「実は、十日ほど前にも……」
蛍子は、甥から聞いた話をした。自宅マンションの方にも、興信所の者と名乗る若い男が来て、近所の人に蛍子のことを訊いていったらしいということを。
「同じ男ですかね?」
鏑木が訊いた。
「それは分かりませんが、やはり、若い男だったようです」
「何かそういう見合い話のようなものは最近……?」
心配そうな表情で訊《たず》ねたのはマスターだった。
「いいえ。そんな話は今のところ何も」
蛍子がそう答えると、
「まさか」
鏑木が言った。
「縁談調査なんて真っ赤なウソで、その男は、日の本村の連中に頼まれた探偵か、もしくはその男自身があの村の……」
「そうかもしれません」
蛍子は両腕をさすりながら言った。
自分の周辺を探っていたのは、日の本村の連中だったのか。そう思い当たると、なんとなく身震いしたくなった。
「日の本寺に泊まったとき、宿帳のようなものに今の住所を書きましたし、村長に会ったときも、会社名を刷り込んだ名刺を渡しましたから、こちらの住所と勤め先は知られています。今から考えると、少々|迂闊《うかつ》でした」
蛍子は唇を噛《か》み締めた。
「しかし、現住所と勤め先を知られたとしても、どうして、この店の常連であることまで?」
マスターが腑《ふ》に落ちないという顔で言った。
「会社の誰かから聞き出したのか、ひょっとしたら」
蛍子ははっとしたように言った。
「まさか、会社からわたしを尾行していたなんてことは……」
この店には会社帰りに立ち寄る事が多かった。ずっと尾行していれば、蛍子がこの店の常連であることはすぐに察しがつくだろう。
「てことは、連中は、あなたのことを四六時中監視していたってことですか?」
と鏑木。
「そういえば、あの村から帰って来て以来、時折、誰かにじっと見られているような奇妙な感じがすることがあったんです。気のせいにすぎないと思っていたのですが」
蛍子がそう言うと、店の中はやや重苦しい空気に包まれた。
「もし、喜屋武さんのことを調べているのが、日の本村の連中だとしたら、やはり、伊達さんの失踪《しつそう》は、あの村とは無関係ではなかったということの証《あか》しになりますよね」
重い空気を払うように、口を開いたのは鏑木浩一だった。
「伊達さんの失踪が、あの村と何らかの関係があったからこそ、彼の消息を訪ねて来た喜屋武さんのことが気になり、どんな人物か知ろうとして情報を収集しているんじゃないのかな。もし、伊達さんの失踪が連中の言うようにあの村とは全く無関係だとしたら、喜屋武さんにそこまで興味をもつはずがありませんよ」
「そうですね……」
マスターも同意するように微《かす》かに頷《うなず》いた。
「それと……連中が喜屋武さんに興味をもったというか、監視しようとした理由はもう一つ考えられます」
鏑木はさらに言った。
「もう一つ?」
「喜屋武さんが偶然見てしまったという巫女《みこ》姿の幼女の存在です。その子が、やはり誘拐された近藤さつきだったとしたらどうです? 喜屋武さんは見てはいけないものを見てしまったことになるんです」
「……」
「もし、その子供が今度の大祭の一夜日女《ひとよひるめ》にするために誘拐してきた子だとしたら、そして、既に廃《すた》ったとされている生き贄《にえ》の儀式が今もなお密《ひそ》かに行われているとしたら? 大神祭の前に、喜屋武さんがその子の素性に気付いて騒ぎたてたらどうです? 連中としては非常に困ったことになります。そうならないように、喜屋武さんの身辺を探り、行動を監視する必要があった……」
「でも、そうすると、話を元に戻すようですが、どうして、神家と何の関係もなさそうな近藤さつきという幼女が一夜日女に選ばれたのか……という疑問が」
蛍子がそう言いかけると、
「そのことなんですが」
鏑木は目の前にあったビールを飲み干して喉《のど》を潤すと、勢いこんで言った。
「一つの仮説として考えられるのは、もはや、連中にとっては、『生き贄』にする子供の血筋なんかどうでもよくなっているんじゃないかってことです」
「え……」
「というのも、ある本にこんなことが書いてあったんです。古くは、神に捧《ささ》げる『生き贄』とか『人柱』というのは、祭祀《さいし》を司《つかさど》る神官や巫女自身がなっていたが、時代が下るにつれて、その神官や巫女の血を引く子供たちになり、さらに、時代が下ると、もはや神官巫女の血筋ではなく、奴隷とか敵の捕虜などを使うようになった。そして、やがては、人間ではなく動物を使うようになり、現代に至っては、『人形』や『絵馬』といった『物』で代用するようになった……てなことがね。
その本というのが、ほら、達川さんが図書館から借りっぱなしになっていたというあの本です。民俗学のえらい学者先生が日本の古い祭りの形態のことを書いた……。あの中に書いてあったんですよ」
鏑木の話を聞きながら、蛍子は、沢地逸子の「太母神の神殿」というホームページのコラムにも似たような記述があったことを思い出していた。
例えば、「諏訪《すわ》信仰」の項で、諏訪大社の御頭祭《おんとうさい》の主役ともいうべき「お公さま」と呼ばれる人柱の少年も、最初は、神官である神氏《みわし》の血を引く者がなっていたが、時代が下るにつれて、下級神官の子になり、やがては、乞食《こじき》の子を拾い上げて当てることもあった……と。
そのことを鏑木に話すと、
「そうです。それです。いうなれば、『生き贄』の質の低下というか一般化とでもいうべき現象ですよ。それが日の本村でも起きているんじゃないでしょうか。少なくとも二十年くらい前までは、まだ神家の血を引く子供を一夜日女にしていたのかもしれない。だからこそ、あの倉橋一家惨殺事件が起きた。でも、あれから時がたって、一夜日女には、もはや神家の血筋の子供ではなく、よそから攫《さら》ってきた子供を当てるようになったのではないか」
「……」
「要するに、『まだ初潮のなさそうな幼女』という条件さえ満たしていれば、誰でもよかったんです。そう考えれば、近藤さつきの誘拐が、あまり計画性のなさそうな行き当たりばったりのものであったとしてもおかしくはないんです。たまたま目についた可愛らしい女の子。しかも親がそばにいなくて、拉致《らち》しやすい状況にあった。だから攫った、とも考えられます」
蛍子は相槌《あいづち》をうつのも忘れて、鏑木の話を聞いていた。
「それに、以前、新宿の居酒屋で達川さんと呑《の》んでいたときに、達川さんが酔った勢いでこんなことを言っていたんですよ。日の本村の『日の本』という名前には、『日本』という意味が込められている。今は、日の本村の内部だけで密かに行われていることでも、いずれ、伝染病のように日本全土に広がるんじゃないかって。そのときは、酔っ払いのたわごとにもほどがあると思って聞き流していたんですが、今から思えば、達川さんの言葉は、ある意味で的を射ていたのかもしれません。もし、あの村の連中が、これまでは、いわば身内の中だけで供給していた大神祭の生き贄を、村の外にも求めるようになっていたのだとすれば……」