その夜。
神家の離れにある茶室で、二人の男女が向かい合っていた。
聖二と日美香だった。
聖二はいつぞやのように、「話がある」といって、ここに呼び出したきり、黙々と茶をたてるだけで、すぐにその話とやらを切り出そうとはしなかった。
ただ、日美香の方も、一種の心理作戦ともいえる養父のこうしたやり方に多少慣れたところもあって、別に苛立《いらだ》つこともなく、こちらも出されたお茶を作法にのっとって黙って啜《すす》っていた。
「昼間……」
聖二はそう言って、ようやく話を切り出した。
「ここに向かう車の中で、あなたは妙なことを口走っていましたね?」
「妙なこと?」
日美香は手にした茶碗《ちやわん》に落としていた視線をあげた。
「武が実は双子の片割れだったと話したとき、あなたは———」
聖二がそこまで言ったとき、日美香はすぐに何を聞かれようとしているのか察して、内心ひやりとしていた。
やはり、あのときの「失言」をこの人は聞き逃してはいなかったのだ。神家に着いたあとも、あのことには全く触れられなかったので、聞き流されたのだと思ってほっとしていたのだが……。
「『武君も?』と言いましたね」
「はい……」
「あれはどういう意味なんですか」
「……」
「あれは」
日美香はそう言ったきり、言葉を失って黙った。あのとき、武をごまかしたようには、目の前の男をごまかすことはできない。それは分かっていた。
やはり、あのことを打ち明けなければならないのか。
双子の妹の存在のことは聖二にはまだ話してなかった。できれば、ずっと話したくない。火呂のことはそっとしておいてやりたい。日の本村やこの村の人々の野望とは全く無縁のまま、ささやかな一生を送らせてやりたい。
もし、もう一人お印をもつ娘がいることを知れば、養父はこのまま放ってはおかないだろう。火呂と会おうとするだろう。もしかしたら、火呂も自分の養女にしようとするかもしれない。そうなれば、妹は、いやがおうでも、日の本村の野望に巻き込まれていく。
そうはさせたくない。彼女のささやかな幸せを守るために……。
彼女のため?
ほんとうに彼女のためだろうか。
日美香はそのとき一瞬、自分の心の奥底の薄暗い場所に、そっと隠しておいたものを見てしまった気がした。
違う。
妹のためなんかじゃない。
本当は……。
わたし自身のためだ。
わたしはようやく、自分の場所を見つけた。子供の頃から、ずっと探し求めていた場所を。わたしだけの場所。わたしだけの存在しか許さない場所……。
でも、わたしと全く同じ遺伝子を分かち合った妹なら、彼女もまた、この場所を欲しがるのではないか……。
それが怖かったのだ。
たった一つしかないわたしだけの場所を、分身ともいうべき妹に分け与えたくはない。誰にもこの場所を侵されたくない。このまま一人で独占していたい。
そして、今、目の前にいるこの男の愛情も関心もすべて独占していたい。父親の顔を知らずに育ったわたしにとって、子供の頃から夢に描いた通りの理想的な父親である男の愛情と関心を……。
だから、火呂のことは養父に教えたくはない……。
「もしかしたら、あなたも双子だったのではないですか」
日美香があまり長いこと押し黙っているので、ついに痺れを切らしたように、聖二が言った。
「あなたも武と同じように、本当は一卵性双生児としてこの世に生を受けたのではありませんか。ところが———」
聖二はそう続けた。
一瞬、日美香の頭に閃光《せんこう》のようにある考えが浮かんだ。
そうだ。うまく言い逃れる手がある。
それは、聖二が、「……双子だったのでは」と過去形でものを言ったときに、ふとひらめいたことだった。
「はい、そうなんです」
日美香はやや伏し目になって神妙な面持ちで言った。
伏し目になったのは、さすがに堂々と相手の目を見て嘘《うそ》はつけなかったからだ。
「わたしも生まれたときは双子だったらしいんです。でも、もう一人の妹にあたる子は、生まれてすぐに亡くなったそうなんです。そんな話を養母から聞いたことがあります。今まで忘れていたんですけれど、あの話を聞いたとき、ついそれを思い出して……」
「そうだったんですか」
聖二は呟《つぶや》くように言った。
日美香はちらと視線をあげて、養父を見た。その顔には、日美香の話を疑うそぶりは全く見られなかった。
よかった……。
心の中で、こっそり安堵《あんど》のため息を漏《も》らした。