宝生家の居間には一体の等身大の人形が飾られている。
母の面差しをもつマネキン人形である。亡父の部屋で形見の品々を見つけた後、知り合いの人形師に頼んで、母に似たマネキンを一体作ってもらい、それに、あの舞台衣装を着せて飾ったのである。
それは、自分のためというより、妻や娘たちの手前、これらの形見の品々を納戸の奥に隠すようにして保管せざるをえなかった父の心情を察して、いわば亡父の供養のためにしたことだった。
それに、この舞台衣装には、宝生自身見覚えがあった。確か、これは、六歳のとき、はじめて父に連れられて、母が主演するオペラを国際劇場に観に行ったとき、母が着ていた衣装だった。
父がこの衣装を殊更に大切にしていたのは、単に母の形見というだけでなく、親子三人の思い出にもつながる衣装だったからかもしれなかった。
だから、よけい、宝生家の女たちがいなくなった現在、家の中央部に、誰の目をはばかることもなく、堂々と飾りたかったのである。このことが、家に招いたことのある知人の口からでも漏れたのか、マネキンがいつの間にか、不気味な蝋《ろう》人形ということにされて、蛇や爬虫《はちゆう》類を飼っているという話と相俟《あいま》って、何やらサイコめいた怪しげな噂として広がってしまったようだが……。
不在がちな母親のことは、さびしいと思うことはあっても、それほど恨んだことがなかったのは、母の主演するオペラを観に行ったとき、父が言ったある言葉のせいかもしれなかった。
「お母さんがいつもそばにいなくてさびしいか」と父に聞かれ、素直に「うん」と頷《うなず》くと、父は言った。
「でも、おまえのお母さんはおまえだけのものじゃない。日本の、いや、世界の恋人なんだ。世界中にお母さんを待っている人たちがいるんだよ。身内だからといって独占できるような人じゃない。だから、少しくらいさびしくても我慢しなくちゃいけないよ」
満場の拍手|喝《かつ》采さいを受けて、舞台の中央にすっくときらびやかに立っている母を見ながら、父はそう言ったのだった。まるで自分自身に言い聞かせるように。
父の言う通りだった。げんにその劇場を埋め尽くした観客の一人一人が母が出てくるのを今か今かと待ち望んでいた。そんな熱気が劇場中に籠《こ》もっているのを全身で感じることができた。こういう人たちが世界中にいるのだ。子供心にそう納得した。
父の言葉は、ごく自然に、砂地に水が染み込むように、少年の胸に染み込んだのである。舞台の上の母は、ふだんの母よりも、堂々として大きく美しく見えた。誇らしかった。母を見て熱狂している観客の一人一人に向かって、「この女《ひと》は僕のお母さんなんだよ!」と大声で触れ回りたいほどに。
生みっぱなしで何一つ母らしいことはしてくれなかった母だが、あの瞬間、あの姿とあの声を聴かせてくれたことで、どんな賢母といわれる母親にもできないことをしてくれたのだ。
たとえ、父と母が出会ったとき、父がまだ独身で、正式に結婚できたとしても、その結果として自分が生まれてきたとしても、同じ屋根の下で朝晩の食卓を囲む普通の家族のような生活は望めなかったに違いない。
おそらく、父も母もそれぞれの仕事に夢中になって飛び回り、広い邸宅に、家政婦か何かとぽつんと残される生活が待っていただろうから。
そんな生活に比べれば、たとえ法で認められた家族とは言えなくても、出雲の祖母の家で育てられた方が確実に幸せだったような気がする。祖母は、母の分まで大切に育ててくれたからだ。
育ててくれたといっても、単に世話をしてくれたというだけではない。人の基本的な性格や嗜好《しこう》は五歳頃までに決定してしまうといわれている。人格形成に幼児期の環境が大きく影響するというのである。この説を信じるならば、彼の人格の基礎のようなものを作ってくれたのは、まぎれもなく、この祖母だった。ただの家政婦では、これほどの影響は与えられなかっただろう。
一緒に暮らしていても、必ずしも心までつながっているとは限らない。同居しているというだけで、気持ちはそっぽを向き合った夫婦や家族は世にいくらでもいる。
遠い空の下にいる父や母を想って、それだけで満足できたのは、父や母も、同じ想いを返してくれていたからかもしれない。そのことを少年は本能的に知っていた。だから、そんなにさびしくはなかったのだ。
たとえ独りでいても、こうした感情を共有できる相手がどこかで生きているうちは、本当の孤独ではなかった。どんなに離れて暮らしていても、心の奥底でつながっている人間がいたことで、その存在を常に感じ続けることで、真の孤独を味わってはいなかった。
それが……。
この三人を相次いで亡くし、はじめて、真の孤独というものと向き合うことになったのである。
学校時代の友人や仕事仲間は沢山いたが、どんなに気が合い親しくしても、彼らが友人知人の域を出ることはなかった。三人の代わりにはなり得ない。
恋人関係になった女たちも過去に何人かいたが、うちに連れてきたところで、どの女との関係も、たちどころに破綻《はたん》した。
原因はあの蛇たちだった。女たちは、例外なく、宝生家にうごめく お夥《びただ》しい数の蛇の存在にまず驚き怖がった。そして、この家の女主人の座を射止めるためには、これら蛇たちの同居と世話が大前提であることに気づくと、どんな野心家の猛女でさえも、その高すぎるハードルに後ずさりした。
継母や異母姉《あね》たちを結果的には追い出してしまった蛇たちは、外から入ってこようとする女たちをも、玄関先で易々《やすやす》と追い払ってしまったのである。
宝生家にとぐろを巻く無数の蛇たちは、富や名声に群がる女たちの毒牙《どくが》から、主《あるじ》を守る忠実な「守り神」であると同時に、自らを無意識のうちに守ろうとしている、主自身の強烈な「自己愛」の化身であるのかもしれなかった。