子供ができ、月日が流れ、ある日、天女は夫が隠していた羽衣を見つけると、それを纏って天に戻ってしまう」という話の大筋においては、全国共通のようである。
ところで、天女はなぜ水浴びをしていたのだろうか?
彼女(彼女たち)は、何も池や湖で無邪気に水遊びに興じていたわけではなかった。天女が天女であるための大事な儀式ともいうべき、「みそぎ」をしていたのである。
では、この「みそぎ」とは何か。
辞書などを引くと、「禊《みそぎ》とは、身に穢《けが》れがついたときや、大事な神事などの前に川や海で身を洗い清めること」などとある。
しかし、これは後世の解釈によるものであって、「みそぎ」の本来の意味とは、「身についた穢れを落とす」ことではない。「けがれ」とは、もともと、「気涸《けが》れ」すなわち「生命力の衰え」を意味しており、「けがれをはらう」とは、「穢れを洗い落とす」という意味ではなく、「衰えた生命力をよみがえらせる」ということなのである。
つまり、「みそぎ」の本来の意味とは、「若返り」なのである。
「みそぎ」の語源は、「みそそぎ」すなわち「身をそそぐ」にあるというのが今では定説のようだが、実は、「みそぎ」の語源は、「身を削ぐ」ことであるという説がある。
それは「蛇の脱皮」を意味しているというのである。太古、人々は、蛇が「不老不死」なのは、「脱皮」によって古い皮を脱ぎ捨て、常に「若返り」続けているからだと考えていた。
ゆえに、この蛇にならって、人間も、それまで身につけていた衣類や装飾品を取りさることで「脱皮」して、さらに、「若返りの水」をその身に浴びることで、蛇のような不老不死性を得ることができると信じられていたのである。
また、原初においては、衣類だけではなく、皮膚を剥《は》ぐということもあったのではないか。だからこそ、蛇信仰の盛んだったアステカなどでは、生き贄《にえ》の生皮が剥がされたのであろう。あれは、生き贄が神として生まれ変わるための「みそぎ」の儀式だったに違いない。
さらに言えば、この「生き贄の皮剥ぎ」は、アステカやインカなどの中南米に特有の風習ではなかったかもしれない。というのは、ギリシャ神話の中にも、注意深く読むと、太古、ギリシャ(というか地中海一帯)において、太陽神に捧《ささ》げる生き贄の皮を剥いでいたのではないかと憶測させる話があるのである。
それは、あのヘラクレス神話である。数々の偉業をなしとげたヘラクレスではあったが、その最期は、前にも触れたように、悲惨を極めたものであった。毒蛇の血に浸された呪《のろ》いの衣を身につけたために、全身を蛇毒に犯されたヘラクレスは、必死にこの衣を脱ごうとするのだが、このとき、衣と皮膚とがくっついて、衣を無理に剥がそうとすると、皮膚まで一緒に剥がれてしまったという描写がある。これなども、ヘラクレス(いわば太陽神に捧げられた生け贄の代名詞)が生皮を剥がされたあとで殺されたことを暗示しているようではないか……。
しかも、ヘラクレスはこの蛇毒の衣を、それを浮気封じの衣と信じ込んだ「妻」によって着せられたのである。言い換えれば、彼は「妻」の手で殺されたということになる。神話の中では「妻」となっているが、これは、むろん、ヘラクレスを生き贄に選んだ太母神を暗示しているのだろう。「生き贄」とは太母神の一時的夫でもあるのだから。
それはさておき。
古事記の中で、イザナミの住む黄泉《よみ》の国から帰ってきたイザナギは、「けがれた」と言い、「けがれをはらう」ために、それまで身につけていた衣類や装飾品を一つ一つ脱ぎ捨てて、川に入ってゆく。
イザナギのこの行為は、「死の国の穢れを落とすために身体《からだ》を洗い清めようと思い、そのために衣類を脱いで裸になった」というように解釈されているようだが、それは少し違う。
身につけたものを脱ぎ捨てるところから、既に「みそぎ」は始まっているのである。イザナギが衣類を脱いで川に入ったのは、「死の国に行って生命力が衰えたので、生命力を呼び戻すために、身につけていたものを取り去り、蛇のように脱皮して、川の水を浴びて若返ろうとした」というのが本来の解釈なのである。
もっとも、記紀が作られた頃には、既に太古の蛇信仰は廃り、その蛇信仰が母体となって生まれた「みそぎ」の真の意味も曖昧《あいまい》になっていたせいか、イザナギは、川に入って「身体を洗った」などと書かれていて、この描写が後の「禊」の意味を決定づけてしまったようだが、これは、もともとは、「水で洗う」ではなく、「水を浴びる」なのである。
何度も言うようだが、衣類を脱ぎ捨てることは、裸になって川に入るためではなく、それ自体が独立した一つの重要な儀式だったのである。というより、本来の「みそぎ」とは、身につけたものを(自らの皮膚をも含めて)すべて脱ぎ捨てるということに他ならなかった。まず古い皮を脱ぎ捨てることで、「気涸れ」の進行を止め、さらに、水を浴びることで、「若返る」と考えられていたからである。
そして、この「水」とは、本来は「海水」であった。というのは、太古より、「海水」は、月と関係のある水(月によって潮が満ち引きする)であったことから、月の不老不死性が「海水」にもあると信じられていたためである。
現代でも、私たちが何げなく使っている、あの「浄めの塩」とは、この「海水」の代用品に他ならない。
しかし、海洋民族でもあった縄文人が最初に暮らしていた海辺から、だんだん陸地の奥に進出するようになると、しだいに「海水」が手にはいりにくくなり、やがては、川や池や湖などに住む水蛇もいることから、川や池や湖などの「真水」でも、蛇のような「若返り」はできると信じられていったのだろう。
日本神話における、あの大国主命《おおくにぬしのみこと》と因幡《いなば》の素兎《しろうさぎ》の話———向こうの島に渡ろうとしてワニを騙《だま》したために皮を剥ぎ取られてしまった兎が、最初は海水に浸って傷を癒《いや》そうとしたが失敗し、大国主命の助言によって、真水に浸ることで傷を癒した———も、この「みそぎ」の海水から真水への変遷を物語ったものに違いない。
と同時に、この一見ほのぼのとした神話の背景には、実は、太古には、日本においても、「生き贄の皮剥ぎ」が行われていたのではないかと憶測できるものがある。大国主命に助けられた「兎」とは、明らかに月神に捧げられた「生き贄」を暗示しているからである。むろん、太古には、太陽だけでなく、月(ないしは大地と海)にも生き贄が捧げられていた。そして、「兎」の皮を剥いだ「ワニ」とは、もともとは海蛇のことであろう。
つまり、この神話の意味するところは、海蛇を遣い蛇とする太母神に、「兎」が生き贄として捧げられていたことを物語るものであり、「兎」とは原初においては人間であったとも考えられるのである……。
ちなみに、あの九州の古社、宇佐八幡宮の宮司《ぐうじ》である宇佐家は、伝承によると、祖神である月読命《つきよみのみこと》のシャーマンで、宇佐という名字も、「月に兎」の故事から取ったものであるという。宇佐八幡宮には、主神である「八幡神」と並んで、「比売大神《ヒメタイジン》」と呼ばれる女神———一般には、タキツヒメノミコト、イチキシマヒメノミコト、タギリヒメノミコトの三女神であるといわれている————が祀《まつ》られているが、おそらく、もともとの主神はこの女神の方であったのだろう。太母神はこのように三女神の姿でしばしば表されるからである。
ところで、こうした水浴びによる「若返り」の儀式は、ギリシャ神話の中にも幾つか見られる。
あの大女神ヘラが、過度の嫉妬《しつと》でゼウスを苦しめながらも、けっして彼の愛を失わなかったのは、定期的に水浴びすることで、常に若返り続けていたからだった。
また、先に触れた、月の女神アルテミスとアクタイオンの神話も、実は、アクタイオンがうっかり盗み見たという、水浴びしているアルテミスとは、まさに「みそぎ(若返り)」の最中の女神の姿だったのである。
しかも、アクタイオンは、「うっかり女神の裸身を盗み見た」わけではなかった。彼は大女神に捧げられる生き贄たちの一人として、女神の沐浴《もくよく》する場に立ち会っていたのである。生き贄たる聖王に自らの沐浴シーンを見せるのは、女神たちの若返りの儀式の重要なプロローグであったのだから。
では、生き贄たる男たちに、なぜ女神(女神を体現した女王)がわざわざ裸身を見せたかといえば、それは、当然、男である彼らをある状態にするためであろう。その状態の様子を見て、彼らの男としての能力を見極め、もっとも「能力」を示した者を女王の一時的夫にするためである。そして、子種を取るという用さえ済めば、彼は、巫女《みこ》たちによって八つ裂きにされたのである。
あの「羽衣伝説」も、そのルーツをたどれば、こうした太古の巫女王によって行われていた「みそぎ」と「一時的夫(生き贄)選び」といういくぶん血腥《ちなまぐさ》い儀式の記憶が、時を経て、「水浴び中に、通りかかった男に羽衣を盗まれた天女がその男の妻になる」というような、男性上位型のメルヘンに大きく変形していったものではなかったか。
ちょうど、ギリシャ神話の「パリスの審判」の話が、パリスは「生き贄」として女神たちに選ばれる側であったにもかかわらず、美神を選ぶ側にされてしまったように。
さらに詳しく言えば、「男が天女の羽衣を盗んだ」というくだりは、もともとは、「天女によって男に衣が与えられた」、すなわち「巫女王が生き贄に選んだ男に、その印として自らが脱ぎ捨てた古い衣を与えた」というのが本来の形であったと想像できる。
ところで、かのアステカやインカでは、生き贄から剥ぎ取った血まみれの皮を、神官たちが競うようにして身につけたといわれている。実際、彼の地からは、動物や人間の皮を被《かぶ》った神官らしき像が数多く出土しているという。
よく冷酷無情な人間のことを、「人の皮を被った人でなし」などと呼ぶが、その語源は存外こんなところにあるのかもしれない。
こうした風習は、おそらく、不老不死の霊力は、脱皮した古い皮にも宿っているという考えからきているのではあるまいか。それを身に纏《まと》うことで、その皮に篭《こ》もった霊力を自分の中に取り入れようとしたのであろう。
また、日本のある地方では、蛇の抜け殻を「お守り」として所有する風習が今も残っているそうである。
つまり、「羽衣」とは、「聖なる者が脱ぎ捨てた皮」なのである。こうした「聖なる者が脱ぎ捨てた皮」への信仰が、時を経て、太古の蛇信仰が廃ってしまった今もなお、近しい者が死んだとき、その人が生前身につけていた衣類などを「形見」として大切にするというような形で、現代の私たちの中でも今なお息づいているのである。