「……あれ、なんか変わっちゃったなぁ」
午後一時半。
長野駅の改札口を出るなり、新庄武は周囲をきょろきょろ見回しながら、思わずというように呟いた。
「そりゃ十年以上もたてばな」
聖二が言った。
駅構内の様子が子供の頃の記憶とは全く違っていた。新幹線が開通したせいか、当時に比べれば、ずいぶんと現代的な造りになっている。
それに、何よりも早い。東京駅を出て一時間半足らずで着いてしまった。昔は、特急列車でも長々と三時間近くもかかって、まだ小学生だったということもあるが、おとなしく座席に座っているのも苦痛だった。
これまで、長期休暇といえば、新庄家が地方に幾つかもっている別荘やハワイの別荘で過ごすことが殆《ほとん》どで、後にも先にも、長野に来たのは、あの小学校一年の夏が最初で最後だった。
父の故郷なのに、なぜ、あれ以来、一度もここに来なかったのだろう。
武はそのことを不思議に思い、叔父《おじ》に聞くと、
「義姉《ねえ》さんがね……」
と、聖二は、やや言い渋るような口調で言った。
母がここに来るのを好まなかったということだろうか……?
そんなことを考えていた武の目が、満面の笑顔で手を振りながら自分たちの方に近づいてくる青年の姿をとらえた。
神郁馬だった。
叔父の話では、長野駅に着いたら、郁馬が車で迎えに来る手筈になっているということだった。
「郁馬さん」
武も笑顔になって手を振った。
五歳しか年が違わないせいか、子供の頃から、叔父の一人というより、年上の友人のように接してきた。
郁馬が東京の大学に在学中は、時々、家の方にも遊びにきたり、外で落ち合って遊びに行ったりすることもよくあり、妙に馬が合い、実兄の信貴よりも、兄のように慕っていた相手でもある。
「よう、武。久しぶりだな。おまえ、また背が伸びたん———」
「郁馬」
郁馬は甥《おい》を見ると、気さくに話しかけてきたが、横合いから聖二に一喝されて、はっとしたように口をつぐんだ。
「あ、すみません。もうこんな口きいてはいけなかったんですね。武様は、『お印』が出た『日子《ひこ》様』なのだから……。これからは口のきき方には気をつけます」
郁馬はそう言って頭を掻《か》いた。
「やめてよ、郁馬さん。俺《おれ》、そんなのやだよ。今までどおりでいいよ」
武は慌てて言った。
日の本村では、奇怪な階級意識のようなものがあって、大神と呼ばれる蛇神を祀《まつ》る巫女《みこ》である日女《ひるめ》や、お印の出た神官である日子が殊更に敬われ、たとえそれが年下の家族であっても、名前を呼ぶときは「様」をつけて、まるで主人につかえるようにしなければならない奇習があるということは、子供の頃にも聞かされたおぼえがあった。
「武もああ言っていることだし、二人きりのときは今までどおりでいいだろう。でも、人前ではな……」
聖二が少し表情を和らげて郁馬に諭すように言った。
「はい」
郁馬は神妙な顔で頷《うなず》いた。
自分にはいつも兄貴風を吹かせていた郁馬が、次兄にあたる聖二の前では、弟というよりも忠臣のように畏《かしこ》まっているのが、武にはなんだかおかしかった。
「じゃ、行きましょうか」
郁馬が先頭にたって言った。
「ちょっと待って。その前に、俺、トイレ行ってくる」
武はさげていたボストンバッグをその場に投げ出すように置くと、構内に設けられた手洗い所の方にそそくさと向かった。
「……わたし、どうやら、武君の興味引かなかったみたいですね」
そんな武の後ろ姿を見ていた日美香がぽつんと言った。
「どうしてそう思うの?」
聖二が聞いた。
「だって、新幹線の中でもわたしには一言も口きいてくれなかったし、こちらを見ようともしない。握手したときもいやいやって感じだったし。第一印象で嫌われたのかも。この先、打ち解けてくれるかしら……」
「それは逆ですよ」
聖二が笑いながら言った。
「え?」
「嫌ってるんじゃなくて、あなたのことを必要以上に意識して照れてるんです。それに、少しあまのじゃくな所がありますからね。あまりストレートに自分の感情を表現するタイプではない。一見、言いたいこと言っているように見えるんだけどね。内面はけっこうひねくれてる。だから、見た目の印象だけで判断したらだめですよ」
「そうでしょうか……」
日美香は半信半疑という顔つきで言った。
「お印のある者同士は自然に互いを認め合うものだし、しかも、あなたと彼は……。なあに、そのうち、照れもなくなって、すぐになついてきますよ」
聖二はきっぱりとそう言い切った。
やがて、すっきりした表情で武が戻ってくると、一行は駅を出て、近くの駐車場に停めてあった郁馬の車に乗りこみ、市街を後にした。