「おお……。これはご立派になられて。若い頃の貴明さんに生き写しじゃ」
大日女の住まいを出たあと、一人で日の本寺に挨拶に寄ると、武を見るなり、老住職はしょぼついた目にうっすらと涙さえ浮かべて言った。
広い座敷に通されてから、
「お印が出たと伺いましたが……?」
半信半疑という表情で住職は訊《たず》ねた。
今、大日女の所で背中の痣《あざ》を見せて、「お印」であることを確認してきたと答えると、住職は、それだけで納得したのか、「さようでございますか」と大きく頷《うなず》いた。
「これで武様も晴れて神家の人間、大神のご意志をお継ぎになる日子《ひこ》様になられたわけですな。それならば……」
ちょうど良い機会なので、日の本村がいかにしてできたか、神家の先祖とはいかなる人物なのか、そして、この先祖が最初の神主となって祀《まつ》った「大神」と呼ばれる蛇神がいかなる神なのか、その歴史について、語ってしんぜようと住職は言い出して、頼みもしないのに、滔々《とうとう》と語りはじめた。
住職の前で正座させられて、黴《かび》がはえたような古い話を聞かされるのは、武にとってはありがた迷惑以外の何物でもなかったのだが、それでも、我慢して聞いているうちに、住職の語りが巧みでもあり、その内容が自分のルーツにもかかわる話でもあるせいか、いつの間にか、自然に話に引き込まれてしまった。
とりわけ、「大神」と呼ばれる蛇神の話になったとき、武はふと思い出したことがあった。
前に来たとき、この寺には、平安時代に造られた「大神」の神像なるものが安置されていると聞いたことがあった。それを小さい頃に見たという郁馬が、「一目見るなり、全身の鳥肌がたつような恐ろしい姿だった」と、その単眼にして下半身が蛇だという異形の姿について、身振り手振りをまじえて熱っぽく話してくれた。
その話に想像力を刺激された武は、怖いもの見たさも手伝って、自分もその像を見たいと叔父にせがんだのだが、「あの像は秘仏となっており、拝観できるのは神家の人間だけ。たとえ、兄の子供でも、他家の人間には見せられない」と言われて見せて貰《もら》えなかったのだ。
しかし、見られないとなると、よけい見たくなるのが子供の心理である。直接見ることができないと分かると、郁馬から聞いた話が想像の中でどんどんと膨れ上がってしまった。
東京に帰ってきたあとも、しばらくは、自分の頭の中で勝手に作り上げてしまった蛇神のイメージがなかなか消えなかった。
それでも、成長するうちに自然に忘れていったのだが……。
今ならどうだろう。お印と呼ばれる神紋が出たということで、あの頃とは立場が違うのではないか。
そう思いつき、おそるおそる切り出してみると、
「もちろんお会いになれますとも」
と、打てば響くような力強い即答がかえってきた。
「今からお会いになりますか」
住職はすぐにそう訊《たず》ねた。
「はい」
「それでは、こちらに」
住職はそう言って、膝《ひざ》に手をあて立ち上がった。
武も続いて勢いよく立ち上がろうとしたが、足がもつれて、ずでんと無様にひっくりかえってしまった。
「どうされました?」
住職が心配そうに覗《のぞ》き込んだ。
「あ、足が痺《しび》れて……」
長時間正座していたために完全に痺れて感覚のなくなっていた両足を投げ出し、臑《すね》をさすりながら言った。
すぐには歩けそうもない。
「それなら、お堂の鍵《かぎ》を取りに行ってきますので、そこでしばらくお休みくだされ」
住職はカラカラ笑いながらそういうと、座敷を出て行った。
住職が戻ってくる頃には、足の痺れはまだあるものの、なんとか歩けるようにはなっていた。
老住職の後を、ひょこひょこついて行くと、本堂の陰に建てられた、小さなお堂の前まで来た。
住職は、そのお堂の観音開きの扉にかかっていた錠をはずすと、恭しく、扉を左右に開いた。
堂の中は暗くてよく見えない。
住職が手前の灯明に明かりをともすと、ようやく、二本のロウソクの明かりで、お堂の中が仄《ほの》かに照らし出された。
その照らし出された像を一目見て、武ははっと息を呑《の》んだ。
三重にとぐろを巻く蛇の下半身をもつ青銅の大神像は、鋭い牙《きば》を覗かせた口を噛《か》み締め、その昔、倉橋日登美を、そして、その娘である葛原日美香を見下ろしたこともある、その鏡のような一つ目をかっと見開いて、今また、新庄武を見下ろしていた。