その頃、神郁馬は、カーテンを締め切った薄暗い和室の畳の上に、両腕を頭の下に敷き、大の字に寝転がって、暗い目で天井を睨《にら》みつけていた。
六畳の和室は、高校の頃まで、末弟の智成《ともなり》と寝起きを共にしていた部屋だった。まだ大学生の弟は東京に下宿中で、今は、郁馬が一人で使っていた。
窓を閉めていても、中庭で遊んでいる子供たちのかん高い歓声はここまで漏れ聞こえてくる。
煩《うるさ》いな……。
昼寝もできないじゃないか。
忌ま忌ましそうに呟《つぶや》くと、郁馬は、窓に背中を向けるように寝返りをうった。
高校の頃、受験勉強をしている最中に、やはりこうして庭で遊んでいる子供たちの声が聞こえてきたことがあった。
あのときでさえ、これほど神経に障る騒音だとは感じなかったのに。
今は子供たちの声を聞くだけでやけに腹が立つ。あの声の中心に武がいると思うとよけいに……。
窓に背を向け、聞くまいと思っても、耳には中庭に集まった人々の楽しげな笑い声が嫌でも飛び込んでくる。
「あ、ヒミカさんだ。こっちこっち。お饅頭があるよ」
少女の声がした。
郁馬は薄闇の中でぴくりと肩を動かした。
日美香《ひみか》……?
彼女も騒ぎにつられて庭に出てきたのか。
子供の声に混じって、日美香の澄んだ声も聞こえてきた。
明るく楽しげな……。
郁馬はのろのろと身体を起こすと、窓辺に近寄り、締め切ってあったカーテンを少しだけめくって外を見た。
白ソックスにサンダル履きで中庭に出てきた日美香が、少女の一人から、蒸し饅頭を受け取っていた。饅頭を手に持ち、花が咲いたように笑っている。
郁馬は、カーテンの陰に身を潜めるようにして、そんな日美香の姿を、薄闇に白目だけ光らせて食い入るように見つめていた。
五月に初めて会ったとき……。
日にちも覚えている。
あれは五月十五日だった。
日美香がこの村に来た日、宿泊していた寺の住職から連絡を受けて、次兄の命令で、寺まで迎えに行ったこと……。
寺の玄関先で、ボストンバッグをさげて出てきた彼女を見たとき、心臓の奥がぎゅっと締め付けられるような奇妙な感覚があった。
その姿が、記憶の中におぼろげにあった或《あ》る女性の姿にあまりにも似ていたからだろうか……。
その女性が、幼い娘を連れて村に帰ってきたとき、郁馬はまだ三歳だった。自分と同じくらいの小さな女の子を連れて、突然うちにやってきた見知らぬ美しい女性が誰だろうと気になって、すぐ上の兄の翔太郎と一緒に、この女《ひと》の後を追いかけて、こっそり部屋までついて行った。そして、襖《ふすま》の陰からそっと覗き見していると、部屋の中にいた次兄に見つかって……。
郁馬は、三歳のときのその光景を、まるで何度も繰り返して観た映画のお気に入りのシーンのように鮮明に覚えていた。
あのとき……。
次兄に言われるままに、はにかみながら、その女性の前に出て、挨拶《あいさつ》したこと。そのあとで、女性が連れてきた小さな娘と一緒に遊んだこと。その「はるな」という名前の娘が、郁馬が大事にしていたブリキのロボットを壊してしまい、ついかっとして平手でその子の頬を殴ってしまったこと。その子の泣き声を聞き付けて、次兄がやってきて、日女《ひるめ》様に手をあげたと叱《しか》られ、その場で往復ビンタをくらったこと……。
「はるな」とはすぐに仲直りして仲良くなったが、ある日、次兄から、「はるな様は今年の一夜さまにお決まりになった方だから、もう気安く遊んではいけない」と厳しく言われ、せっかく仲良くなりかけたのにと子供心にもがっかりしたこと。それからというもの、いつも次兄と一緒にいる「はるな様」の姿を、憧《あこが》れのような気持ちを抱いて遠くから見つめていたこと……。
今から思えば、あれが自分にとって、初恋というにはあまりに淡く幼い恋だったのかもしれない。
そして、その年の大神祭が終わったあと、潔斎《けつさい》中の「はるな様」が急の病気で亡くなったことを聞かされ、まだ「死ぬこと」の意味すら分かっていなかったのに、その知らせが無性に悲しくて、母の膝《ひざ》に顔を埋めて泣いたこと……。
五月のあの夜、日の本寺の玄関先で、「葛原日美香」と名乗る若い女を見たとき、三歳のときに別れたきりの「はるな様」がどこかで生きていて、こんなに大きく美しくなって戻ってきたのではないか。一瞬、そんな幻想に捕らわれた。
二十年前の「はるな様」の突然の死が、急の病などではなかったことも、大神祭の「一夜様」に選ばれるということがどういうことなのかも、今では、全て解っていたにもかかわらず……。
そして、目の前にいる若い女性が、あのときの女性が産んだ娘で、「はるな様」の異父妹にあたるということも、すぐに知ったのだが、それでも、日美香を見るたびに、心のどこかに今なお宿っている「はるな様」の面影と重ね合わせてしまう自分がいる。
二十年前に次兄の手で断ち切られた幼い恋が、今、二十年の歳月を経て、こんな奇妙な形で再燃しようとは……。
寺で初めて会って以来、日美香の姿が瞼《まぶた》の裏に焼き付いて離れない。目覚めたときも起きている間も眠るときも。その姿が片時も頭から離れなかった。そして、時折、それは夢の中にまで現れた。
ただ、この恋がかなわぬ恋だということも嫌というほど分かっていた。日女だった倉橋日登美の娘ということは、日美香も生まれながらの日女ということであり、この村の掟《おきて》では、日女は「神妻」として生涯を独身で通さなければならなかったからだ。
どうあがいたところで、自分と日美香がどうにかなることはない……。
そうあきらめていた。だから、誰にも打ち明けなかったし、当の日美香にさえ、そんな素振りすら見せなかった。
ところが、そう思い込んで、早々とあきらめようとした矢先、意外なことを次兄の口から聞かされた。日美香は日女であっても、普通の日女ではないというのだ。今まで決して女児には出なかったお印を胸にもつ特殊な日女だと……。
こんな特殊な日女をどう扱っていいのか分からない。兄は困惑したようにそうも言った。それを聞いたとき、もしかしたら、特殊な日女なら、なんとかなるのではないか……と微かな期待を抱いてしまった。
しかし、この期待も抱いた直後に打ち砕かれた。それも、またもや、次兄の手で。次兄が日美香と養子縁組をして、養女として神家の籍にいれてしまったのだ。
戸籍上とはいえ、郁馬とは、叔父|姪《めい》の間柄になってしまったのである。これではもうどうしようもなかった。
やはり断ち切るしかない想いなのか。
この半年近く、郁馬の心境は、まさに嵐に翻弄《ほんろう》される小船のようだった。あきらめかけては淡い期待を抱き、その期待が砕かれても、まだあきらめきれない……。
いや、その心理は、波に翻弄される艀《はしけ》を堤防につなぎとめる綱のようなといった方がいいかもしれない。船が激しく波に揉《も》まれれば揉まれるほどに、綱がよじれる。しかし、よじれによじれた綱は、切れるどころか、より強靭《きようじん》になっていく……。
それでも、ようやく、気持ちの整理もつき、これからは叔父の一人として接しようと心に決めた頃、夢にも思っていなかったことが起こった。長兄の子である武に突然お印が出たというのである。信じられなかった。長兄の子とはいっても、母親が日女ではない武に何故……と自分の耳を疑った。
お印は日女の血筋を通してのみ伝えられるものではなかったのか。
しかも、次兄の話では、それは日美香のお印と「対」になっているらしいということ。それゆえに、今度の大神祭では、今まで「三人衆」と呼ばれる三人の若者に降ろしていた大神の御霊《みたま》を、今回に限って、武一人に降ろし、大神の霊の宿った武を「神妻としてもてなす」日女の役を日美香がやることになったと聞かされたときの衝撃……。
これがどういうことなのか、郁馬にはよくわかっていた。この「神迎えの神事」と呼ばれるものが、武と日美香の、いわば「婚約」の儀式になるのだということも……。
しかも、いずれ、日美香の婿として、武を正式に神家に迎え入れ、行く末は、お社を継がせる……。
これが次兄の腹づもりであるらしいことも薄々察知した。
酷《ひど》い。
こんな理不尽な話があるか。
大学三年のとき、大学院に進むことも考えていた。でも、その夏、帰郷したとき、そのことを次兄に相談すると、「行く行くは、この社はおまえに継いで貰《もら》いたいと思っている。だから、大学を卒業したら、すぐに帰って来い」と言われ、その言葉を聞いたとき、それまでの迷いが嘘のように消えた。命令というよりも、それは懇願に近かったが、そこまでこの兄に見込まれているならと、喜んで兄の願いを受け入れた。
それを、今頃になって……。
こんなことになると分かっていたら、あのとき、兄の懇願など無視して、大学院に進む方を選び、もっと気ままに都会生活を楽しんでいればよかった。本当はそうしたいと望む気持ちも少しはあった。密《ひそ》かに付き合っている女もいた。
いくら大切なものを守っているからといえ、二十三歳の血気盛んな青年にとって、こんな山奥に引きこもった隠者のような生活より、刺激に満ちた都会で暮らす生活の方が楽しいに決まっている。
それを、父とも慕い、誰よりも尊敬していた次兄のたっての頼みだからと、半|同棲《どうせい》状態だった女も捨て、すべてを振り捨てて帰ってきたというのに……。
この村に帰って来なければ、日美香のことでこんなに想い乱れることもなかったに違いない。
都会なら、魅力的な女も美しい女も掃いて捨てるほどいるし、他に気を紛らわせる楽しいことがいくらでもある。
何もない山奥だから、他に興味を引くものなど何もないから、こんな泥沼のような想いに捕らわれてしまったのだ。
苦しい。
胸をかきむしりたくなるほど苦しい。
手の届かない高嶺《たかね》の花なら、いっそ、誰の手にも手折られず、誰の手にも落ちず、孤高の花として咲き続け、そのまま朽ち果ててほしかった。
日美香に対して、残酷かもしれないが、そんな気持ちがあった。
それならば、自分もあきらめがつく。
誰の手にも落ちないならば。
それが、よりによって、弟分のように思っていた武に……?
冗談じゃない。
どうして、あいつなんだ。
武のことは決して嫌いではなかった。東京に下宿していた頃は、新庄家にもよく遊びに行き、武とは兄弟のように付き合っていた。生真面目すぎる実弟の智成よりも話が合うし、一緒にいて楽しかった。
もし、武が、この村に、怪我の療養と受験勉強のためだけに滞在しているのだとしたら、何の屈託もなく、喜んで迎え入れただろう。
でも、あいつにお印が出たことで、何もかもが変わってしまった……。
弟分として遊び友達としては格好の相手だったが、日美香のような女の夫にはどう考えても相応《ふさわ》しいとは思えない。
同じ男として認め尊敬できるような所が少しでもあれば、まだあきらめがついたのかもしれないが、今の武のどこをどう見ても、そんな所は微塵《みじん》もない。三流大学にすら滑った浪人中の、ああして小学生とじゃれあっているのがお似合いの、ただの情けないガキじゃないか。
日美香には不釣り合いだ。二歳という年齢差も、女の方が精神的に早く成熟するせいか、この二人の場合、もっと離れているように見える。どう贔屓《ひいき》目に見ても、せいぜい姉弟にしか見えない。
ただお印があるというだけで。
それも、本当にお印なのか……。
ひょっとしたら、お印に似たただの打ち身の痣《あざ》か何かで、時がたてば消えてしまうようなものじゃないのか。次兄も大日女《おおひるめ》もそれに騙《だま》されているんじゃないのか。
大体、お印のある者は、次兄のように、若い時から、威厳というか、人を容易に寄せ付けないような超然とした雰囲気を漂わせているものだ。
でも、武にはそんなところは全くない。言動に威厳のイの字も感じられない。母の耀子は、武は近隣の子供たちに慕われていると言っていたが、あれだって、慕われているというより、半分馬鹿にされて珍しい玩具のようにもてあそばれているだけじゃないか。あれが本当にお印だったら、もう少し、他人を圧するオーラのようなものが自然に身体から出てもいいのではないか。
女の日美香でさえ、二十歳という若さで、そうした雰囲気を身につけているというのに。いや、その日美香にしても……。
郁馬は苦々しく思った。
最近になって、態度が微妙に変わったように見える。これまでは、どこか凜《りん》とした冷たい雰囲気があり、気安く話しかけられないようなところがあったのに、最近は、妙に明るくなって、よく笑うようになり、人当たりも柔らかくなったように見える。
化粧も前より若干濃くなったのではないか。物腰もどこか女らしくなって、まるで無意識のうちに誰かに媚《こ》びでも売っているようだ……。
なんだか、毅然《きぜん》とした女神のような存在から、どこにでもいるような、安っぽい普通の女になってしまったような気さえする。
それも全部、あいつのせいか。
郁馬は、僅《わず》かにめくったカーテンの隙間から、相変わらず子供たちとじゃれあっている武の方を憎悪を込めた目で睨《にら》みつけると、乱暴にカーテンを引いた。
一時間ほど仮眠をと思っていたが、こんなに外が騒々しくては、それもできない。
うちにいると、見るもの聞くもの、何もかもが癇《かん》に触って苛々《いらいら》するばかりだ。少し外の空気を吸いに散歩でもしてくるか。
そう思いつくと、部屋を出て、やや足音も荒く、玄関に向かった。
広い三和土《たたき》におりて、その辺に転がっていたサンダルをつっかけ、玄関の引き戸を力まかせに開けたときだった。
外に一人の男が立っていた。