鋼鉄のドア越しに、電話が鳴っているような音がかすかに聞こえてきた。
照屋火呂は、素早く玄関ドアの施錠を解くと、マンションの中に入った。中は暗い。ルームメイトの祥代はまだ帰っていないようだった。
やはり、リビングの電話が鳴っていた。
履いていたサンダルを蹴《け》りとばすようにして脱ぐと、走ってリビングに行き、受話器を取った。
「……もしもし」
「祥代?」
耳に飛び込んできたのは、年配の女性の声だった。
「いえ、火呂ですけど。おばさん?」
電話の声に聞き覚えがあった。祥代の母、知名淑子だった。
「ああ、火呂ちゃん。祥代はいる?」
「まだ帰ってないみたいです。わたしも今帰ってきたばかりで……」
火呂はそう言いながら、電話機の近くにある、リビングの照明のスイッチをつけた。
「そう……。だったら、祥代が帰ってきたら、伝えてくれる?」
祥代の母は言った。暗い疲れ切ったような声だった。その声の調子から、何か悪い知らせではないかという予感がした。
「あ、はい……」
火呂は受話器を肩に挟み、電話台に備え付けたメモ用紙とボールペンを取ろうとした。
「一希が……」
祥代の母は言った。
「たった今、息を引き取ったって……」
「え?」
メモ用紙に伸ばしかけた火呂の手が凍りついたように止まった。
祥代の母は、昨日から一希の容体が悪化して、急遽《きゆうきよ》入院していたのだが、その後、容体が少し安定したので、祥代にはあえて知らせなかったのだと言った。
「何度もこういうことがあったし、そのたびに、祥代は何を置いても駆けつけてくるから……。飛行機代だけでも大変だろうと思って」
ところが、ほんの数時間前に、持ち直したかのように見えた一希の容体が急変し、医師たちの必死の手当もむなしく、ついさきほど、息を引き取ったのだという。
「最期まで、姉ちゃん姉ちゃんって呼びながら……。こんなことになると分かっていたら、祥代に知らせておけばよかった」
祥代の母はそう言って、涙で声を詰まらせた。
一希ちゃんが死んだ……。
火呂は、突然飛び込んできた訃報《ふほう》に茫然《ぼうぜん》としながら、祥代には必ず伝えるとだけ言って、受話器を置いた。
時計を見ると、午後九時を少し過ぎたところだった。土曜といえば、祥代は、夜は家庭教師のバイトをしているはずだった。帰りは早くても十時すぎになるだろう。
帰るまで待つか、それとも……。
火呂はバッグの中から携帯電話を取り出した。祥代はPHSを持っている。当然、バイト先にも持参しているだろう。最愛の弟の突然の訃報という、できれば知らせたくない伝言ではあったが、一刻も早く知らせた方がいいような気がした。
火呂は、重い気分を振り払うように、手の中の携帯に祥代のPHSの番号を打ち込んだ。