社に参拝してから、聖二の後について、社の右手にある小道を歩いて行くと、やがて杉木立の中に家屋が見えてきた。
ここに、日の本神社の最高|巫女《みこ》といわれる大日女と、この大日女の後継者である若日女という若い巫女たちが、女ばかりで共同生活を営んでいるという話だった。
十年前に遊びにきたときは、父に連れられて社の参拝だけはした記憶があったが、神職につく者以外は立ち入り禁止という、この神域には立ち入ることはできなかった。父ですら、生まれてから一度もこの先には行ったことがないと言っていた。
そう言われると、よけい、この「立ち入り禁止」の先にあるものが見たくてたまらなかった。
昔、後ろ髪を引かれる思いで振り返りながら立ち去った、その神域に、今まさに、足を踏み入れようとしている……。
武はなんとなくわくわくしていた。
ひんやりとした薄暗い家屋の玄関に入って、履物を脱ぎ、すたすたと奥に進む叔父の後をついて行くと、廊下の突き当たりに部屋があった。
人は皆出払っているかのように、話し声はおろか、咳払《せきばら》いひとつしない。家屋中が妙にしんと静まり返っていた。
聖二が外で一言声をかけてから、襖戸《ふすまど》をカラリと開けると、床の間のような一段高くなった場所に、一人の小柄な女性が端然と座っていた。
白衣に白袴《しろばかま》。白ずくめの装束に、床を這《は》うほど長い髪も漂白したように真っ白だった。
その白一色に包まれた小さな女性の顔を見たとたん、武はなんともいえない奇妙な気分になった。
これが人間の顔だろうか。
かろうじて女であることは判るのだが、年のほどなど見当もつかないほどに高齢であるように見えた。しかも、もともと小柄な身体が加齢とともに縮んだのか、老女というよりも、神々しい老猿がうずくまっているようにも見える。
「……お印が出たというのはこの子か」
大日女の前に座り、はいつくばるようにして深く頭をさげていた聖二の頭上で声がした。
幼女のような、やや甲高い声だった。
「はい」
聖二が頭を畳に伏せたまま答えた。
武は自分も同じような姿勢を取りながら、横目で叔父の方をちらちらと見ていた。
「お印というのはまことか」
「おそらく間違いないと思います」
「見せよ」
大日女の声が響いた。
武は一瞬、「へ?」というように顔をあげた。
「大日女様に、お印をお見せしなさい」
聖二も顔をあげて、厳粛な表情で言った。
「み、見せろって、ここで? 脱ぐの?」
武はさすがにうろたえたように聞いた。
相手がこんな白猿みたいな老婆とはいえ、やはり、人前で裸になるというのは少し抵抗があった。
「早くせい」
大日女が無情にもせかせた。
武はうろたえながらも、しかたなく、袴の紐《ひも》に手をかけて、それをほどこうとしていると、
「何、やってるんだ」
聖二の幾分慌てたような小声の叱責《しつせき》が飛んできた。
「だって、脱げっていうから」
「馬鹿。全部脱ぐつもりか。片|袖《そで》だけ脱いで、背中のお印をお見せしろっていってるんだ」
「片袖脱ぐって……?」
「こうやって」
聖二が手本を見せるように仕草をしてみせた。
「ああ。遠山の金さんか」
武はようやく納得したように、もたつきながらも、なんとか片袖だけ脱ぐと、身体をひねって大日女の方に背中を向けた。
日に焼けた背中に浮き出た蛇紋をじっと見つめていた大日女は、
「お印じゃ……」と呻《うめ》くように言った。
大日女との会見はこれだけだった。
部屋の外に出てほっとしていると、
「まったく、世話の焼けるやつだな」
聖二は苦笑いしながら、甥の乱れたままの衿元を直してやった。
「いきなり袴まで脱ごうとするから、こっちの方が慌てたぞ。大日女様の前で、ストリップでもやるつもりだったのか」
「だって」
武は口をとがらせた。
「急にあんなこと言うんだもん。こんな格好したことないし、片袖脱ぐなんて器用な真似、思いつかなかったんだよ」
「おまえのおかげで冷や汗かいた」
「それより、あの婆さん、幾つよ?」
「婆さん……」
「ひょっとして、生きてるのが信じられないような歳じゃないの? 俺《おれ》、最初、猿がうずくまってるのかと思ったぜ」
「しっ」
聖二は思わず人差し指を口にあてた。
「頼むから、ここでそういうタメ口をきかないでくれ」
「どうせ聞こえねえよ。とっくに耳遠くなってるんじゃない?」
「おまえな……」
聖二は何か言いかけて、本気で怒る気力もなくしたように口をつぐむと、
「私はこれから大日女様とお話があるから、おまえは一人で帰れ」とだけ言った。
「え。もう帰っていいの? これだけ? 若日女とかには紹介してくれないの?」
武は残念そうに聞いた。
「どうせならあんな婆さんより、若くてかわいい巫女さんに会いたいな」
「今はその必要なし。さっさと帰れ。そのへんをキョロキョロうろつくんじゃないぞ」
聖二は釘《くぎ》をさすように言った。
「わかったよ……。じゃ」
武はそういうと素直に来た廊下を戻りかけたが、数歩も行かないうちに、「武」と、聖二に呼び止められた。
振り向くと、
「うちに帰る前に、日の本寺に寄って、住職にも挨拶《あいさつ》してきなさい」
聖二はそう言った。