「どうも妙だな……」
鏑木と名乗る男が帰ったあと、応接間に一人残った郁馬は、手の中の名刺をもてあそびながら、そう呟《つぶや》いた。
あの男が、肩書通りのフォトジャーナリストとやらであることは間違いないようだが、果たして、この村に来た理由は、男が説明しただけのことだろうか。
それが引っ掛かっていた。
真鍋伊知郎の「奇祭百景」という本を読んだことが、この村に興味をもったきっかけだと言っていたが、同じようなことを九月の初めにここを訪れた私立探偵の伊達という男も言っていた……。
しかも、そのあと、その伊達の消息を探りに来た喜屋武という女も、伊達からその本を見せて貰《もら》ったと言っていたが……。
これは偶然なのか。
鏑木は、伊達や喜屋武という人物のことには全く触れなかった。真鍋の本もたまたま図書館で見つけたと言っていた。
これが、何十万何百万部と刷られた著名な作家のベストセラー本とでもいうなら、まだ話は分かる。偶然、同じ本を読んで、その内容に興味をもつ人間が複数いても別に不思議ではないだろう。
しかし、こんな部数も何百か何千程度の無名の著者が書いた本に、「たまたま」二人の男が時期を同じくして興味をもつというのは、どうも話として出来過ぎているような気がする。
むしろ……。
鏑木という男が、伊達と知り合いで、この伊達を通して、真鍋の本の存在を知ったと考えた方が成り行きとしては自然だ。
でも、だとしたら、話をしていたときに、一言くらい伊達の名前が出てきてもよさそうなものなのに、全く出て来なかった。知り合いなら、「失踪《しつそう》中」の身の上を心配するのが普通ではないか。
しかも、鏑木も伊達も、ともに、「浩一」という名前であることも少し気にかかった。珍しい名前というわけではないから、こちらは偶然にすぎないのかもしれないが……。どちらにせよ、何か変だ。
鏑木という男の話はどうも信用できない。大神祭の取材というのは口実で、何か別の目的があって来たのかもしれない。
郁馬はそう思いつくと、応接間の片隅に設置された電話の前まで行き、受話器を取り上げ、ある番号を押した。
「……はい、神でございますが」
聞き慣れた老女の声がすぐに出た。
「郁馬ですが、ご住職はおられますか」
そう言うと、「少々お待ちください」と答える声がして、保留のメロディが流れた。
しばらくすると、日の本寺の老住職のだみ声が出た。
「そちらに、鏑木と名乗る東京のカメラマンが泊まっていると思うのですが、この男に不審なところがあるので、留守の間にでも、持ち物を探って、伊達浩一とのつながりを示すものが何かないか調べて欲しい」
という旨のことを伝えると、それだけで、住職には話が通じたらしく、「承知しました。夜、風呂《ふろ》にでも入っている間に当たってみましょう」と答えて、電話は切れた。
住職から折り返し電話がかかってきたのは、夜の九時を少し過ぎた頃だった。
住職の話では、さきほど問題の人物が湯殿に行ったので、その隙に部屋にあった荷物を全て探ってみたところ、「伊達浩一」につながる物は何も発見できなかったが、その代わり、ショルダーバッグに入っていたシステム手帳の間から一枚の名刺が出てきたのだという。
「名刺? 誰の名刺です?」
郁馬は勢い込んで訊ねた。
「喜屋武蛍子の名刺ですよ」
住職は声を潜めるようにしてそう答えた。
喜屋武か……。
そうか。伊達ではなくて、喜屋武蛍子とつながっていたのか。
喜屋武蛍子は、まだ伊達の失踪のことを疑っているに違いない。それで、今度は、手を変え、この鏑木という男を送り込んできたというわけか。
やはり、自分の勘に間違いはなかった。
郁馬はほくそ笑んだ。
「……それと、この手帳の内容を見てみたら、さらに気になる名前がアドレス欄にございました」
老住職の声が追い打ちをかけるように耳に飛び込んできた。
「気になる名前?」
郁馬は思わず聞き返した。
「誰です?」
「あの達川正輝でございますよ……」
住職は囁《ささや》くように言った。