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蛇神4-5-5

时间: 2019-03-26    进入日语论坛
核心提示:    5 三階にある甥の病室を出ると、聖二は、エレベーターで一階のロビーまで行き、広々としたロビーの片隅に付属している
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 三階にある甥の病室を出ると、聖二は、エレベーターで一階のロビーまで行き、広々としたロビーの片隅に付属している喫茶室の扉を開けた。
 コスモスが植えられただけの殺風景な中庭の見える窓際に席を取り、注文を聞きにきたウエイトレスにコーヒーを頼むと、ソファの背もたれに身体を預けて、しばらく、ぼんやりと物思いに耽《ふけ》った。
 まさか、武の身体に「お印」を見ることになろうとは……。
 今日、武の見舞いに来たのは、自分の意志もあったが、三日ほど前に兄の貴明から電話を貰い、「近いうちに暇を作って武と会ってほしい」と頼まれていたからでもある。
 その電話で、兄は、珍しく弱音を吐くような暗く力ない声で、「あれは俺の手にはもう負えない。小さい頃からおまえにはなついていたみたいだから、あれが何を考えているのか、おまえから聞き出してほしい。それで、もし……」
 と、貴明はいったん言葉に詰まったように黙ってから、意を決したように続けた。
「おまえの目から見ても、武がもはや手に負えないと思ったら、あれの処置はすべて任せる……」
 むろん、この「処置」の意味は聖二にはよく分かっていた。
 昔から、自分を慕ってきたり、素直に従う人間には優しく頼りがいのある一面を見せながら、その一方で、自分に逆らう人間には、別人のような容赦のない冷酷さを示す兄の性格を熟知していたから、武がこのまま兄に反抗的な態度をとり続けるようならば、そして、それがこのさき、反抗期などという許容された範囲を越えて、兄の立場を危うくするほどエスカレートしていくならば、たとえ相手が血を分けた息子だろうと、いずれ、兄がこういう決断を下すだろうということは、聖二には十分予測がついていたことではあった。
 そして、そのときは、兄が直接手を下すのではなく、自分が下駄を預けられる形になるだろうということも。
「……一体、誰に似たんだろうな」
 電話の最後の方で、貴明はふとそんなことを漏らした。
「誰って、それはあなたでしょう」
 聖二は少し呆《あき》れて言い返した。
「外見はそうかもしれんが、性格は俺じゃないよ。といって、美里でもないし……」
「いや、性格もあなたですよ」
「そうかなぁ……。俺はあんな馬鹿じゃなかったと思うが」
「馬鹿というより、武には自分が進むべき方向が何も見えてないんです。闇《やみ》の中で敵味方の区別もつかずに目茶苦茶に剣を振り回しているような状態なんです。あなたには自分の進むべき道が早くから見えていた。だから、無闇に剣を振り回さなかった。それだけの違いですよ」
「……」
 貴明はしばらく思案するように黙っていたが、最後は、絞り出すような声で言った。
「もし、その進むべき道というのを武に示すことができれば、あれは変わると思うか」
「かもしれませんね」
「そこまで見込んでいるなら、おまえがあれを変えてくれ」
 聖二はその哀願にも近い声を聞きながら思っていた。
 やはりまだ気づいていないのか。
 武は兄に似ている。姿形だけでなく、その根本の性格もそっくりだった。ただ、そのことに気づいているのは、どうやら自分一人だけのようだった。
 新庄家の人間たちも、義姉《あね》をはじめ、みな、この父子《おやこ》を比べて、「顔はそっくりなんだが、性格は全く違う」というようなことを口を揃《そろ》えて言う。性格の方は、子供の頃から万事にそつなく優秀だった、長男の信貴《のぶたか》の方に引き継がれたと……。
 聖二はそうは見ていなかった。貴明が磨かれた宝石だとしたら、武は、いわば磨かれていない原石のようなものだ。元は同じである。磨かれれば燦然《さんぜん》たる光を放つし、磨かれずに放置されていれば、それはただの薄汚い石ころにしか見えない。
 そして、信貴はといえば……聖二の目には、イミテーションの宝石の弱々しい光しか感じなかった。
 それでも、光を放っている方が、薄汚い石ころよりは、宝石として認定され重宝がられるのが世の常だ。目利きがいくら、これは宝石の原石だと主張したところで、磨いて、誰の目にも明らかな光を出さないことには、意味がない。
 とはいえ、武を宝石だと認定する自分の目に狂いはないと言い切れるだけの絶対的な自信はなかった。自分は感情的に武が可愛《かわい》い。だから、その感情の分だけ冷徹に物が見られなくなっている恐れもある。単なるアバタをえくぼに見たがっているだけなのかもしれない。磨いてみたら、やはりただの石ころだったとがっかりする可能性も捨て切れなかった。
 だから、今日、こうして見舞いに来るまでは、聖二の気持ちは振り子のように大きく揺れていた。
 もし、武に危険性以外の何も見いだせないようだったら、そのときは、兄の言う「処置」の方法をすみやかに取る。ただ、そのときは、誰かに任せるのではなく、自分の手を汚そうと決めていた。それが、せめても、我が子同然に可愛がってきた甥《おい》への最後の愛情の示し方だとも思っていた。
 しかし……。
 事態は全く予想もしなかった方向へと大きく展開してしまった。
 もし、武の身体に出たのが「お印」だとしたら、彼は、「大神の意志を継ぐ子」として、自分たちが自らの命にかえてでも守りきらなければならないような「聖なる存在」になったことになる。
 もはや、兄であろうと自分であろうと、軽々しく手だしのできない存在になったのだ。絶対的なものがあるとしたら、それは、「大神の意志」だけなのだから。
 それにしても……。
 なぜこう立て続けに、神紋をもった子が二人も現れたのか。しかも、今までに全く前例がないような異常な形で。
 やはり、これは、何か、とんでもないことが起こりつつあることの前兆なのか。
 そういえば、と聖二は思い出していた。
 家伝書の序文に、奇妙なくだりがあった。
「二匹の双頭の蛇が現れ、かつ交わるとき、大いなる螺旋《らせん》の力が起こり、混沌《こんとん》の気が動く……」
 そんな意味の文章だった。
 そして、この「二匹の双頭の蛇」とは、「一匹は天を支配する陽の蛇」であり、「もう一匹は地を支配する陰の蛇」であると書かれていた。
 読んだときには、どう解釈してよいのか解らなかったのだが……。
 蛇は混沌の象徴であり、「螺旋」の概念を最も原始的に表現した姿でもある。蛇がしばしば秩序を破壊する「悪魔」として語られるのはそのためでもある。
 古くから、東西を問わず、「とぐろを巻く蛇の姿」が、神として、あるいは神の使いとして崇拝されてきたのは、まさに、蛇の姿を通して、この世を動かす螺旋の力の偉大さを古代人なりに理解していたということにほかならない。
 螺旋の力が動くということは、この世界がこれまで保ってきたような一時的な調和を失って、大いなる混沌の渦の中にもう一度投げ込まれるということでもある。
 しかし、混沌が訪れるといっても、それはこの世の終焉《しゆうえん》を意味してはいない。新たな調和がその後に待っている。そして、その調和もいずれ終焉し、また混沌の渦に……。
 それは、いわば、永遠に上昇する螺旋階段の一階部分を昇り終わり、二階部分にさしかかるということでしかない。そして、二階部分を昇って行けば、次にはさらなる階が待っている。終わるのは部分的な階層だけであり、螺旋階段そのものではない。
 それにしても、この「双頭の蛇」とは、何を指すのか……。
 そうか。
 聖二の脳裏にひらめくものがあった。
 双頭とは、双子のことか。
 双子といえば、武がそうだ。その片割れは生まれてすぐに死んでしまったが、双子として生まれたことにはかわりない。
 つまり……。
「双頭の蛇」とは「蛇紋をもった双子」という意味かもしれない。
 そして、「陰陽」とは「男女」の意味にもとれることから、「天を支配する陽である双頭の蛇」とは、「蛇紋をもった男の双子」という意味になるのか。
 そして、これと交わるという「地を支配する陰の双頭の蛇」とは、「蛇紋をもった女の双子」という意味になる……。
 蛇紋をもった女といえば一人しかいない。
 日美香のことか?
 しかし、日美香は双子ではない。
 それとも……?
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