玄関まで見送ってくれるという担当医師と数人の看護婦と共にロビーにいた新庄美里は、医師の軽口に笑いながら応じつつ、目だけは、義弟と息子の方に近づいて行った日美香の姿を追っていた。
似ている……。
自分たちと少し離れたところに立っている三人の方をそれとなく見やりながら、胸をつかれるような思いでそう思った。
日美香と聖二がよく似ていることは、先日、はじめて日美香に会ったときから思っていたことではあったが、日美香と武がこんなに似ているとは……。
美里は、二日前、日美香と会ったときのことを思い出していた。
なじみの料亭の離れで会うことにしたのだが、聖二と並んで座っている日美香を一目見た瞬間、この義理の父娘《おやこ》が非常に似ていることに驚いた。
事情を知らない者が見たら、本当の父娘だと思い込むだろう。というより、義弟が実年齢よりも遥《はる》かに若く見えることから、年の離れた兄妹《きようだい》だと思うかもしれない。
単に顔立ちだけでなく、全身に漂う、冷ややかで凜《りん》とした雰囲気のようなものにもどことなく共通点があった。
ただ、美里をさらに驚かせたのは、会食しなが
ら話すうちに、目の前の若い女のちょっとした表情や目つき、横を向いたときに見せる横顔の輪郭などが、はっとするほどある人物に似ていることに気が付いたときだった。
それは夫の貴明だった。
顔立ちそのものは義弟に似ているのだが、時折見せる表情などの「何か」が夫にとてもよく似ている……。
それはまるで、聖二という器に貴明という中身を入れ、それを若返らせて「女」にした。一言でいえば、神日美香の印象はそんな感じだった。
夫から聞いていた話では、日美香の実母という人は、夫たちの従妹にあたるということで、もともと血の繋《つな》がりはあるのだから、多少似ていても不思議はないのだが……。
それに、神家の人間そのものが互いに非常によく似かよっている。家にも時折出入りしている、夫の他の弟たちを見ても、それは日々痛感していることではあった。
ただ、日美香の実母の話は聞かされていたが、実父の話については全く聞かされていなかったことに、このとき、美里は漠然とした不安というか疑念をもった。
おそらく日の本村に住む人なのだろうが……。
夫にそれとなく聞いてみても、適当にはぐらかされてしまうので、指に刺さった小さな刺《とげ》のように気にはなりながらも、それ以上は追求できないでいた。
会食の席でも、さりげなく、日美香の父親のことに話をもっていこうとしても、義弟からも、やんわりと話題をそらされてしまった。
それにしても……。
やはり、あのとき、日美香が夫に似ていると感じた自分の感覚は気のせいではなかった。 美里は、並んで立っている日美香と武の方を見ながら、あらためてそう思った。
はたから見ると、この二人は、再従姉弟というより、もっと近い間柄……たとえば、実の姉弟のようにさえ見える……。
ぼんやりとそんなことを思っていると、三人がこちらに近づいてきた。
「義姉さん、私たちはそろそろ行きますので」
聖二が言った。
「それじゃ、武はわたしの車で駅まで送りますから 今、車を———」
美里が慌ててそう言いかけると、
「その必要はないですよ。彼も一緒に私たちとタクシーで行きます。そのつもりで、わざわざ寄ったんですから」
聖二は遮るように答えた。
「え、でも、わたしも東京駅まで……」
見送ると言いかけて、美里は口ごもった。
「義姉さんも選挙活動の手伝いや何かでお忙しい身体でしょうから、見送りならここでけっこうですよ」
聖二はにこやかに微笑《ほほえ》みつつ、一見、義姉を気遣うようなことを言いながら、美里を見据えているその目の底には、どこか突き放すような冷ややかな光が湛《たた》えられていた。
一秒でも長く息子と一緒にいたい。
そんな思いを義弟に見透かされたような気がして、美里は何も言い返せず、ただ立ち尽くしていた。
その胸に、昨夜、夫に言われた言葉がふと蘇《よみがえ》った。
「武の背中に出た奇妙な痣《あざ》は、日の本村で古くから、神家の血筋の男児だけに出る『お印』と呼ばれるものに似ている。皮膚や内科の病気でないことが分かった以上、あれはやはり、『お印』に間違いない。この『お印』が出た以上、武は新庄家の人間というよりも、神家の人間になったと思ってほしい。これからは、武のことは、弟の聖二にすべて任せる。弟のすることに一切反対も口出しもしてはならない……」
夫は、そんなことを、妻にというよりも、自分自身に言い聞かせるように、苦々しげな口ぶりで言った。
そして、そう言ったあと、半ば独り言のように、こう呟《つぶや》いた。
「どうやら、聖二は、いずれは武を日美香の婿にして、完全に神家の人間にする腹づもりのようだ。二人を日の本村にしばらく滞在させるのもそのためだろう……」
それを聞いて、美里はあっと思った。
武と日美香を……。
そうか。そういうことだったのか。
なぜ、義弟が突然、武を長野に引き取りたいと言い出したのか、よりにもよって、養女の日美香を家庭教師としてつけるなどと言い出したのか。
それは、単なる思いつきではなく、すべて、計算した上でのことだったのだ。
美里は、ようやく義弟の真意が分かったような気がして、たまらなく不愉快になった。
義弟のどこが好きになれないかといえば、まさにこういうところだった。
人をまるで将棋かチェスの駒《こま》のように操ろうとする……。
それもけっして強引なやり方ではなく、表向きはごく自然に、操られている当人にさえ、自分が単なる駒であることを全く気づかせないよう巧妙なやり方で。
おそらく、さほど年の違わない若い男女を、一つ屋根の下に住まわせて、寝起きを共にさせれば、そのうち、二人の間に自然に恋愛感情めいたものが育つとでも思っているのだろう。
しかし、手にしているのは冷たいチェスの駒ではない。血の通った人間である。自分の意志や感情をもっている。駒を自在に操るように人間が操れるものか。そう簡単に、義弟の思いどおりに事が進むだろうか。
通用門の手前で待機していたタクシーに乗り込もうとしている三人に、見送りの医師や看護婦に混じって、手を振りながら、美里はやや皮肉に思っていた。
そもそも、武は田舎があまり好きではない。都会生まれの都会育ちで、都会のテンポ、都会のあらゆる刺激に慣れ切っている。周囲から隔絶されたような山奥の村の刺激の少ない単調な生活にもすぐに飽きてしまうだろう。
今までにも、夏休みなどの長期休暇は、田舎にある別荘で過ごすことが多かったが、どこに行っても、一週間もすれば、変化に乏しい暮らしに飽きて、早く東京に帰ろうとぐずり出すのは、決まって武だった。
たぶん、今度の長野行きも、聖二の方は、少なくとも一カ月くらいは滞在させるつもりでいるらしいが、とてもそんなにもたないのではないか。いつものように、一週間もたてば、田舎生活に飽き飽きして、さっさと一人で帰ってくるのではないか……。
美里はそうなることを密《ひそ》かに期待しつつ、三人を乗せたタクシーが走り去るのを見送っていた。