ところが、父の死後、宝生は今まで感じたこともないような寒々とした孤独感に苛《さいな》まれるようになった。
今から思えば、これまでに自分が感じてきた孤独というものは本当の孤独ではなかったのかもしれない。
それは、いみじくもフランスのシャンソン歌手が訥々《とつとつ》と歌ったような、母親の胎内にいるような「暖かい孤独」にすぎなかった。
たとえ独りでいるときも、心のどこかで、いつも祖母や母や父と精神的に繋《つな》がっていられたからだ。
出雲にいたときは、どこか遠い空の下にいる母や父を想って寂しさをまぎらわせ、東京に来てからは、出雲の地にいる祖母を想うだけで心が癒《いや》された。
母、祖母、そして父。
この三人の存在がどれほど自分にとって大きなものだったか、三人を失ってはじめて思い知らされたのである。
ただ、存在が大きかったといっても、この三人が血肉を分けた肉親だからというわけではなかった。
肉親ということならば、祖父はまだ存命だったし、腹違いの姉たちも、半分は血が繋がっているのだから肉親ともいえるわけだが、彼らにたいしては、こんな気持ちを抱くことはなかった。
肉親だからというのではない。何かもっと血肉以外の強靭《きようじん》な精神的な絆《きずな》とでもいうものが、この三人との間には在ったような気がする。
そして、この「絆」は、世間的には不倫の関係といわれた父と母との間にも存在していたことを、父の死後に知った。
亡父の部屋を整理していたとき、納戸の奥から鍵《かぎ》の掛けられた大きな箱を見つけたのである。
何だろうと思い、開けてみると、中から、ぷんと立ちのぼる樟脳《しようのう》の匂いとともに、舞台衣装をはじめとする母の遺品と思われる品々が出てきた。髪どめや指環《ゆびわ》のような細々としたものまであった。
父は、母の死後、特に思い入れの深い形見の品をこの箱に収め、家の者に見られないように厳重に鍵をかけ、大切に保管していたのである。
そして、おそらく、時折、この箱を開けてその品を手に取り、母との思い出に耽《ふけ》っていたのだろう。
遺品の中には、二人が過去に交わした古い手紙の束も混じっていた。
その恋文の集大成ともいうべき分厚い手紙の束を一通ずつ丹念に読んでいくうちに、父と母がどのように知り合い、どのように互いを想い合い、世間的には決して認められない関係をどのように育《はぐく》んできたのかを知った。
しかも、母が父宛に出した手紙には、父への想いだけでなく、わが子に対する想いも記されていた。
なぜ、母がその気になれば、芽のうちに摘み取ることもできたであろう小さな命を胎内で育て続け、「未婚の母」になるというスキャンダラスで困難な道をあえて選んだのか、という長年の疑問の答えが明確に記されていたのである。
宝生はそれを読んで、はじめて母の心に触れたような気がした。
出雲にいたとき、母は暇ができると時折会いにきてくれたが、そのときでも、母らしく抱き締めてくれるわけでもなく、優しい言葉ひとつかけてくれることもなく、それどころか、一緒に居てもあまり楽しくないような不機嫌な顔をして、その態度は、よそよそしく冷たくさえ感じられた。
ひょっとしたら、自分は母に嫌われているのではないかと勘ぐったことさえある。
実際、母が祖母にむかって、「あの子はいつもわたしをよそのおばさんが来たような目で見る。うじうじして、かわいげのない子だ」と愚痴るように言っていたのを聞いた記憶もあった。
しかし、その手紙を読んで、あの不機嫌でよそよそしく見えた母の態度が、実は、久しぶりに会うわが子に対して、嬉《うれ》しいのだけれど、どのように接していいのか分からないといった、照れというか困惑から生じたものであったことが分かったのだ。
それは、まさに、彼自身が母と会うときにいつも感じていた心理そのままだった。
明日、母が帰ってくると祖母から聞かされた夜は、興奮して眠れないほど嬉しいのに、翌日、いざ、母と面と向かうと、素直に甘えることもできず、上目使いで、ただもじもじするだけだった。
本当は、その膝《ひざ》に真っすぐ飛びついていきたかったのに、自分を見下ろす母の顔つきが不機嫌そうに見えて、いきなり抱き着いたりしたら、邪険に突き飛ばされそうな気がして怖かった。
今にして思えば、母の方も、全く同じ気持ちだったのかもしれない。たまに帰ってきても、素直になついてくれないわが子に対して、どう扱っていいのか分からず途方に暮れていたのだろう。それが不機嫌そうな顔付きや態度になって現れてしまったのかもしれない。
しかも、その手紙を読むと、宝生家の養子にして子供を引き取るという話は、彼が母のお腹の中にいるときから、既に父が提案というか懇願していたことも分かった。しかし、それを母はきっぱりと断っている。
愛されていないわけではなかった。十分、愛されていた。
ただ、舞台の上では、どんな難しい役柄でも巧みに歌い演じ分けられた高名な歌姫も、ひとたび舞台を降りて日常に戻れば、母親の役も満足にできない不器用な一人の女にすぎなかったということだった。