しかし、父の死後、何かの折りにふと感じるようになった、こうした寒々とした孤独の感情は、精神的な絆《きずな》で結ばれていた肉親を次々と失ったということだけが原因ではなかった。
今たずさわっている仕事に以前のような情熱ややり甲斐《がい》のようなものを感じられなくなったせいも多分にある。
音楽プロデューサーなどといえば聞こえはいいが、何をしてきたのかといえば、歌手というよりも、歌も歌えるという程度のルックスの良い若者たちを見つけてきては、ひたすら世に送り出していただけではないか。音楽史上に名を残すような真のアーチストなど一人として育ててはいない。飽きっぽく貪欲《どんよく》な大衆の口に放りこむために、甘い弄玉《あめだま》のような消耗品のアイドルを途切れることなく供給し続ける、まさにアイドル製造機に成り果てていた。
それによって、いくら富や名声を得たとしても、これまでしてきたことを振り返ったとき、胸の中を一陣の風が吹き抜けていくような虚しさに襲われるようになった。
自分は一体何をしてきたのだろう。
そこには何かを成し遂げたという誇りも喜びもなかった。
そして……。
一週間ほど前のことだった。
軽い運動を兼ねて散歩に出たとき、途中で立ち寄った大きな公園で、そこをねぐらにしているらしいホームレスに声をかけられた。
ベンチに座って、誰かがばらまいていったパンくずに群がる鳩をぼんやりと見ていると、ひしゃげたタバコを口の端にくわえた初老のホームレス風の男が、「火を貸してくれ」と言って近づいてきたのである。
「ライターもマッチも持っていない」と答えたにもかかわらず、その男は、立ち去ろうともせずに、そのまま隣に腰をおろしてしまい、「兄ちゃんも仕事にあぶれた口かい」と話しかけてきた。
平日の昼下がりに、ジーンズにサンダルばきというラフな格好で、ポツンとベンチに座って鳩の群れを眺めている、どこか世捨て人風の目をした青年を見て、どうやらお仲間と勘違いしたらしかった。
「火を貸せ」云々《うんぬん》が、話しかけるための口実だったらしいことは、その公園がオフィス街にも近いということで、白いワイシャツにネクタイをしたサラリーマン風の男たちも何人かベンチでくつろいでおり、その中には、新聞を読みながらタバコをふかしている者もいたのに、そちらには声をかけようとしなかったことでも想像がついた。
話しかけられたときは、異臭と共に近づいてきたその男を、少し鬱陶《うつとう》しいなと思い、早く追い払いたいという気持ちもあって、「ええ、まあ」と適当な答え方をしていると、男は、途端に同病相|憐《あわ》れむというような顔になって、「俺もそうなんだよ。ここずっと職安に通い続けてるんだけど、何もなくてなぁ……」とぼやき、聞きもしないのに、二十歳のときに、新潟の寒村から一旗あげようと出てきたが、何をやってもうまくいかず、建築現場の土方仕事をやって何とか食いつないできたものの、不況のせいか、こうした仕事もめっきりと減ってしまい、おまけに年も年なので、たまに仕事にありついても、身体がしんどくて続かないというような身の上話をポツポツと語りはじめた。
多少迷惑に思いながらも黙って聞いてやっていると、男は、一方的にしゃべるのにも飽きたのか、「兄ちゃんは家族はいるのか」と聞いてきた。
宝生はそう聞かれて、つい、「唯一の肉親だった父親を三年前に亡くした」と答えると、男は、ますます親近感を感じたような顔になり、自分も故郷に母親を残してきたのだが、その後音信不通になり、年齢から考えても、もうとっくに死んでいるだろう、若い頃は人並に女房をもらってアパート暮らしをしたこともあったが、その女房にも逃げられた、俺も天涯孤独の身の上さと、湿っぽい話のわりにはさばさばとした口調で語った。
最初は迷惑に思っていたのが、話しているうちに、妙に波長が合うものを感じてしまい、宝生の方も、出雲で生まれ、母がたの祖父母に育てられた生い立ちのことを話しはじめていた。
むろん、自分が海外の有名雑誌のグラビアに登場したこともある著名な音楽プロデューサーであるとか、亡母がこれまた世界的なオペラ歌手だったなどということには全く触れなかったが。
「……兄ちゃんはまだ若いんだからサ、腐らずにがんばれよ。俺らと違って、仕事だって、探せばこの先いくらでも見つかるからよ」
ひとしきり話し込むと、ようやく気が済んだのか、男はそんな慰めるようなことを言って、宝生の肩をポンと一つ叩《たた》くと、ベンチから立ち上がった。
そして、懐から潰《つぶ》れたタバコの箱を取り出し、大事なものでも扱うような恭しい手つきで、中の一本を取り出し、「友好の印」のつもりか、それを宝生の鼻先に差し出すと、「じゃあな」と言って、異臭と共に立ち去って行った。
ホームレスが立ち去ったあとも、手の中に残された湿気たタバコを見つめながら、しばらく放心したようにベンチに座り続けていた。落ちていたパンくずを啄《ついば》み終わった鳩の群れは、一斉にどこかに飛び立っていき、昼休みを終えたらしいサラリーマンたちも、ベンチに読み捨てた新聞を残して、いつしかいなくなっていた。
はたから見れば、自分とあのホームレスとは、しばしの間、同じベンチを共有していたというだけで、共通点は何もない。それどころか、殆《ほとん》ど対照的といってもいい。
宝生は何の優越感も抱くことなく、淡々とそう考えた。
あの男の財産はといえば、懐に大事そうにしまった潰れたタバコの箱と、公園のどこかに作った、強風が吹けば飛んでしまいそうなちっぽけな段ボールの家くらいのものだろう。一方、自分はといえば、東京の自宅だけでなく、借り部屋とはいえ、世界中に幾つも別宅をもっており、こうしてベンチにぼんやりと座っている間にも、銀行口座には、何の報酬なのかもよく分からないような大金が振り込まれ続けている。
そして、おそらく、あの男が一生かけても稼ぎきれないような金額を、自分はその年の税金分として払っているのだろう。
似ているところは微塵《みじん》もない。
あるのは落差ばかりである。
同じ人間として生まれて、人間とはここまで不平等なのかと愕然《がくぜん》とするほどに。
にもかかわらず、あの男とは、何か波長が合うものを感じてしまった。男の方も、同じ匂いを嗅《か》ぎ付けたからこそ、サラリーマン風の男ではなく、こちらに話しかけてきたのだろう。
あの男は、ベンチに座りこんでいた青年を同類と「勘違い」したのではない。むしろ、一目で本質を見抜いたのだ。外見ではない。精神の形が同類だと……。
あの初老の男は、裸でいる王様を見て、見たままに裸だと言い放った子供のようなものだった。
いや、同類というよりも……。
あの男の方がましだ。
なぜなら、あの男には他人に誇れるものがある。
話している最中に、男はふいに、或《あ》る有名な高層ホテルの名をあげて、「知っているか」と聞いた。むろん、知っていたから、「知っている」と答えると、「泊まったことあるかい」と重ねて聞いた。そのホテルで行われたイベントの類《たぐ》いには呼ばれて行ったことはあるが、泊まったことはなかったので、「ない」と答えると、男は得意げに鼻をうごめかして、「あれは俺が作ったんだぜ」と言った。
そして、男は誇らしげにこう続けた。
「俺も泊まったことは一度もないが、近くを通るたびに、いつも立ち止まっては見上げてるんだ。ずっと見てても飽きないね。なんかこう、出世したわが子を見るような気がしてなぁ。見てると嬉しくなるんだよ」
このとき、男が羨《うらや》ましいと心底思った。
もし、自分があの男の年くらいになったとき、こうしてベンチに座って、見知らぬ人間に向かって、「若いときにこれを作った。これをやった」と誇れるものが一つでもあるだろうか。
そう自問自答してみた。
答えはノーだ。
残念ながら、今の自分には、他人に誇れるものは何もない。大ヒットをした曲一つにしても、メジャーになったアイドル一人にしても、いずれも軽い気持ちで出してみたら、たまたま今の時代の感性のようなものにマッチしたのか、爆発的に売れたというだけで、これから三十年、四十年たっても、これらのものが残っているという自信というか手ごたえが全く得られなかった。
虚空《そら》に向かって、際限なく、生まれた先から消えていくしゃぼん玉ばかり吹いていたような空虚感しかない。
このときはじめて、あのホームレスのように、全てを失ったあとでも、「これを作った」と他人に誇れるものが欲しいと切実に思った。虚空に向けてしゃぼん玉を吹くのではなく、一つ一つ石を積み重ねて堅牢《けんろう》な建築物を作りあげるように、確かなもの、これから先、何十年、何百年たとうとゆるぎなく存在し続け、人々の記憶に残り語り継がれる「何か」を作りたい。残したい。
たった一つでいいから、そういうものを生み出したい。たとえば、どんなに時代が変わっても人々に口ずさまれ続ける曲。それを歌える本物の歌手《シンガー》。そんなものを生み出したい。
本物の歌手を育てたい。いっときの流行に左右されることなく存在し続ける本物の歌手。母のような……。
そう念じたとき、ふっと一人の少女の顔が頭に浮かんだ。
彼女の顔が頭に浮かんだとき、思わず、これだというように右手をきつく握り締めていた。ホームレスから貰《もら》った一本のタバコが、まるで天からの啓示ででもあったかのような確かな手ごたえをもって、手の中で粉々に潰れるのを感じた。
それは、数カ月前、或《あ》るアマチュアバンドのオーディションの審査員をやったときに、出会った一人の少女だった。
名前は、照屋火呂《てるやひろ》といった……。