喫茶店の前で沢地逸子と別れ、社に戻ってくると、蛍子は、再び、読みかけのゲラに目を通しはじめたが、頭の中はさまざまな思惑でぐちゃぐちゃに入り乱れ、とても目の前の仕事に集中できるような状態ではなかった。
何度読み返しても、視線だけが空しく原稿の上を素通りしていくばかりで、いっこうに内容が頭に入ってこない。
蛍子は、ついにゲラを読むことをあきらめ、それをビジネスバッグに押し込んだ。家に持ち帰って続きをやることにしたのである。
そして、代わりに、今朝がた、コピーして、他の編集者に配った、沢地のエッセイと掲示板のログファイルをプリントアウトしたものを取り出し、もう一度、それを読み返してみた。
例の猟奇殺人が、自分のホームページを見た者の仕業ではないかという沢地の話は、喫茶店で聞いているときは、彼女の杞憂《きゆう》というか、やや自意識過剰ではないかという気もしていたのだが、あらためて、プリントアウトしたものを読み返していると、蛍子の中で、「まさか……」という気持ちが次第に強くなってきた。
しかも、ふいに、或《あ》ることを思い出して、蛍子の背筋をぞくりと寒くさせた。
もう何カ月も前になるが、都内の或る公園で、青いゴミ袋に入れられた子犬の死体がゴミ箱の中から発見されたというニュースを聞いたことがあった。それを思い出したのである。確か、その子犬の死体は、頭部と四肢がノコギリ状のもので切断されていたのではなかったか。
殺されたのが野良犬だったということもあってか、ニュースとしての扱いも小さく、一部のマスコミが、最近とみに増えている「動物虐待」の実態の一例として軽くとりあげただけだったように記憶していた。
「真女子」は、二度目の投稿で、「母なる神に生き贄を捧げたが、喜んではくれなかった。犬ではだめかしら」などと書いていた。この投稿をアップしたのが、ログファイルに記録された日時からすると、ちょうどあの子犬殺しの事件と時期が一致しているような気がした。
まさか、あれは……。
この手の猟奇性の強い殺人事件などで、犯人が逮捕されたあと、その経歴を調べてみると、その犯人には、必ずといってよいほど、小動物を虐待したり殺害したりした経験があるという話を聞いたことがあった。
もし、あの子犬殺しが、「真女子」の仕業であるとしたら、中目黒の殺人も彼女の仕業である可能性は高いのではないだろうか……。
しかも、蛍子の背筋を寒くさせたのは、これだけではなかった。それは、「真女子」の最初の投稿の中にある、「わたしの身体には蛇のうろこがある」という奇怪な言葉だった。身体に「蛇のうろこ」があるとはどういう意味だろうと、これを読んだときから気になっていた。
いや、気になるだけではなく、あることを蛍子に連想させた。
それは痣《あざ》である。
「身体に蛇のうろこがある」というのは、「蛇のうろこのように見える痣がある」という意味ではないかと思ったのだ。そんなことをすぐに連想したのには理由があった。蛍子の身近に、実際に、蛇のうろこのようにも見える奇妙な痣を持っている人間がいたからである。
姪《めい》の火呂だった。
火呂の左胸の上には、生まれたときから、蛇のうろこを思わせる薄紫色の痣があった。